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「どうぞお元気で!」と一言書いてあった元親友からの年賀状で決意したこと

とうとうこの一言が書かれたか…。

高校時代の親友からの今年の年賀状。これはきっと私に対する"年賀状じまい"ってやつなんでしょう。というよりも、これから先の人生でもう二度と貴方に会うことはないという宣言なんでしょう。

彼女とは7,8年前くらいまでは年に数回会って、朝から晩まで延々近況を語り合っていた仲だった。まさに親友だった。彼女の存在は私にとって大きく、一生この関係は変わらず続いていくものと信じていた。

ところが、転機は突然訪れた。

彼女の息子さんが中2の時に不登校になり、その時こちらが差し伸べた手を一方的に振り払われてしまったのだ。

確かに、我が子が不登校になった時絶望的になるのも仕方がないと思う。自分の子育てが間違っていたのではないか?と自分を散々責めたのかもしれない。

でも、私の仕事柄そういう子供たちを沢山見てきたし、そういうケースに対してアドバイスできることもあった。単純に友達として悩みを聞くことくらいできたはずなのに、彼女は完全に心を閉ざしてしまった。

メールを何度か送っても無視され、私自身当時かなり傷ついた。

それでも彼女と私の間の友情が簡単に壊れるとは思っていなかった…というより思いたくなかった。

まさか、息子さんの黒歴史を知っている人間は全員シャットアウトするという極端な考え方に至るなんて思いもよらなかった。

昔は元旦に届いていた彼女からの年賀状は、それ以来明らかに私の年賀状が届いてから仕方なく送り返すという感じになった。

それだけでも寂しかったのに、一筆書きの言葉が他人行儀な敬語になり、そのこともまた私を苦しめた。

「今年こそ会おうね!」

と書き続けた私とはまるで対照的だった。

そのうちコロナになり、会うという行為自体やりづらくなったこともあり、私も"会おうね"という言葉は使わなくなった。

数年前、彼女の年賀状にたった一言書いてあった言葉が、その不登校だった息子さんが、

「W大学の政経学部に合格しました」

それを見た時に、何とも言えない不快な気持ちにさせられた。

これは単に自慢したいの?
凄いと言ってもらいたいの?

不登校を乗り越えて、一流大学に合格したこと自体はめでたいことかもしれないけれど、結局彼女は自分の家族さえ幸せならそれでいいという考え方になってしまったんだと…一抹の寂しさと悔しさと色んな感情が綯交ぜになって、思わず涙が出た。

その時に決断すれば良かったのかもしれない。決定的な年賀状が来る前に。

でも、それ以降も私は彼女に年賀状を送り続けた。やめればいいのに。

そして、今年この年賀状が来た。やっと決意した。

来年はもう彼女に年賀状は送らないと。

というより、もう彼女という存在から自分自身を解放してあげようと。

もちろん、彼女に固執してきたのは私であって、彼女の気持ちはとっくに私から離れていたわけだからおかしな話なのかもしれない。

でも、人生で親友と呼べる存在はそんなにいないし、彼女は間違いなくその一人だった。その彼女という存在を完全に失うことが心のどこかでずっと怖かったんだと思う。

でも、決意をしてしまえばこんなものか。清々しいほど心がスッキリしたというか、憑き物が取れたというか、そんな気持ちの自分が今はいる。

私のこれからの人生にもう彼女は必要ないんだ。楽しかった時間だけを覚えていればいいんだ。

そして、もしもいつか道でバッタリ会うようなことがあった時、余裕の笑顔で「久しぶり」と挨拶しよう。元親友に。

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