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ココロの喪失感とゴミ屋敷の関係性

「今、すごいことになっている。部屋の乱れは心の乱れ。自分の精神状態が家に反映されているのよ」

という『マツコ&有吉 怒り新党 解散!! 生放送2時間スペシャル』においてマツコ・デラックスが言った言葉を見てフト思った。ココロの喪失感とゴミ屋敷は密接に関係していると。

マツコがこうなったのは、母の死が原因だというのは恐らく正しいと思う。誰かのために頑張ってきた人がその人を失った時、何のためにこれから生きていくのか目標が見えなくなってしまい、何もやる気が起きなくなってしまうのは想像に難くない。

仕事は周りに迷惑をかけるから何とか踏ん張ってこなすけれど、自分自身のことで重い腰を上げるのが辛い時ってあると思う。そうなると、部屋の片付けが後回しになり、ゴミが溜まり、捨てるのが面倒になり・・・というゴミ屋敷一直線の悪循環。

テレビでゴミ屋敷の片付け番組をたまーにやっていることがあるけれど、例えば両親が亡くなってから誰もいない家が寂しくて、通販で物をついつい買ってしまい届いた段ボールを開けることもなくそのまま放置して山積みになっているとか。家族や恋人、親友・・・自分の大切な人を失ったことがきっかけでゴミ屋敷の道に踏み込んでしまった人も多いように思う。

ココロの隙間を何かで埋めようとして、物(これがたとえゴミであっても)で一杯になった部屋になぜか安心感を覚えるというのも、寂しさを紛らわすためのとりあえずの術なのかもしれない。

そう思うと、孤独っていうのは本当に怖いものだ。普通の感覚が麻痺してしまうことに繋がるからだ。ゴミに囲まれて生活するなんてまともな精神状態ならば当然避けるはずだし、片付けはともかく、少なくともゴミを捨てるという行動はとるはずだ。

マツコは笑顔で有吉と夏目三久の結婚を祝っていたけれど、2人が築き上げる家族としての未来に自分が入り込む隙間はないし、自分の孤独をまざまざと突きつけられてしまったのではないだろうか?

歳を重ねると、相手と出会った頃の友達関係をそのまま継続するのが難しいことを痛感するし、新たに友達を作ることの難しさも実感する。

いかにありのままの自分をさらけ出せる存在が必要かを感じながらも、その対象を見つけることは容易ではない。

だからこそ、今自分の周りにいる大切な存在を大切にしなければならないんだと改めて感じる。自分のココロの喪失感を埋めてくれるのは、物ではなくて、人であって欲しいと私は思う。



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