親と子の生活リテラシー<その4>「みんな」について
◼️「みんな」というオールマイティ・スーパー・ユースフル単語を試考する
今回は、言葉としての「みんな」を生活リテラシーの観点で試考します。「みんな」って、かなり便利な単語ですよね。親も子もよく使います。
「みんなが持っているから、私も必要」とかは子供が親に使う鉄板ですけど、親も「みんな宿題やってるんだから、あなたもやりなさい」なんて、これまた押し切るための紋切りセリフに「みんな」を使います。
娘「先生も”みんな、静かに”とか普通に言うよ」
父「だな。だけど、細かく見るなら、すでに静かな人もいるし、喋ってるのは一部でしょう」
娘「なんか細かいな。だけど、いちいち、”誰々さん静かに”とか言うのも面倒だからじゃない?」
父「そうなんだよ。面倒なんだよ」
娘「すると、夏休みの課題が面倒だと思った私に、”まあ、みんなやってんだから、課題ぐらいはやっておきなよ”って言ってたのは、親子で面倒くさがったってことだねw」
父「そんなこと言ってた?。やはり親子だな」
娘「細かいんじゃなくて、雑ってことね」
便利なままにしておけばいいじゃないか、という指摘もあるでしょう。ただ、便利さの影には、何やら含みがあります。
「うまいこと話を進めよう」という心で使う「みんな」には、「面倒臭さを避けたい」といった感情がありそうです。だとしたら、それはどんな親と子の生活背景があるかを試考します。
まずは、とっかかりです。似たような単語「私たち」と「みんな」を比べてみましょう。
・「私たち」
集団の輪郭というか境界線が明確。「私たち」という集団の視点で私は語ります、っていうことなので・・・
「私たち」は、集団の外枠にある境界線がクリアです。だから、「私」と「あなた」が「私たち」ってこれだよね、を成立し易い。また、「私」と「あなた」の間に境界線を引いて、「私たち」と「あなたたち」もクリアにできます。お互いを集団の視点にまで持ち込める。もちろん、この延長に「私たち」と「彼ら」なんていう、「私」と第三者の間に境界線を引くパターンもあります。
次に、本題の「みんな」。
「みんな」は境界線には触れません。暗黙の了解ってやつを利用します。了解してるかどうかさえ、ぼやかしたままなのです。私の「みんな」と、あなたの「みんな」は不特定多数のまま、一致なしで話が進みます。そして、往々にして、それを語り手は狙ってたりします。
◼️お互いの妄想の積極的利用
「みんな」と言っておくと、集団の境界線が曖昧になるので、聞き手は聞き手で自分なりの境界らしきものを頭の中でイメージすることになります。ぽわーん。もちろん、語り手は勝手に、自分の都合の良い方向を願いながら「みんな」という不特定な単位を使っています。
「みんながやっているから」「みんな幸せそうだ」とか、その都度、みんながボワっと妄想されて、速攻で消えていく。自分の「みんな」も妄想なら、相手の「みんな」も妄想ですな。ここでの妄想を言い換えると「妄想とは、世界の眺めと自分の感情の雑な一致」です。ちなみに、この雑さこそ、面倒臭さが反転した態度でしょう。
「みんな」が引き起こして欲しい集団のイメージ(イメージ=妄想の美しい言い換え)には、語り手の意図が混ざっています。一人の人が限りなくたくさんの集団イメージを持っているはずなので、かなりザックリと試考しないと収集がつかなさそうです。そこで、ここでは日々の生活の見通しの良さにつながることを考慮して、「みんな」使用パターンを妄想タイプと気分タイプの違いで、大きく2X2の4つに分けてみました。図表123
利用する妄想のタイプ2区分(赤の地色)
・「みんな」を、私からみてマジョリティな集団と見做す関係
・「みんな」からみて、私をマイノリティと見做す関係
強化したい気分・除去したい気分の2タイプ区分(黄色の地色)
・「みんな」を使って、私の考えを肯定する気分を高める
・「みんな」を使って、私の考えを否定する気分を弱める
図表123に従って、4つの区分ごとに「便利さを享受しようとする気分」を書き添えてみました。「私」と「みんな」の妄想枠を図解します。
・マジョリティ妄想の2つ
「みんなが、そうだから、そうする」(図表124の左)は、マジョリティの枠を妄想にそこに近接する私を置いて、強い肯定感を感じようとします・
「みんなが、そうだから、仕方ない」(同 右側)は、マジョリティ枠の中に自分を置いて、否定感を除去しようとします。
ちなみに、冒頭の会話にあった面倒臭さは「みんなが、そうだから、仕方ない」に該当します。小生は、相手のマジョリティ妄想を使って、娘の自己否定感(仕方ない)を取り除こうとしてたんですね。
・マイノリティ妄想の2つ
「みんなとは違う。これがユニークさだろう」(図表125の左)は、私をマイノリティで妄想してます。それを良いものとして強調したいので、平均的で比較できる範囲を「みんな」にします。
「みんなは関係ない。自信を持っていこう」(同 右)は、平均的な「みんな」に埋没している感覚を後ろめたく感じています。それを取り除きたいので、私をマイノリティ妄想で包み込みます。
◼️「みんな」は生活呪文の一つ
こうやって「みんな」を追いかけていくと、都合よく使っている中にも規則性ががありそうだ。共通しているのは、「みんな」という3文字は、”私の意図”を託しながら、”周囲の自然な同意”を求めて、最後に”しらんけど”を添えてくれる呪文のような言葉なのだった。これを生活呪文と呼ぶことにしよう!
※きっと、他にも生活呪文はたくさんあるのだろう。というか、<シーズン4>生活リテラシーは生活呪文研究プロジェクトみたいなもんか?
さて、生活呪文である「みんな」は「根拠を周囲の人が持っているイメージ」に頼っています。しかし、周囲の人が持っているイメージをイメージするのは私です。相手の妄想X自分の妄想でW妄想なのだ。
これで話が通じると、心の中で「そうかあ、本当に”みんな”はいるんだ」と刷り込まれていきます。
最終的に、私が相手にかけた生活呪文は自分にも返ってきてしまい、自分も呪文にかかってしまうのです。まあ、使いすぎに注意ってことですね。
普段使いの「みんな」を使いすぎると生活呪文になっていくって話だね。
・期待の呪文に変容すると、マジョリティ妄想に自分がかかっていきます。例えば「みんなが、そうだから、そうしよう」がパターン化するなら、いつの間にか「みんな=マジョリティ、私=マジョリティの一員」が良いことだと信じるようなります。
・諦観の呪文に変容すると、マジョリティ妄想から勝手に圧を感じるようになります。例えば、「みんなが、そうだから、仕方がない」がパターン化するなら、「みんな=マジョリティ、私=マイノリティの中の弱者」が常態だと信じるようになります。
・断定の呪文に変容すると、マイノリティ妄想を強化して、自分らしさを強化しようとします。例えば「みんなとは違う。これがユニークだろう」がパターン化すれば、「みんな=平均像、私=マイノリティの中の猛者」という見方がベストだと信じるようになります。
・自信の呪文に変容すると、マイノリティ妄想が不安を生むので、これを取り除きたくなります。例えば「みんなは関係ない。自信を持とう」がパターン化すれば、「みんな=平均像、私=平均像かもしれないという不安なマイノリティ」といった周囲を恐れる習慣に染まっていくようになります。
◼️「みんな」が作る境界線のぼやかし
「みんな」は便利な普段使いの単語です。これ自体は、もっちりした優しさがある言い回しに貢献してくれます。しかし、好事魔多し。使っていると自分も毒される危険がありますので、注意しましょう、てな話でした。
不特定多数を「みんな」で括ろうとする場面では、妄想の中に「平均像」を無意識に作ってしまいがちです。
集団の「平均像」は、生活思創を始めてからここまでたびたび出てきます。平均って、「存在しないのに、確実に表示できるもの」です。
集団から抽出された平均像は問題を起こしません。計算すればいいだけ。でも、平均像出来上がってから、平均に呪縛されるなら大いに問題を引き起こします。因果関係が逆転してます。平均という存在しない幽霊が起点になっているって、ホラーなはず。
「個人の事実→集計→平均算出」から「平均の独り歩き→教条→集団を束ねる信念」としても使われたなら、この時の「みんな」は社会的に存在しないものを含んでいます。「みんな」は、本当に存在する人々を縛る厄介な無存在となって呪いをかけてくるのです。
せっかくなので、図表127を使って予防を試考します。そもそも、妄想は世界の眺めと自分の感情の雑な一致と定義してます。この図表の両端には、代表的なものとして「一人だけ」と「誰もが」が置けます。
自分の感情に向き合うことは一人だけの方向を意味します。面倒臭いからっていう感情に気づいて言語化できたら、もう少し異なった語りになるでしょう。
また、世界の眺めに向き合うことは、「誰もが」と言えるものなどあるのだろうか?、を問うことです。そんなものがあれば、もっと分かり合える世界にはなってるはずだが。ここでも、面倒臭さに負けて、どんな集団も「みんな」の境界線で括れると断言している自分を見る機会になるかもしれません。
娘「でも、”みんなはどうしてるのかな”って、やっぱり気になるよ」
父「気になることと、本気に思っているかは別じゃないかな。”みんな”って言った瞬間から、きっと、その話はあまり重要なことではなかったりして。一番売れてるアイスクリームを理由に選ぶ人って、アイスクリームをそれほど好きじゃない人だからね」
娘「おお、すると、”みんながやってるから、夏休みの宿題をやる”って、夏休みの宿題は重要ではないって意味に聞こえるよ」
父「うーん。否定はしないけどさ。確かに学校に関しては、”みんな”が連発されてたかもな。あなたの父も平均値に呪われている可能性があるのかも」
娘「私の不登校は、呪われた親を清めるためだったんだ!」
2024年も生活思創の文脈を探索します。
シーズン4、生活リテラシーの深掘りは「見通しの良さ」をどんな範囲まで与えてくれるのか、を探ってみております。掘り続けると何か出てくるのだろうか? それとも、どこかに繋がって、導かれるのだろうか?
Go with the flow.
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