親と子の生活リテラシー<その2>「戦争」について
◼️シーズン4「親と子の生活リテラシー」の第2回です。
家庭であまり使わない単語だけど、親がわかったフリして誤魔化すにはやや重めというか、実は深い言葉を選んで試考します。今回は「戦争」。今日話さなくてもいいんじゃない?、と言いたくなるような単語です。
娘「マンガでわかる『世界の歴史』ってさあ、全部読んだけどさ、なんか戦争の話ばっかりで進むよね。人類は戦いしかしてない感じなのは、歴史としてどうなの?」
父「まあ、戦争と政治と宗教でぐるぐるネタを回している感じはあるわな。でも、歴史から学ぶためには大きな史実は押さえないといけないってことだと思うよ」
娘「最近のロシアとかイスラエルとかさ。みんな、あまり学んでないんじゃないの」
父「学んでもなあ、実践できないことっていっぱいあるんだよ」
娘「でた!おとなの言い訳」
戦争という単語を真正面から、それも、世界で進行中の災禍から遠く離れた地方都市で、現在不登校の小学6年の娘とその父親が二人だけで語り切れるとは、到底思えません。でもです。小生の親も親戚も太平洋戦争ではエライ目(母は当時、小学生で東京から隠岐島に疎開、叔父は兵士として満州からシベリア抑留で帰ってきた、なんて聞かされてます)に遭ってますから、戦争の人生への影響力は破壊的です。
さて、戦争を生活思創で語ってみようと思ってみたものの、子供の近くまで行けるかどうかが心許ないです。ということで、少し下がって、生活思創の方法論から、まずは眺めてみます。
「戦争」を試考するための旅のガイドを試考してみます。
記号接地(左)としては親族の話があるとして、これって社会的想像力(右)はどのあたりから行けばいいのか思案しちゃいますね。過去、世界中の叡智が全身全霊をかけて取り組んできた悩ましいお題でございます。
まあ、こんな時ですね、「自分は小者だから小さく取り組もう」というのは悪手なんですね。むしろ、「小者ならではの無茶振りが、空振りなりにも風を起こす」を狙いましょう。コンサル業界でピンで働いてきた実感智です。するとね、聞いてる相手がクライアント候補なら、「なんか壮大すぎて、この仕事は合わなそうだな」ってなるのですが、「今度、どうしていいかわからないような仕事が発生したら、この人に頼んだら何とかしてくれるかも」って印象は残るのです。
かなり脱線しました。
社会的想像力をもっと大きくするので、人間枠を超えて生命枠まで広げて考えます。生命的想像力(おお、ニューワード!)ぐらいのサイズの風呂敷で試考します。一応、理由もあります。歴史を学ぶ時、戦争の話の比率が高いのは、戦争は人類史を超えて、そもそもの生命全体と繋がっているからではないか?、そんな見立てをしてみます。社会カテゴリーではなく生命カテゴリーまで越境し、「見通しの良さ」をアンテナにしながら探索してみます。
圏論的な対称性(上)と分析哲学的な相補性(下)は、生命枠から日々の生活(中央)に戻ってくるための方法論になります。生命から日々の生活への旅路ですな。遠いw。なにはともあれ、娘の「でた!大人の言い訳」に、「いやいや、娘よ、よく聞きなさい」と切り返せるところまでの「見通しの良さ」を目指します。もちろん、生成AIが探求のバディとなって、小生の深みのなさをサポートします。
このような旅程で進んでみましょう。
◼️生物の個体から試考する
戦争は集団同士の暴力の行使なので、その構成要素である兵士は攻撃的になる必要があります。もちろん、攻撃にさらされ危機的になれば逃走もします。これは、生命の共通のストレス反応と同じものです。闘争(Fight)と逃走(Flight)ってやつですね。
「闘争ー逃走:ファイト・オア・フライト」(戦うか逃げるか)の反応は、恐怖や怒りなどの強いストレス状況において発現する一般的な生物学的反応です。この反応は、人間を含む多くの動物種に見られます。
この生物圏に共通の基盤からスタートします。基盤になりそうだというのは、生命全般の中で身体に埋め込まれた攻撃性(ここでは闘争:Fight)はこのストレス反応が代表的なものだからです。他ではあまり出てこないのだ。 よって、戦争のエネルギーの原資は、個人の闘争反応という仮説です。個人の生物としての暴力を束ねる力こそ、人間だけの特性である戦争の組織力だ、そう試考してみます。
ただし、ここで付け加える必要があります。闘争ー逃走は、要素としてはまだ他にもあって、「凍結(Freeze)」と「従属(Fawn)」があります。
人間だと恐怖で立ちすくんでしまうのが凍結(Freeze)で、心理学的にはトラウマになってしまうぐらいの危機感のピークです。
(※脳神経系の話は、ポリヴェーガル理論を参照してください)
また、捕食関係ですと成立しないのですけど、集団内の闘争では地位の上下を確認することは、弱い方が強い方に従うという態度もあります。これもストレス反応に含まれて、従属(Fawn)としています。
ただし、どちらも闘争ー逃走の延長にある反応という見方もできます。つまり、逃走できない状態が凍結、闘争できない格差が従属。
ということで、上記の図表106のように、反応の4種類を整理し、大きな括りは「闘争ー逃走」の2つで解釈します。
◼️生物の集団から試考する
今度は個体から集団になると、身体性を伴った戦争とのつながりには、どのようなものが関係していそうかを眺めていきます。戦争の集団でのポイントは集団化ですね。有無を言わせず一体化する仕組みが私たち人間の身体にもあるのでは?、と試考します。
集団の自己統率にあって、一般的なのが群れ行動です。バラバラな個体が統率されて群になるには、少ないルールで可能だという視点です。特に、鳥の一群がぶつからずに、目的の方向を集団で目指す行動が代表的です。
これは草食動物の群れにも見られる行動なので、同じ生命として人間の脳神経系にも古い本能として埋め込まれているものと試考してみます。ただし、人間の場合は、ほとんどの場合に物理的な群れを作りません。ですが、整列:外部情報と自分の態度、結束:集団周辺の態度との同調、分離:同調した態度での一員としての行動、自分の行動から行きすぎた同調を弱める、のような置き換えはできますね。
同調圧力を感じとる、同調行動をとっておく、個体としての違和感から行きすぎた同調行動を調整する、そしてまた、最初の同調圧力を感じるに戻るサイクルです。これも普段はあまりなさそうですが、ストレスを強く感じる場面では発生しやすくなります。
2011年の東日本大震災のような未経験の災害があると、人々は集団の流れに沿った動きをします。東京では都心周辺の電車が全て止まってしまい、徒歩で帰宅する人々は、粛々として、できるだけ歩く人の前後左右と同調した動きで移動していくのでした。それもほとんど無言で。これは本人(個体)たちは意識してなくても「群れ」の一つです。意図しない統率下での集団行動なのです。
行動の判断基準が見えなければ見えないほど、集団として一群となった行動の方が安心だと思うのが人の常なのです。ならば、これは動物や鳥の群れに共通する身体的な刷り込みがあると考えるのが自然ではないでしょうか。
◼️生物の組織化から試考する
生物の集団を組織化する一般的なパターンは階層構造です。ヒエラルキーですね。階層がないと組織化できないわけではありません(ネットワーク型の組織とか)。サピエンス全史でハラリは、「認知革命が起き、虚構によって人々を束ねることに人類は成功した」ってあったけど、物語はドミナント構造維持の貴重なツールなんだね。もちろん、良い悪いではない。宗教、国家、貨幣は、群衆を組織化するための三大物語であり、プラットフォームとなっています。現役の物語だよ。ただし、これは人間界の話。
その前に生物としての組織形成があって、原初的な階層化があります。ドミナンス構造とは、目的に沿ってグループをまとめるメンバー同士の関係図ってことです。もちろん、その特徴は複雑ですから、様々な視点で語ることができます。ここではカテゴリー越境が目的なので、生物群ごとでリーダーになる経緯を区分してみました。
生物界でのリーダー決定の経緯は、目立つところでは大きく4つ。(血縁、競争、経験までは生成Al)
血縁で決まってしまうもの:
昆虫のアリやハチは、女王、兵隊、働き、が生まれながらに決定してる。
競争で決まってしまうもの:
ライオンの群れ、狼の群れなど、個体の身体的な力のあるものがグループを率いる。競争に負けると服従か離脱
経験で決まっていくもの:
ゾウとか鯨とかの穏やか系(といっても現場は結構大変だろう)で見られる。歳の入った個体(メスが多いらしい)がリーダーになる。
集団の合意を求めて決まっていくもの:
これが人間なんだけど、現在も開発中ってところでしょうか? そして、ここに「物語」が出てきます。うーむ、物語もなあ、なんかなあ・・・国家のリーダー選択も、物語が自分の出自を誇る血統の物語、ライバル候補をディスるだけの競争の物語、学歴やキャリアなど経歴羅列の物語、といった動物・昆虫系の物語比重が結構高いよな。集団合意って理想は高いけど、未だ遙か先なのか。その組織がそのタイミングで必要とされるリーダー選択って、純粋な資質の物語まで行きつかないことが多いのが実態なのだろう。なので、人間の集団での合意は「工事中」、つまり、進化途上として扱いながら並べてみました。
◼️「戦争」って、ブラックな国民生活の典型的な状態
生物の個体→生物の集団→生物の組織って眺めてきました。これらは人間も含んだ進化的な過程に織り込まれたものなので、きっと、私たちの身体(脳神経的部位にあるかどうかはアカデミアにて研究中)のどこかに刷り込まれていると試考します。
今までの話を一枚にまとめたら図表109になります。
ここからが今回の後半です。「戦争」の話を、小学6年生の娘にとっての自分ごとにまで持っていきます。
さて、「戦争」を、その状況での生活視点で再考すると「ブラックな国民生活」でしょう。ここが戦争の悲惨さを生活というカテゴリーに映し取った表現とします。
ここからは戦争が3つの生物行動を貫いているのではないか、という視点で眺め直します。今度は組織→集団→個体のヒエラルキー構造に沿って試考していきます。
1)社会的階層化行動
社会的階層化行動(図表110)では、リーダー選択で集団合意が破棄されます。戦争(戦争前も含め)では、「危機的状況だ!」が常套句です。よって、強度のストレスを組織全体にかけようとするなら、かなり偏った物語が必要です。血統、競争、経験は全て古い身体性に根差した物語なので、生物的な普遍性を持っています。どうも、戦争のような状況を迎えると「集団合意」が欠落して、先祖返り的なリーダー選択が始まることが多そうです。
2)群れ行動
ここでの、欠落した群れ行動・集団行動とは、分離がなく、整列と結束の状態だけで行動していくことを意味しています。間違いなく強いストレスが個体にかかるようになっています。隣組や憲兵など、相互監視システムなんて分離なしに集団行動を取らせる仕組みでした。図表111
※参考
生成AIに集団の群れから個体が分離する時のポイントを教えてもらいました。「目立たないように離れていく」ってさ。状況が抽象的すぎるから、本当かどうかは怪しいけど、一理ありそう。目立って離脱すると、群れが乱れるので組織に気づかれて、再度、取り込まれるってことかな? やばくなったらシラっと立ち去れってか。
3)ストレス反応
ここでの個人は、もう逃走しようにも逃走が選べない状況ができてます。欠落したストレス反応は、闘争(または従属)しかありません。すでに集団は皆んなと同じをすることが決定してますから(集団からの分離なしも決着済み)、闘争先は戦争の相手だけになります。個人の生存衝動が、組織からの強いストレス反応で命知らずの暴力に転換される時でしょう。そう、組織が個人を一種の自暴自棄状態まで追い込むわけだな。そりゃ、いじめも自殺もなんでもアリになるわけだ。
◼️「ブラック国民生活」から、「ブラック学校生活」へ
戦争の話が「ブラックな国民生活」までに転換できました。まあ、他のアプローチもあるはずなので、あくまでも一つのルートでの試考です。今回の生活思創の目的は、人間での説明から抜け出して、生物に共通する個体・集団・組織のよく見られる生物行動から、最終的には自分ごとに戻って、生活と戦争をつなぐ「見通しの良い」仮説を作ることです。
3つのレイヤー違いの「欠落」は、個体ー集団ー組織で眺めたときに、どのような望ましくない影響を及ぼすか、をまとめたのが図表113です。
X=明らかな欠落がある、という意味で捉えてください。
・国家ー戦争:ブラック国民生活
これまで見てきたように3つのレイヤー全てで、明らかな欠落が行使されることで国家の戦争が遂行されます。この時を典型的なブラック国民生活と読んでみます。記号接地としては、先の太平洋戦争の体験談となります。
すると、ブラック度合いを戦争100%としてみたら、相対的にどんな感じかを入れてみてます。戦争ほどの生活の悲惨さはないですけど、集団のタイプごとに、個人へのブラックな生活らしきものが想像できます。
・地域ー限界エリア:ブラック・ローカル生活
これは人口減少の中で起きる限界集落が、今後は多くの自治体でも予想できますので、それらを限界エリアとして括ってみています。市や県の単位ですら人の流出が加速して、自治ができないほどの自治体になっていく予兆を、3つの欠落で解釈してみます。
自治体のリーダーは集合的な合意の視点で選ばれなくなってきます。これは既存の利権が優先されていく動きに連動します。税収が減っていく中、苦しくなったときに最後まで守ろうとするのは身内組織だからです。身内に近いリーダーが組織の中核を担うようになります。
また、ローカル度が高ければ高いほど、新しい人々の流入がないので、古い経験則から抜け出す機会を失うでしょう。生活は不便になり、未来への地域投資もなく、健全な集団の群れができなくなるのです。救いは個人レベルで逃走が許されていることです。引越しね。もちろん、これは益々エリア内人口減少を早めることを意味します。
あなたならどうします?
・企業ーガバナンス欠如:ブラック・会社生活
これは、古い産業構造の中にいる大きな企業で顕著なのですが、リーダー選出が古い人たちの強い影響で選ばれるので、集団的合意ではなく、経験や血縁など、これまた人というより動物的グループの論理で選ばれるようになります。
以前通りだったり、経営に組織変化を促す力がないので、命令だけで現場をガバナンスします。これってもうガバナンス欠如です。業績向上の目標の根拠も、目標達成への打ち手もなく、個人へ裁量に任せられちゃう(別名:丸投げ)ので、ストレスの強度は高まる一方です。闘争→従属→限界、過労ストレスで参る。または、逃走→凍結→限界、心折れて参る。救いなのは、企業なので自主的に集団から分離することが許されています。つまり、辞職ですな。
あなたならどうします?
・学校ー?:ブラック学校生活
さて、やっと本題。不登校の6年性の出番です。義務教育の仕組みは、生物的には集団レイヤーの分離が欠如してます。また、ストレスなんかはないというのが個体の大前提ですから、闘争も逃走も想定外。そりゃ、今でこそ揉めることはないけど、不登校は組織からの逸脱ですからね、問題視されるわな。不登校は彼女なりの群れからの分離であり、個体としての逃走なのです。
そうそう「?」には何も入れなかったけど、何か入りそうですよね。
父「『?』には何を入れようか?」
娘「学校とか?」
父「学校全部ってことはないでしょう。まあ、父が強いて入れるなら、変わらない古いままの義務教育かな」
娘「戦時中と同じぐらいのブラックだから、私も学校いきたくなかったんだね」
父「いやいや、欠落表でもXの数は一個少ないし、戦時中の逃げ場のなさに比べたら、逃げ場だらけでしょ」
娘「あなたの娘もフリースクールに逃げたしね」
父「逃げる場所があるって大切。国家もローカルも会社も。人って、慣れ親しんだ場所から、意外と逃げられないで凍結(フリーズ)しちゃうんだよな」
娘「逃げ場所がないことが苦痛を生むのかあ。なら、監獄は逃げ先のない状態を作って罰にする場所ってことになりそう」
父「そうかもしれん。だが、学校の教室が監獄に見えたらお終いだ、シャレにならん」
娘「脱獄成功〜!!」
平和なうちに総括しちゃいますね。ブラックな国民生活(もしかすると、全てのブラックな生活)が、いつ何時やってくるかは分かりません。でも、いつでも分離と逃走が選べるように、心の訓練だけはしておくのが良さそうです。
※追記(小難しく、気取らさせていただきました)
浅田彰「構造と力」が文庫で再販されたってどこかで見ました。浅田彰と言えば、ありましたね、「逃走論ースキゾキッズ」。この時の、ドゥルーズ(Deleuze)のスキゾとかパラノとか流行りました。当時は意味わからんかったけど、社会規範や文化風習からの逃走を推奨する話って、時代的にはおしゃれなポスト・モダンだったんだね。
強引に援用するなら、今は仮面パラノの仮面を剥がすか?、剥がさないか?の淵にいるのだろう。まてよ、パラノの仮面とスキゾの仮面の使い分けで生き方の巧拙が判断されてる時代かもしれん。仮面の下だけは大切にしてな。娘の健闘を祈る!
Go with the flow.