お客さんの顔した神さま
人を招くのが嫌いじゃない。
一人暮らしを始めてから今の家に越して来るまで、
そして今の家に移り住んでからも、時々人を呼んでいる。
センジュ出版には創業2ヶ月後から事務所にブックカフェが併設されているが、
このカフェは、売るほどある本と、来客用に集めたコーヒーカップとを、
自宅から事務所に持って来たことが始まりになっている。
なぜ、人を招くのが好きなのか。
・誰かをもてなすこと、喜んでもらえることがシンプルに楽しい。
・食卓を囲む人が増えると、食事をもっと楽しめる。
・そもそも家に呼びたいと思わせてくれる気のおけない相手なので、どう転んだって心地いい。
・話題、思考、価値観含めて、家庭に新しい風を呼び込め、客観性も育める。
・ゆっくりと、その人自身と対話ができる。
そして何より、
・家が片付く。
これがもっとも大きな理由。
この動機が人を呼ばせていると言っても過言でないほどに、人を呼ぶ前の掃除、片付けから始まるあれこれは、心を落ち着かせてくれる。
とはいえ数年前まで、好きでありながらも人を呼ぶのはわたしにとってなかなかに大変なことだった。
なぜなら、時間に追われ、ようやく来客のあるその前日になって食材などの買い出しに行き、片付けして掃除して夜が明けて、
早朝から料理の仕込み、時には料理はお客様がいらしてから、ということも少なくなかったから。
「本当に明日、呼べるのかしら」
と思えるほどに散らかったあれこれを片付けるところから始まり、ハラハラしながら到着を待つ。
結果、当日もまだまだモノが溢れ、満足のいく空間、時間には及ばず。
来客を見送った後、どっと疲れが出ることも度々だった。
この変わりがたかった状況にいよいよ変化が訪れたのが、昨年。
足止めされ、予定に追われなくなり、自分の仕事の場合、自宅でも行うことが可能。
そうなると自宅で過ごす時間が増え、
埃、塵を拾うようになり、見慣れた部屋の光景のあちこちを、少しずつ見つめ直してみた。
このコーヒーカップ、もうそれほど好みじゃない。
忘れていたけれど、イギリスアンティークショップが好きだった。
ここの本棚、もう読まない本がずいぶんある。
そういえば、もともとは植物が好きだった。
この服、やっぱり着ないかもな。
この香り、もう一度買ってみよう。
これはもう不要だった。
自分にはこれが必要だった。
そうした一つひとつが思い出されていったこの1年で、
突然の来客を断る必要がない程度には、自宅が整理されるようになった(寝室など、来客が入らない部屋については、あともう少し時間がかかるとして……)。
あんなにモノが溢れ、どこに何があるかわからなくなることがしょっちゅうだった日常が、すっかり過去のものになった頃、
会社の向かう方向について、今なすべきことについて、
スタッフと共に、ようやくことばにすることができた。
やわらかな芝生に、畑のふかふかな土に、寄せては返す波に、
素足が触れるような。
頭と体がつながるような、そんな心地よさがあった。
つい先日もわたしよりずっと若い年齢の友人がやってきてくれ、
息子が一生懸命作った不恰好なピザを一緒に食べた。
お昼だけでなく夕飯まで一緒にとって、その友人と私たち家族とで、人生ゲームにも興じた。
息子は、たくさん遊んでもらえて、終始ご機嫌だった。
幸せな気持ちそのままに、翌日わたしは部屋の一部を模様がえ。
週末の家具の入れ替えに備えて、ラックを移動させたり、本棚を入れ替えたり。
ずっと気になりながらも見て見ぬ振りをしていたスペースがすっきり。
また一つ、気持ちがおだやかになった。
友人がやってくる前。
息子に掃除を頼むと、
「どうしてお客さんが来ると掃除するの? 別にしなくてもいいと思うんだけど」
と聞かれ、
「お母さんにとってお客さんが来るのは、神さまが来るようなことなんだよ。
神さまは、綺麗に掃除してあるところを居心地良く感じるんだって。
だから、お客さんのことを神さまだと思って、完璧にとはいかないかもだけど、
できるだけ綺麗にして迎えたいんだよね。居心地いいなぁって思ってもらえたら嬉しいからさ」
と答えた。
ふーん、と、わかったようなわからないような返事をして、息子は玄関と廊下と階段、居間の床をそれぞれ拭き掃除。
夫は洗面所を掃除してくれ、こちらはその間料理の下ごしらえが進み、とっても助かった。
うちにいる2人の神さまのことも、忘れがちだけれど、大切にしたい。
これまで我が家にお越しくださった、友人の顔をしたたくさんの神さまたち。
本当にありがとうございます。
またいつでも(と言えるよう心がけますので苦笑)、
お越しをお待ちしております。
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