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ニーファイ第一書17章:荒野での旅 〔質問を尋ねる〕

前書きは終わりました!
今年はモルモン書から学ぶことを分かち合うわけですが、この本はわたしにとって文字通りイエス・キリストに対して「大きな心の変化」をもたらしてくれた大好きな本です!あなたもモルモン書を手にとってみてください!準備はいいですか?

記事の基本的なパターン

本編に入る前にもう少しこれから提供する記事について説明しておきます。

これから毎週、個人の聖文研究のプロセスを紹介する記事は2つのパートに分けて提供するつもりです。

質問を尋ねる:

このパートの記事は、わたしが聖文を読みながら最初に浮かんできた質問を紹介します。これからの「イエス様との個人的な会話」を展開し、深める取っ掛かりとなる質問です。
実際に私がこの度の学びにおいて用いた質問をいくつかを皆さんに紹介しつつ、読者である皆さん自身の質問をわたしやほかの読者に紹介してほしいと思います。

この段階では、投げかける質問への答えはそれほど重要ではありません。とにかく質問を自問してみることです。あるいはイエス様に直接訪ねるような気持ちで質問することです。これらの質問はわたしたちのこれからの研究のガイドとなってくれます。そのガイドに導かれて、学びを展開していきます。

わたしたちが一緒に質問を集めるなら、自身の聖文研究を深めるために、つまり「イエス様との個人的な会話」を深めるために互いからすばらしいヒントを得られると期待しています。

そこで、この記事を読む皆さんに厚かましくも協力のお願いです:
あなたの思いと心に浮かんだ質問をコメントしてください。この「質問を尋ねる」パートの記事は、皆さんの質問がそのように加えられることで完成します。(※記事にコメントを残すには、noteのアカウント登録が必要です)

質問に答える:

「質問を尋ねる」パートに続く記事は「質問に答える」です。
学習のはじめに取っ掛かりとなったいくつかの質問に導かれて、探し、調べ、思い巡らし、理解を深め、更に深く検討し、何よりも自分に当てはめながら自問します。
このパートの記事では、実際にわたしの個人学習がどのように展開されて、どのような理解に導かれたかを分かち合うつもりです。このパートの記事を読んでいただくとわかりますが、研究を深めていく中でさらなる質問が浮かんできます。
聖文研究、「イエス様との個人的な会話」はたった一度の経験ではなくプロセスです。一度で「理解」に達するわけではありませんし「イエス様との関係」が完成するわけではありませんが、深めることが大切です。

この記事を読む皆さんへのお勧めは、実際に皆さん自身も自分の質問を頼りに聖文を研究することです。それから皆さんの思いと心に浮かんできたさらなる質問や発見、深まった思いをコメントで共有してください。

さぁ、それでは始めましょう!

「わたしに従ってきなさい」の読書ペースに従い1ニーファイ16-22章を学んでいきます。

1ニーファイ17章から

今週はこれらの章の中から特に17章から学んだ際にどのようなプロセスを経ているかを紹介します。

リーハイとその家族は荒野を旅してきました。
17章を改めて読みながら、わたしはこの章でリーハイの息子ニーファイやレーマンたちが自分たちの歩んできた「旅」についてそれぞれの視点で話していることが目に留まりました。わたしは彼らの旅について調べたくなりました。

「旅」という視点からの質問

そこで思いに浮かんできた質問は次のようなものでした。


  • リーハイの家族は旅の中でどのような道や経験を経てきたのだろう?

  • 彼らの旅の目的地はどこだっただろう?

  • 彼らは旅の中でどのような困難に直面しただろう?

  • これらの経験は、家族のメンバーそれぞれにどのような経験として受け止められていただろう?

  • ニーファイは自分たちの経験している旅を、旧約聖書のモーセとイスラエルの民が経験した旅と対比しながら話しているが、モーセたちは旅の中でどのような道や経験を経てきたのだろう?

  • 彼らの旅の目的地はどこだっただろう?

  • 彼らは旅の中でどのような困難に直面しただろう?

  • これらの経験は、当時のイスラエルの民にとってどのような経験として受け止められていただろう?

  • これら二つの旅の経験は、どのような共通点があっただろう?


「イエス・キリストの称号や役割」という視点からの質問

「旅」というキーイメージを中心に質問を思い浮かべながら読んでいると、もう一つのことが心に留まりました。それは、特にニーファイが旅について言及する際に「主」とか「贖い主」とかイエス・キリストを表していると思われる称号がいくつも登場することです。そこで、もう一つの軸で、次のような質問が浮かんできました。


  • この章の中で使われているイエス・キリストの称号にはどのようなものがあるだろう?

  • ニーファイはなぜ、自分たちやモーセたちが歩んできた旅について振り返りながらこれらの称号を使いながらイエス・キリストについて関連付けたのだろう?

  • イエス・キリストはリーハイの家族やモーセたちの旅の中でどのような役割を担っていたのだろう?


17章全体を通じて読みながら最初のきっかけとなった質問は以上のようなものでした。一連の物語や出来事から真理を見つけることもあれば、たった1節の聖句から深めることもあります。

質問の次にすること

これらの質問を心に浮かべながら、わたしが次にすることは例えばこのようなことです。

情報を探す:

  • モルモン書をさかのぼって、リーハイの家族の旅の大まかな道のりや出来事についての情報を探し整理します。

  • 聖書などの関連聖句を調べて、モーセやイスラエルの民の旅についての情報を探し整理します。

  • 1ニーファイ17章を見直して、イエス・キリストを表す称号を探し、しるしをつけます。

末日聖徒版聖典や福音ライブラリーアプリには情報を探すときに助けになる資料が含まれています。例えば、「聖句ガイド」や「聖書参照ガイド」、各聖句に関連付けられている注釈や参照聖句などです。

分析する:

  • リーハイの家族の旅とイスラエルの民の旅について得られた情報を比較して共通点や相違点、共有しているテーマや関連性を探します。

  • 見つけたイエス・キリストの称号の意味を調べたり、関連聖句を調べたりします。

実際に、これらについて考えたり調べたりしながら、最終的には特定の聖句やもっと短い特定の文章や語句に心が引かれていくことになります。それらのプロセスは次回詳しく紹介しましょう。

さて、読者の皆さんは例えば同じ17章を学びながら、どのような質問が浮かんできましたか?

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