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補助線を踏まない少年は、人のいないところにいる

なんか最近堅苦しくなるのが嫌で、
もっと素直に書きたいと思っていつも試行錯誤してるんですけど、
わからん。

でも今ふと、思いついたことをそのまま書いて、変にこねくり回さず書き上げれば割と感情ぎゅっと閉じ込められるのでは?と思い立ったのでやってみます。

普段とキャラ違う気がするけど、試行錯誤させてもらいます。
人生は実験実験!
深夜テンション!

制限時間は30分で2000字!
よーいどん!

何を話そうか。
これやろうと思ったきっかけがですね、こちらの方の記事なんですよね。
この方、たくましくて面白い生き方がぎゅっと詰まってるのでおすすめです。

で、こちらでは昔の原体験みたいなことが書かれていました。

私も人間が無意識に残している行動の跡におもしろさ(ときに視覚的な美しさ)を感じて、よく写真を撮ってしまうな、、!

花都さん 『わたしのアート原体験』

フレンチレストランで一年くらい働いていたとき、お客さんの食べたあとのお皿見るのなんとなく好きだった。なんとなく。フレンチのソースって鮮やかで絵の具みたいだし、お皿の余白多めなのでめちゃくちゃ食べ方の個性がそのまんま残るんです。たまに洗い場入ってたとき、下がってくるお皿見るの結構楽しみの一つだった〜!そのまま飾れるくらい芸術的なときあった。

同上

誰かの生きた軌跡に目が行く感性すごいなあ、、、素敵だなあ、、、と思いながら読んでいたんですが、自分にもそういう周りと少し違った感性がないか、と探してみたら、

あったあった。
僕にも少し変わった世界の見え方がありました。
なので、それを書こうかな。


僕ね、
補助線が見えるんですよ。
街中歩いてるとね、
あらゆるものから補助線のビームが飛び出してるんです。

「は???」ですよね

例えば、歩道の縁石って黄色と黒が交互に並んでるじゃないですか。
駐車禁止を示すあれです。
それの、黄色い3つのブロックの真ん中から垂直二等分線が伸びているんですよね。
(「垂直二等分線」って言葉、中学生ぶりに誰かに話したわ)

で、その垂直二等分線を踏まないように歩いてるんです。

暇でしょ?笑

でも、もう慣れすぎて、頭では全く別のことを考えてるんですよね。
意識せずとも息ができるように、意識せずともその補助線を踏まないように歩いているんです。
「補助線踏まん界」のプロなんですよ、僕。
いつからなのか分からないけど、少なくとも中学校の頃にはやってましたし、今でも続いてます。
あーもちろん、常にやっているわけではないですけどね。
気が付いたらやってます。
ちなみに、補助線は縁石だけじゃないですよ。

具体例いくつか挙げると、

・マンホールにある5つの穴のうち、2点を結んだ直線3種。(説明ムズイ)
・通り過ぎていく車の側面の垂直二等分線
・車や人の影の中線
・机など、長方形の物の短辺からの延長線+対角線
・落ち葉を結んだ正三角形の辺
などなど。

友達と歩いていても、たまに一歩だけ歩幅が狂いますが、
やってることがあまりに誰にも思いつかないことすぎて気づかれたことはありません。

自転車でもそうで、足が最下点に来る時に補助線を踏まないように、ギアをいちいち変えるので、チェーンの消耗が激しいようです。


なんでこんなことしてるのか全く分からないけど、まあ多分癖ですね。

小学生の頃、「横断歩道の白線から踏み外したらマグマ」みたいな遊びがあって、(全国共通なの?)その延長線的な遊びを、大人になっても僕だけずっとやってしまっている感じ。

この脳のキャパを他のところに行かせられたらいいのにとは思うけど、
でもたまには役立つことありますよ!
例えば、ふすまのレール踏まないし!床に落ちてる釘に気づくことがあるし!
コンサートホールとかでも、隅っこや中心の居心地が悪いので(四方八方から補助線が見えているから)中途半端な人の空いてるところにいる。
あと、レーザー部屋に閉じ込められても、、、
いや、役に立たなすぎな!
常日頃鍛錬するほどのリターンは確実にないな!
癖ですね!クセ!

天性の才能なのかこれは?
天性の才能にしては役に立たなすぎるね!


でも、
この歩き方って僕の思考回路そのまんまだなって思ったりします。

ここから少し話が飛躍しますけどついてきてください?(ずっと意味不明)

僕って、形あるものにあまり惹かれないし、あるものをピンポイントで好きだって選ぶことがあまりなくて。
たぶん、消去法で選んでいる気がするんですよ。
削っていって残ったものに魅力を感じるんですね。
言葉にした結果、零れるものに美を感じるんですよ。
引き算の美学ともいう。

この感覚を説明するためにいつも出してる例があるので紹介しますね。


【一番”地味”な都道府県ってどこだと思いますか?】

鳥取?は違いますよね。逆に目立ってる。
じゃあ佐賀とか?
でもここでパッと思いつくってことは、みんなの心の中にあるってことじゃないですか?
じゃあ茨城?
いや、茨城-栃木-群馬のホットラインは手強いです。
さて、ではどこでしょう。

僕が個人的に推してる地味な都道府県第一位は、「岡山県」です。(岡山の人ごめんなさい)
地味といじられることもないけど、話題にもなかなか上がらない。何があるの?と聞いてもしっくりくるものがなかなか出てこない。

まあこれの真偽とかどうでもよくて(岡山の人、とばっちりでごめんなさい)

頭に思いついたものはもう既に違うんだよなあ、、、みたいな思考回路ばかりしてるんですよね。

これと同じ発想で、ずっと「何者でもない者になりたい」と言ってますが、
こちらもそう。

女性でなく、男性でもなく、
フリーターでも、絵描きでもなく。
詩人でも、エッセイストでもなく。
闇を描きたい時もあれば、光を描きたい時もある。
あえて言葉にするなら「何者でもない者」に向かって。
自分を言葉にできた時にはもうそれでは零れ落ちてしまう方へ。
夜無らしさってなんだろう、とみんなが不思議がるように。
どの分類にも属さずに、すり抜けてすり抜けて、気の赴く方へと飛んでいきたいです。

そうやって”属性”を削ぎ落した先に私がいるし、
それが個性を磨いていくことなんだと思っています。

 『何者でもない者になりたい』

こういう思考回路をする人なのが、
補助線を踏まないところにも表れている気がします。

伝わってるかな?
都道府県の例え分かりにくかったかもしれない。
時間が余ったのでもう一つ例を出しますね。

【1から100で一番地味な数字って何だと思いますか?】
(※数字アレルギーの人は飛ばしてもらって大丈夫です)

もちろん主観なので正解はないですが、
約数が多い数は、美しい傾向が強いので、36とかは論外ですね。
他にも、例えば5の倍数もなんとなくきりがいい。
だから約数は少ないほど地味なんです。
でも逆に素数だと、、、、数字大好き人間からするとね、、、、美しいんですよ。

じゃあどの数字でしょう?
90番台だと少し大きくなりすぎて目立ってしまう。
例えば100人のオーディションがあったら、90番台は、「あとちょっとだし集中するか!」ってなる。
70番目くらいが一番だれる気がしますよね。
つまりその辺が一番地味な数字かなって個人的には思います。
で、そのうえで美しい数ではなく、きりが悪くて、素数でもない数。
あと、九九にない方がいいですね。見覚えはない数字がいい。
「何者でもない数」。
んー、78とかですかね。あと86とかも熱いですね。個人的には。
68もいいな

伝わりましたか?
こういう思考回路をしているんですよ。
補助線からはみ出したところに着目するような、
美しいとみんなが言うものではないものに目を向けたくなるような。

ようは天邪鬼なんですよ。根っからの。

小学校のサッカークラブの頃、みんながボールに集まる中、僕はフリーのスペースにいるのが得意で、コーチからよく褒められてました。

あ、役に立ってましたね!

虚をつくのが得意なのかもしれない。

忍者になればよかったのかな


どう締めるか考える時間ないので、

『補助線を踏まない少年は、人のいないところにいる。』

なんて謎な言葉を残して終わりましょうかね。


昔書いたこちらの記事もよければ是非。

はい。ストップ。
45分経ってました。アウトー

でも2648字

いや、アウトだよ笑


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