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#千住暮らしのひとコマ

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千住での暮らしの実際の体験談をお届けします。
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#リレーエッセイ

「城壁」と暮らす

ぼくの目は、千住の大踏切の青い桜並木をくぐった先で土手に突きあたった。 土手を「城壁」と見立てる。千住は城郭都市だ。響きがいいが中身は村に近い。千住の四方を荒川、隅田川、綾瀬川が囲んだため、洪水という侵略への防御として「堤」が築かれた。もちろん西洋のそれとは違う。 ケヴィン・リンチの著書「都市のイメージ」(The Image of the City)に、都市のイメージを構成する要素のひとつとして「エッジ(都市の境界)」がある。 千住のエッジはどれだけの人に認識されているの

千住のコンポジション 〜 序 〜

ぼくの目は、地図と頭の中にある千住を行ったり来たり。 江戸時代、千住は宿場町。江戸四宿のひとつとして栄えた。1625年に建設され、日本橋から2里(約8km)に位置する初宿。日光道中、奥羽道中へ続く江戸の北の玄関。たくさんの人やモノが行き交う、まさに千住は「通り」のまち。 今、わずかに残る建物や蔵は、その時間をつなぎとめているかに見える。 よく目を凝らしてみると気づくことがある。「通り」に面する建物、その土地のカタチ「地割り」は間口が狭くとても長い。この「通り」とうなぎの

千住 路地百景

こんにちは。コロナ過で普段の暮らしについて見直しを迫られていることと思います。新しい生活向けて、僕たちが住んでいる地域について少し関心が持てるように、千住の風景写真をアップしました。お時間のある時に閲覧ください。 #多くの路地が残っているのは理由がある 千住には多くの路地が残っています。法的な要求により、建替えが進めば『路地』は消滅する運命にあります。ですが関連法ができて約74年経つが消えていません。これには何か経済的な要求以外の他の要因があると考えています。 #車が通ら