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【連載小説】秘するが花 12

室町殿

 藤若を退けた室町殿は、
 しばらく目を閉じていた。
 自分の喪失感が意外だった。
 
 関白二条良基の導きで、
 藤若の父を見たのは十年前か。
 
 室町殿は、あの男の顔に、
 不思議と亡父の面影を見た。
 男は、ちょうど、
 亡くなった父と同じくらいの歳だった。
 その息子、鬼夜叉は十歳。
 室町殿が、父を亡くした歳だ。
 室町殿が
 鬼夜叉を差し出せ
 というと、男は黙って笑った。
 その笑顔は、何故か、
 父の最期の笑顔に似ていた。
 息子を深く愛する父の顔だった。
 室町殿は、父との別れの時を想う。
 忘れたことはなかった。
 いつでも、あの時に戻れる。
 何度も何度も、あの夢をみていた。
 
「春王よ」
 
 病の果ての父は、
 最後の鎌倉殿は、
 息子を幼名で呼んだ。
 
「春王よ、お前は、
 我が父の生まれ変わり」
「お前は英雄になるだろう」
「お前は、選ばれた者だ。
 おれの自慢の息子よ」

 
 室町殿の祖父、
 第十二代鎌倉殿足利又太郎尊氏。
 源氏が始めた
 武家の棟梁である鎌倉殿の座。
 しかし、
 いつしか
 藤原摂関家や宮家の席に。
 それを、尊氏は源氏に奪還した。
 足利尊氏こそが、源家の英雄。
 その偉大なる尊氏の
 不詳の息子、足利義詮。

 それでも室町殿にとっては、
 この世の誰よりも優しい父だった。
 
「けれどもお前には、
 穏やかな春の王になって欲しかった」
「この世の怒りや憎しみ、
 騙し合いや裏切り」
「それらは、全部この父が引き受ける。
 そのはずだった」
「お前を春王にしてやれずに
 父は逝く」
「父は、頼朝公の守り神となった
 源義朝公に倣う」
「我が残りの命の時を
 お前への祝いに換える」
「おれはお前の守り神になろう」

 
 最後の鎌倉殿は、
 室町殿に笑顔を見せて逝った。
 限りない笑顔で。
 
 足利義詮、享年三十八歳。
 息子の室町殿、十歳の時だった。

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