
生きる術と生きる理由
学校で習う主な5教科は、受験に就職に必要であるとして重視されている。
しかし、実際人が暮らしていく為には何が必要か。
食事方法や生活環境の整え方、仕事の仕方や種類に対しては「実技科目」として存在してはいるものの、殆ど機能していない。
この「生きる術」を学ばす、「生きる理由」ばかりを求めている環境が、鬱や自殺に繋がるのではないか。
空腹と眠気を堪えて勉学に励み、
食事と寝る時間を削って社会に貢献する。
勉学に励んでいても人間性まで求められ、
人と満足に対話する時間もなく1日が終わる。
仕事をするように義務付けるのに、
仕事の内容も体験もやり方もその時にならなければ教わらない。
今の人は満足に「生きる」時間がない。
今なら簡単に適材適所が出来るはずなのに、ない。
歴史上人物は何故有名になったのか。
ある大きな事が動いたとき、たまたまその能力を持った人物がその時その場に1人だけであったから。
でもきっと、その場所に居なかっただけで、何処かには同じ能力を持って、同じ結論を出せた人が居るだろう。
職業体験って
もっとリアルに簡単にできたらいいよね。
もしかしたらその人になれるかもしれないし。
全ての人間の1日を、思考と想像と行動の全てをデータにして、ゲームにしたら誰でも成れるのに。
キャラクターは成長型でなく、レベル1から10までが同時に存在している、現在そのものを作れば失敗も怖くないし。
せっかくだし1人生1職種で自分の才能を図り切ってしまうのは勿体無いと思う。
バカでかいゲームがあったら良いよね。
皆んなで遊べるし。
速く成果が出ることばかりを求め過ぎた現在は、誰でも似たような同じような複製になってしまった。
もっとゆっくり深く考えて何かをつくって良いだろうし、気になる事は1つでなくても良い。
誰かが出来るできない事より、誰かは出来るできる事をやってる方が貴方に向いてると思う。
時間のかからない何かは「やり方」が存在する。
いつ終わるかわからない何かは「やり方」は存在しない。
「やり方」とは教科書であり、
「ないもの」とは人の存在意義である。
おわり
簡単に言うと、
勉強って「やり方」であって事実でない。
だから、
学校の半分は教科書でも良いが、
学校の半分は動いて話さなければならない。