脱・サ高住宣言
みなさま、おはようございます!
昨日、シニアの方に「スマートスピーカーってこんなに便利で楽しいんだ!」ということを伝えたいと思って、初めての動画チャレンジにもかかわらず、ぶっつけ本番で撮って、案の定失敗した佐藤です。
※撮り直しをして改めてアップします。。。(涙)
今オンライン連続カンファレンスを松田さん、松嶋さんと開催させていただいてますが、ゲストやご参加いただいた方からいろんなご意見を伺う中で、withコロナの時代、ますます「自発性」や「内発性」が大事だということが分かってきました。
つまり、「自発性」や「内発性」をつんつんしたりする仕組みが、住まい方のRedesignに組み込まれる必要があるということなんだと思います。
「地域」や「住み替え先の住まい」にそういう仕組みが組み込まれる必要があると思うのですが、「サ高住」という名前や制度は、ちょっとそのギャップが大きくて、もうこれからつくるのは「サ高住」やめた!と逆アプローチからプロデュースしよう、と思ったお話です。
サ高住に対する違和感
「サ高住」という言葉にはず~っと違和感を感じてました。
入居者と入居契約を結ぶわけですが、生活科学運営時代は契約書に「サービス」という言葉を使っていました。コミュニティネットを創業して第一号となるゆいま~る伊川谷をつくっているとき、この「サービス」という言葉を使いたくないなと思って「サポート」という言葉に変えました。
「サービス」という言葉を使ったとたんに、「提供する側」・「受ける側」という関係性が生まれて、無意識に縛られてしまうからです。
サ高住は必要か?
ゆいま~る伊川谷をつくったとき、まだ「サ高住」という制度は無く、僕はもっと「住まい」に振りたいなと思って、有料老人ホームの制度ではなく、「適合高専賃」というカテゴリーで、こんな暮らしはどうですか?と世のシニアに「コール」したところ、結構いい「レスポンス」を頂いて、国土交通省さんが「シニア向けの住宅」として整備が必要だと「サ高住」の制度が生まれたわけですが、介護付き有料老人ホームの総量規制と相まって、「サ高住≒介護付き施設」のように広まってしまいました。
結果、有料老人ホームやサ高住は、「身体が弱ったら(介護が必要になったら)入る(検討する)、今は必要ない。」というポジションに完全にはまってしまいました。
正直に言うと、もう「サ高住」という名称と制度は、有名無実化しているので要らないと思っています。
#怒られる
#コンサルに騙されて不幸になった大家さんがたくさん
私が考える人生の幸せとは
「幸せ」についての考えは人それぞれだと思うのですが、環境や要素などはある程度共通のものがあるような気がしています。
いくつかあるのですが、環境という側面で言えば、
・自分のやりたいと思ったことができる
・やりたいことに取り組むハードルが低いこと。
・やりたいことが見つかっていない人が、お手伝いしながら時間をかけて、自分のやりたいことを見つけられること。
・自分のやりたいことを一緒に実現してくれる仲間がいること。
があるのと無いのでは、「幸せ」の感じ方が大きく違うんじゃないかと。
契約書にこんな言葉出てこない
あれ?サ高住に入居しようとしたときに、こんな言葉出てこないです。
まあ、事業者としては「元気な人は勝手にやってね」ということなのですが、ひどいときは「楽しみ」も一から十まで提供される。
僕がプロデュースした住まいには、こういう考え方とかを契約書の前文やいろいろな規程にちりばめるのですが、これがまた「役所が規定した標準契約書」と違いがあるとあれやこれや突っ込みが入ったり、やんわりと削除要求されたりします。
そんなこんなで、withコロナの時代、サービス云々よりも「こんな暮らししましょう」っていうRedesignの内容がメッセージされたり、契約書にかかれたり、実現されたりすることの方がとっても必要だと感じた次第で、「脱・サ高住宣言」したいと思います。
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本日、連続カンファレンス「withコロナの時代、シニアの住まい方はどう変わる?」#3開催です。
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