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NEW DAYS ★ プチDAYS★ブルックリン物語

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ブルックリン在住の大江千里が日々の暮らしを綴る6000字前後の読み応えあるエッセイ。「NEW DAYS」も仲間になりました。単行本『ブルックリンでジヤズを耕す 52歳からのひとり…
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#BIGSOLO

特別寄稿 「時空越えの旅の栞」

ほぼ1カ月以上日本にいた。 なのでかどうかは自分でも定かじゃないのだが、ブルックリンやニューヨークの生活が随分に遠く、どこかへ減衰してるように感じられて。 不思議だ。それほど"BIG SOLO"が自分にとって没頭ツアーだったのだ。不安と気づきの間で何をやったかというと、ピアノとずっと戯れていて、記憶として一番残ってるのは客席を見渡す度に飛び込んできた顔だ。多くの人が笑っていて泣いていた。 あの涙の意味をうまく言葉で表現した友達がいる。オペラシティに来てた秋元奈緒美さんだ

プチDAYS 「BIG SOLOを考える」

BIG SOLOが終わって一夜明けると手首も指も肘も肩も意外や意外、全然大丈夫なのに驚いた。囁くような音から爆音に近い音まで弾いていたにも関わらず、実はそんなに力を使わずにまるで「風船を膨らます」ようにピアノに向かって、客席の熱気を吹き込んでいたのだ。 胃腸炎で倒れた後の2公演はピアノに慎重に触れるところからの再スタートだった。BLUE LIVE 広島のKAWAIのフルコンは、触れると前に触れた時の記憶を即座に蘇えらせてくれた。鍵盤の隙間に、目に見えない薄い膜を張り巡らした

¥150

特別寄稿 「青春63切符は知ってますか?」

ツアーがあっという間に後半戦に差し掛かった。 思えばブルックリンでの荷造りの日々。出来てたことと出来なかったことを抱えつつ朝ラガーディアへ向かったあの朝、まさかこの心に光が差してくる瞬間が訪れることを知る由もなかった。 ぴの逝去による悲しみで目の下が膨らみ、「歩き過ぎ、練習し過ぎ」で腰、背中、膝、手首、首、指が変調をきたし、幾つもの仕事の質も量もそれぞれが重く濃く、一旦一個に集中すると遅々として進まない全体像への不安と恐れ、茫然とする気持ち、それが霧のように目の前に立ちは

プチDAYS 「今週のサニサイを京都で録音してからサンダーバードで金沢へ!」

ここのところ流石にハードなスケジュールが続いている。 RYOKOさんのレコーディングをPVやTeaserでおさえるのでその監督Samとzoom meetingしなければいけないのだが、日本とニューヨークで互いの空いてるスケジュールがなかなか合わない。加えて僕の頭の中が「基本はET(東海岸時間)なのに今は日本にいて身体はJapan Time(日本時間)、でいながら伝える時それをもう一回ETに戻してSamに言わなきゃいけない」のがなかなか難しい。 譜面や音源等の資料を関係者で

特別寄稿「マンリー一家がやってきた!」

マンリー一家が箕面にやってきた。 「2時に開演やろ? 1時に安井さんにチケット37枚支払って交換することになってんねんけど、その前後でにいちゃん会えるかな? 楽屋で?」 手元の携帯のラインが鳴った。 その頃、センリーはKGグリークラブの女子たちとのリハ、もうお馴染みになった宝塚少年少女合唱団のみんなとのリハを終えて、楽屋でひとり忙しく本番準備をしていたのだ。そこへこのメールなので、慌ててマンリー家族がすぐに座れるようソファいっぱいに散らかした自分の荷物を片付け始めた。

特別寄稿 「京都から大阪まで」

そんな歌があった。あれは「京都から博多まであなたをさがして」だったかな。今回は博多はないのが寂しいが、次回はきっと。 いつも毎回そんな思いを抱え場所から場所へ移動する。トリオのドラマーRossの言葉じゃないけれど「ショーは始まったらwork outと同じで時間がくれば終わるのさ」だ。やっつけ仕事という意味じゃなくて「それくらいクールで」いないと感情に流されてしまうということだ。 80年第90年代であれば公演は夜が多かったし、昼間は前乗りした土地でmcのネタを探しに温泉や街

特別寄稿 「大きなソロの木の下で」

随分前からパッキングを前倒しでやってたはずなのに 、出発はまたバタバタで飛び出してしまった。 エバンに「ニューヨークで、世界で、いや宇宙で、そして特に日本で一番クールな髪型」に仕上げてもらい(エバン曰く)、後ろの刈り上げには、 「いつものように2本、バリカンで線を入れとくね!」 とニコッと笑って送り出された。