正信偈23「天親菩薩論註解 報土因果顕誓願往還回向由他力 正定之因唯信心」
正信偈 23
天親菩薩論註解 報土因果顕誓願
往還回向由他力 正定之因唯信心
私たちは自分の力で浄土にいくことはできません。浄土どころか、仏道修行や、他人に善行を施し続けることだって困難です。たまには良い気を起こして他人のために生きていこうとしてみても、気がつけば自分のため、自分のために戻っているのが私の姿です。
ウクライナの戦争が始まった頃に世界的な医療団体に少額の寄付をしました。連日の報道に心を痛め、自分にも何かできることがないかと思ってのことでした。それから、定期的に寄付を請う手紙が届きます。開いたり開かなかったりなんですが、ついこの間、いつもより封筒が膨らんでいるのに気がついて開いてみたらボールペンが入っていました。まずはラッキーと思って、それから手紙を読んでいると、○○村で救えた子どもの話、△△村で救えなかった子どもの話、人工呼吸器が3つしか無いから命に順番をつけないといけない、非情ではあるがそうしなければ誰も救えない、目の前で零れていく命をただ見ることしかできないという話。最後に、同封のボールペンで今すぐ寄付の申し込み書に名前を書いてくれませんか?と書かれていました。私はラッキーと考えた自分を恥じました。初めに寄付をしたときは良い心を起こしたはずなのですが、やっぱりいつまでもは続きません。気がつけば自分勝手になっていく自分の姿が現にここにあります。
助からない者が助かる、これは矛盾です。しかし、仏から一番遠いところにいるこの自分、助からない自分が、今助けるぞと聞いている。なぜ助からない者が助かるのか?これを曇鸞大師は「阿弥陀の仏さまが修行を終えられたからだ」と言いきりました。「あなたを助けることができないのならば私は仏にはならない」と誓った方が仏になった。これ以上のことは無いんですね。「南無阿弥陀仏」の言葉として私に届いた仏の誓いを、ただ「はい」と受け取るところが信心です。「はい。分かりました。南無阿弥陀仏。」
仏法を聞いてちょっとはマシな自分になったかなと思っても後からあとから打ち砕かれていきます。自分勝手はどこまでも消えませんが、すべてそのまま認めたぞの仏さまがいます。
これあみだ たすけたいなら たすけさしょう(たすけさせよう)
罪はようやらん(渡さん) 罪はよろこびのたね
浅原才市