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#千住暮らしのひとコマ

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千住での暮らしの実際の体験談をお届けします。
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#この街がすき

都市の極相・まちの極相

もう何年か前の話。ぼくの目は、日光の戦場ヶ原あたりを歩いていた。ふと思う、この湿原はやがてどうなるのか。そもそもどこへ向かっていくのか、と。約2万年前の火山活動がきっかけに長い時間をかけて変化し続け、今、"たまたま湿原"であるのか。それともこれが"終わり"なのか。 stay home 生活で、また少し考えてみた。この夏の自由研究。答えはないけど。 森林の教え都市は、まちはどこへ向かっていくのか。変わりゆく街並みは、人間の活動のカタチが現象として表出したものだとしても、ある意

千住のコンポジション 〜その奥へ〜

ぼくの目が、千住のまちの空間構造について、見て、歩いて、考えてきたこと。少しまとめてみます。 江戸、東京、千住 江戸四宿のひとつとして栄えた千住は宿場町。1625年に建設され、日本橋から2里(約8km)に位置する初宿。日光街道、奥州街道へ続く江戸の北の玄関。隅田川の舟運が盛んで河岸と街道が交差するため、たくさんの人やモノが行き交った。 約400年後の現在。舟運が鉄道に変わったものの、時代の変化をまちの中に刻み続けている。品川、内藤新宿、板橋、そして千住。江戸から東京へと変

喫茶店店主の僕がシェアハウスを作ったわけ

こんにちは。 北千住の裏路地でKiKi千住東の家という、 日用品と喫茶の店をしている高木です。 このたび仲間たちと同じく北千住内にシェアハウスを立ち上げました。 なぜ普段お店をやっている僕が北千住にシェアハウスをつくりたいと思ったのか。 それは、実現したい暮らしがあるからです。 今から5年ほど前、僕は都内の不動産会社に入社しました。 不動産業界を選んだ理由は、自分が豊かだと思う場を世の中につくりたかったから。 金融系の会社にしたのは、空論ではなくお金の流れもわかったうえ

旧千住郵便局電話事務室 百周年に向けて

今年パナソニック美術館で分離派100周年の展示が行われ、千住の建物が美しい写真とともに紹介された。その写真は会場でしか見ることができないが、今から100年前、分離派が台頭したその時代に造られたたこの建物を、今でもこの千住の地で見ることができる。 展示会場に書かれていたエピソードには、設計者である山田守によって他の作品とともに当時撮りためた写真がヨーロッパにわたり、巨匠コルビジェの目に触れ、最も美しい作品であると評価を受けることとなった。 千住地域の中で、この建物は宿場町街