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リツイート罪?

これまでの経緯は、過去のnote記事を読んで下さい。今回は、あまり深入りしたくありません。私が『社会学評論』に掲載されてから、小宮友根さんらの「トランス人権擁護派研究者」を中心に、根拠のない批判が繰り替えされている件(繰り返しますが、私はトランスを含むすべての差別に反対ですし、どのようにコンフリクトの調整が可能なのかをさぐっていっているだけです)。「論文には論文で」という主張に対して、清水晶子、小宮友根、福永玄弥さんから批判をいただきました。でも一部は、私宛てではなかったそうなんです。

私には沢山名指しで批判されているように思うのですが、「特定の人物を対象としない書き方」をされていらっしゃるのだそうです。ゲンヤこと福永玄弥さんは、このツイートもリツイートされていますし、さかんに同種の発言をリツイートされています。

再び、ゲンヤさんの当該ツイートを見ていきますね。

私は事実としてトランスフォビアを拡散してなどいませんが、福永さんはここまでは明らかに私を念頭に置いて書いていらっしゃる。そして突然最後だけ、他の方を指していらっしゃるのだそうです。

主語が突然変わってしまうなどということは、皆は考えませんよね?福永さんのツイートにいいねをした319人の方、リツイートをされた139名の方、これは「私に対する批判」ではないそうです。誰に対する批判かわかってて、皆さん同意や拡散されたのでしょうか?

でも実際にそうでないらしいのです。小宮さんによれば、

このツイートに実際ぶら下がっていますが、消されたリツイートのお名前を出すのも気の毒なのでスクショにします。

「論文に論文で反論されるのも、反論に反論が来るのも当たり前。嫌なら研究やめたほうがいい」というのは、アカデミアの基本的なルールの確認でしょう? これに少しでも反論される学者はいますか? そしてこのような考え方をする匿名のアカウントに対して「研究者向いてないよ」といったことが、マイノリティ排除の問題でしょうか(しかも本人は、たんに「アライ」だと名乗っている)。明らかに問題は、発言の内容ではなく、私に味方するかのようなツイートをリツイートしたという「リツイート罪」だとしか思えない。

分かるひとにわかればいいように、「他のひとに特定されない方法」を使い、さらにいえば、事情が分からないひと(私を含む)には、私の批判に見えるように投稿するって、いったい何を達成したいと思っているのかと考え込んでしまう。

つまりこれは発言の内容に対して賛同するか否かの問題ではなく、私への攻撃を批判するために出てきた反論を、賛同ととられかねないリツイートをするとどうなるかわかってるねって、わかるひとにはわかる方法でけん制している、っていう話なんでしょうか? そうとしか読めないんですけれども(まぁリツイートが、そもそも賛同を意味するとは限りませんけど)。

もしも清水さんもこのゲームに参加されているなら、リツイートは「言えてしまう」も同然なのですね…。

ごめんなさい。本当に私は、いま怒っています。私たちは研究者です。誰が誰の味方をしたから、だから釘を刺しておかないとっていうようなものにみえてしまうゲームに、少なくとも私は巻き込まれたくないですし、近年の人文系の学問に対する批判も、こんなことに私たちが興じているならば、反論できないじゃないでしょうか…。この年になって、「論文には論文で」ではなくて、SNSでたたき合う、こんなゲームにそもそも参加したくないです。なんだかつらい。

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