最期の望みは安楽死だった
このブログは父の死について書いています。
現在お辛い状況の方は、落ち着いているときにご覧ください。
前回まで余命告知のことを書きました。
1.人生の最期に思うこと
このブログをご覧くださっている方なら、きっと一度は見たり聞いたりしたことがあると思います。
“人生の最期に後悔すること”
何か覚えていらっしゃるでしょうか?
私が聞いたのは、アメリカで80代の人500名に取ったアンケートの結果です。
その中に「人生でもっとも後悔することは何ですか?」という質問がありました。
何が多かったと思いますか?
実は「やって失敗したこと」を後悔している人はほとんどいなかったそうです。
多くの人が後悔しているのは・・・
「やりたいと思ったのにやらなかったこと」なのだそうです。
生きている今、失敗を恐れて進めなくなるが、
死を目前にすると、失敗は問題じゃなくなる。
生きている今、やらなかったことは問題にならない。
死を目前にすると、やらなかったことが問題になる。
どうやら私たちは、“生きている今”と、“死を迎えたとき”とでは、感じ方が違うようです。
父は晩年、ボランティアに行ったり、ソシアルダンスを教えたり、全国あちこちに出かけ登山をしていました。
また、カントリーミュージックのライブに行ったり、若い人たちとウクレレを習ったりと、60歳以降は人生を楽しんでいるようでした。
私は父のそんな様子を見て「私も早く定年したいなぁ」とよく言っていました。
入院後ベッドに腰かけて外を眺めながら、父がボソッとつぶやいたことがありました。
「東北の山に登りたいなぁと思ってたけど行けずやったなぁ。行っときゃ良かったなぁ…」
「もっと美味しいもん食べたらよかったなぁ。あっちこっち行ってたのに勿体ないと思って食べんかったんや。食べたといたらよかったなぁ」と。
ちょっとクスっと笑いたくなるような小さな後悔ですが、その時の私たちは笑えませんでした。
だってもう未来が無いから。
その願いが叶うことはないのがわかっているから。
私たちは”未来が無い”という状態を想像できない。
明日も明後日も、ひと月後も一年後も来ることが当たり前で。
だけど人は、ごく自然に自分の死期を感じ取ります。
言葉にはしないと思いますが。
その時、私たちは何を思い、誰を想い、何を望むのでしょうか。
2.最期の望みは安楽死
余命告知を受けた後、外泊をして病院に戻って数日たった頃のことです。
仕事の帰りに、ふと父のことが気にかかって病院に寄りました。
週末よく一緒に遊んでいる友人が来てくれていました。
父の横顔が笑っていたのでホッとして声を掛けました。
すると父の友人が笑いながら言いました。
「ようこちゃん来たら、全然顔変わるなぁー。ほんま嬉しそうな顔して…、さっきまでと全然違うやん。笑」と。
父も「来たんかー。」とニコニコしてくれていました。
その友人は、私が父のことをいちばんに報告した大切な人なので、3人で穏やかに話すことができました。
廊下で友人を見送った後、父はその場に立ったまま、私に顔を近づけて小さな声で話し始めました。
「あのな、安楽死ってあるやろ?あれ、わしアカンのかな。先生にゆうてみよかなぁ」と。
予想外の言葉に、私は心臓がバクバクしました。
父はここで、天井を見つめながら、暗い部屋で、たった一人で、考えていたんだ・・・
父が入院している病院は急性期なので、何も治療せず置いてくれる病院ではありません。
そのため私はホスピスを数件当たっていましたが、父は「そんなとこ行きたくない」と言っていました。
まだ微熱が出る程度の症状しかなく、余命一ヶ月と告げられても受け入れられないのは当然のことだと思います。
思いがけず出てきた父の言葉に、私は動揺しました。
3.安楽死について
安楽死に関しては、オランダがよく知られています。
1971年、脳溢血の後遺症に苦しむ実母の求めに応じて、医師であった娘がモルヒネを投与して安楽死させ、その後自首をしたことが安楽死の発端です。
その後、数々の経過がありオランダでは2001年に合法となりました。
今でも安楽死を認める国は少なく、スイス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・カナダの5カ国とアメリカの一部、最近では2020年にニュージーランドで可決され2021年に執り行われました。
医師が薬剤を投与する「積極的安楽死」、患者が自ら薬を飲むのを容認する「自殺幇助」、人工呼吸器等を取り外す「治療中止」など、安楽死にも段階があります。
また「安楽死」と「尊厳死」にも若干違いがあるような気がしますし、よくよく吟味しなければならない繊細な問題です。
安楽死・尊厳死については、国民や政府が命に対する倫理観を持った上で話し合う必要があり、達観した視点が求められると思います。
ですが日本は死の話に触れることもご法度で、より良い死について、とても話し合える状態ではありません。
正しいのか正しくないのか、私が意見出来ることではありませんが、日本の医療は未だ「命を救うことだけ」に全身全霊で取り組んでいます。
それがその人や家族の幸せにつながるかどうかよりも、医療者の使命感が優先されることが多いです。
したがって日本では安楽死は認められていません。
4.死は人生最期の試練?
父の口から「安楽死」という言葉を聞いたとき、その言葉が頭の中で駆け巡ってクラっとした。
日本で安楽死が認められていないことは知ってる、
海外に行くには残り時間が少なすぎる、
叔母はたぶん受け入れないだろう、
じゃあ私は…?
いや、たぶん、そういうことじゃなくて・・・
"未来が無い父”に何を言えばいいか戸惑った。
数秒、間を置いて私の口から出たのは、看護師の経験によるものだった。
「うーん…。私は今まで亡くなる人をいっぱい見て来たけど。どうやら最期の最期はみんな苦しんで亡くなりはる。わからんけど、なんか死ぬ前に人生最期の試練みたいなものがあって、それを越えんと向こうに行かれへんような気がするよ」
そしてこう付け加えた。
「もし今パパが安楽死を選んだら、向こうでおじちゃんとかおばあちゃんとかおじいちゃんと同じ所に行かれへんのちゃうかなぁ」と。
父は腕組みをしたまま目を細めて言った。
「そうか。看護師のおまえが言うんやから、そうなんやろな。しゃーないな。おかあちゃんらに向こうで会われへんのは嫌やしな。」
「ほんでも、助からんのわかってて生きてるのは辛ろうてな…」
と渋い表情を見せた。
そして父はそれから最期の時を迎えるまで、二度と安楽死と言う言葉を口にしなかった。
私の返事があれで良かったのかどうかわからない。
ただ、わずかでも、何かにすがってほしいと思った。
それがおじちゃんやおばあちゃんだった。
父は死後の世界を信じるタイプではなかったけど、私の言葉で父なりの覚悟をしたというか、すべて諦めたというか。
無理やりにでも悟るしかなかったのだろうと思う。
5.病院の死
初めて経験した患者さんの死は、老人病棟に20年以上住んでいる“きみちゃんおばあちゃん”でした。
最期はふっと消えるように脈が触れなくなった感覚を、今も右手の指が覚えています。
ところがそれから、父の最期のときまで13年間、病院勤務で経験したのは“過酷な死”ばかりでした。
息苦しさで横にさえなれない状態が3日3晩続き、話すこともできず、苦しみの中で人生の幕を下ろした女性。
突然の吐血で恐怖に襲われたまま意識を失った男性。
外まで聞こえるほど激しい嘔吐の中で意識を失った男性。
抗がん剤副作用の痛みと闘い続けた女性…
一晩で3名亡くなられた夜もありました。
阪神大震災で被災したときは、被災地ど真ん中の長田区に居て、自分が勤める病院が倒壊しました。
病院の機能が停止しているにも関わらず多くの人が運び込まれ、あり得ない数のご遺体を一度に目にしました。
病院で最期を迎えるとき、私たちがご家族をお呼びするのは、過酷な状態を過ぎていよいよ止まる…というときです。
なのでほとんどのご家族が「最期は穏やかでよかったね…」と仰られます。
ですが実はその前に、過酷な状況を越える人が少なくありません。
私が父に返した言葉は、私自身の看護師としての経験から出て来た正直な言葉でした。
“穏やかな死”があることを私が知ったのは、父が逝って10年ほど経った頃でした。
北海道・夕張市の財政破綻によって、医療崩壊が起こりました。
夕張市は日本一の高齢化率で、将来の日本の縮図であると言われています。
夕張市に住む高齢者の方々は、調子が悪くなると隣の市まで行かなければ医療が受けられない事態になりました。
住民がパニックになったことは言うまでもありません。
ところがしばらく経った頃、予想外の様子が見え始めました。
「先生、私は悪くなってももう病院にはいかないよ」「私はここで死ぬんだから」と自ら決意するご老人たちが増え始めたんですね。
そこには、亡くなる前日まで満面の笑みで大好きなお饅頭を食べている姿や、酸素吸入をしながらにっこりピースサインをして写真を撮っているおばあちゃんたちの姿がありました。
そして介護施設や自宅で亡くなる方が増えるにつれ、どうやら過酷な最期ではない死に方がある…、そう思い始めました。
この違いは何でしょう…?
病院はどんな状態であれ、最期の最期まで手を尽くして抵抗します。
一方、施設や自宅で迎える最期は自然に任せる形で過ごします。
今なら、父に別の返事をしていたかもしれないなぁと思います。
6.枯れるように死ぬ
では、どのような死に方がより良い状態なのか…
植物はいつか枯れて、朽ち果てて命を遂げます。
自然は人類のお手本であり、人間もそうあるべきと思います。
干からびてカラカラの状態で最期を迎えるー
それがもっとも自然でラクな死に方だと経験的に思います。
ただ、医療は“命を救うこと”が役割なので、さまざまな施しを行います。
延命治療というと人工呼吸器のことと思われがちですが、病院で行なう一つ一つの施しはすべて延命につながります。
たとえば点滴で補液することも、鼻や胃からチューブで栄養を入れることも、薬や手術も延命の一つです。
延命はしたくないが、痛みや苦しみは何とかしてほしい…というのがごく普通の希望だと思いますが、その境界線はとても曖昧です。
苦痛を軽減するための処置で、新たな苦痛が生じ、その苦痛を緩和するためにまた何らかの処置を行い、そうすることでまたさらに…という悪循環が起こっていても、最期まで決して諦めないのが医療です。
この状態は自ら体を攻撃しているのと同じ。
なので逆に体力を奪って過酷な状態になっていきます。
病院で亡くなられる方はたいてい全身むくんでいて、植物とまるで逆です。
それが最期を過酷にしている要因ではないかと思います。
「しない」を選ぶ勇気。
実はこれがとても大切だなぁと。
ですが医療において「しない」を選択することは、諦めることを意味しており、理解し合うことが難しい。
父の場合、治療する手段が何もなかった、だからこそ良かったのかもしれません。
私はこの日、父が余命一ヶ月と告げられたときの様子を思い出していました。
「どうか、苦しくないようにだけ、頼みます…」と頭を下げた父。
そして今日、「安楽死、あかんかなぁ」と最期の望みを伝えた父。
人の心はとても柔らかくて弱い。
だけど父の望みは叶わない。
私は改めて覚悟をして詰所に行き、これからのプランを伝えるために師長さんを呼んでもらいました。
もやもやした気持ち、話してみませんか。