東日本大震災から13年目
13年前のあの日のことは、まるで昨日のことのように覚えている。
朝、いつものようにニュース記事を読んでいると、日本で大規模な地震があり津波も
押し寄せているという速報だった。
自分が子供のころ育った東北の街も大震災の被害を被ったことを知った。
その日のうちに被害が尋常ではなく津波も東北の各地に大きな損壊をもたらしたことが
わかってきた。
すぐに幼な友達に国際電話するもつながらない。
その人とは3.11から1カ月後にやっとつながり、家を流され、家財など一切を失い避難所で暮らしていることがわかった。
すぐにその人に服とかを買い国際郵便で支援物資を送った。
パリの日本大使館では弔問と義援金援助に訪れる個人のフランス人が1万人以上もいた。
中にはその場で泣き崩れるフランス人もいた。
フランス全国で義援金をしたフランス人は5万人以上もいたと聞いた。
その後2,3ヵ月してから自分が育った街は津波で木っ端みじんに破壊されつくされた
ことがわかった。
津波がどういうものか、その映像を見るのも生まれて初めてだった。
3.11から4カ月後に福島、岩手を中心に被災地を訪れる機会があった。
破壊の生々しさは言語を超越したすさまじさだった。
思い出の街の建物や自然や道路など跡形もなく、すべてが徹底的に損壊されていた。
そして、被災地の様子を伝える映像記録ドキュメンタリーを1年以上かけて作成した。
東日本大震災の追悼ミサがパリのノートルダム大聖堂で行われ参列したときは
涙が出そうになった。
あと、大震災から2年も経ったときに台湾に旅行したときに、
台北の街角で東日本大震災からの復興を祈念した「甦」(よみがり)という言葉が
綴られた日本国旗が設置されていたり、東北の被災地が風化しないように
大型書店で大規模なイベントが催され義援金を募っていたのを見たときは
大いに驚かされた。
あの大震災から13年経つ。
今でも日本では千葉県沖などで小さな地震が頻発している。
2カ月前は能登半島大地震が起きたばかりだ。
そのような自然災害が頻発する日本という国の将来がとても不安に感じられる。
自分が生まれた親と国土は選べない。
日本人として生まれた運命。
自然の威力はときにすさまじい破壊力だ。
それに比べると人間の命はあまりにはかないが、
人間のささやかな営みはそれでも続いていく。
かつて何度も大地震や津波を経験しても、それでも毎回街を作り直してきた。
それが日本の歴史でもあるが、あまりにも過酷だと思うときがある。