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人の人相は経験や考え方一つで別人のように変化するということを改めて感じた今年の「24時間テレビ」

「24時間テレビ」。

昔は日本国民の多くがこの番組の趣旨に賛同し、毎年一度の募金のために貯金箱にコツコツ家族でお金を貯めていた時代が間違いなくそこにあったと思う。

それがいつしか出演者に多額のギャラを払っているのはボランティア精神とは違うとか、障がい者の人たちを見世物にしているとか、常に批判にさらされる番組になってしまった。ON AIR直前直後、番組の存続意義に言及する記事も多く目にする。

私は子供の頃から当たり前に観てきたこの番組から毎年何かしら生きるヒントみたいなモノを得られると思っているので、なんだかんだずっと観続けている。

今年の「24時間テレビ」は全般的に非常に良かった。というより素直に感動できた。何かに頑張っている人たちがみんな輝く笑顔でいたこと、これに胸を打たれ、笑顔の持つ力を改めて実感した。

亡き父の遺志を継いでトライアスロンにチャレンジした輝星ちゃんも、常に笑顔を貫き通した。たった12歳で50キロ以上のトライアスロンに挑むのはこちらが観ている以上に過酷だったはずなのに、彼女はいつも笑顔を絶やさなかった。

「辛いことがあっても、不貞腐れたような顔をしているより笑っている方がいい」この素晴らしい考え方を彼女から学んだ。できそうで、なかなかそうはできないものだから。

24時間マラソンのEXITの兼近大樹、通称かねちの笑顔も非常に印象的だった。見えないところでは足や腕の痛みと闘っていたけれど、テレビに映るその時は常に笑顔に切り替えた。

24時間マラソンについては、この亜熱帯化した今の日本で100キロ走らせることに対しての批判は止まない。ここ数年はコロナの影響でリレー形式にしたりでいわゆる24時間マラソンではなかったけれど、今年は彼が自ら立候補して実現した。

腕が足より先に痛くなるほどすべての声援に応える彼のファンサービス精神、辛い顔は絶対に見せない。最後まで笑顔を貫く信念…まさに有言実行の100キロだった。全てに感動した。彼の一ファンになった。

彼が貧乏な境遇に対して社会のせいだと決めつけ荒れていた頃の写真が衝撃的だった。目はうつろ、生きる気力さえも無くしていると感じられるほどの無表情な顔。今のかねちとはまるで別人。

ここで昔人の人相がここまで変わるのか?と驚いた経験を思い出した。

以前バイトをしていた会社と仕事上の付き合いがあったある紳士がいて、その人は背も高く服装も一流のスーツをいつも身にまとい、ワインにも詳しく、いわゆるダンディーで素敵なおじさまという雰囲気の人だった。物腰柔らかく、優しい笑顔が似合う人だった。

ところが、その人が会社のお金を使い込んでクビになるという噂を聞き、まだ若かった当時の私は相当ショックを受けた。恐らくそういうタイプの男性に出会ったのは初めてだったこともあり、淡い憧れめいた気持ちを抱いていたのだと思う。

辞める挨拶にその人が会社を訪れた時、もっとショックだった。顔つきがまるで別人のようだったからだ。犯罪者のような、悪人の目つきにすっかり変貌してしまっていた。人の人相はこんなにも短期間でここまで変わるものなのだと初めての経験だった。

かねちの昔の写真と今の素敵な笑顔。彼の考え方や経験が、彼の表情を一変させたわけだ。

世の中を恨み、大好きだった野球も諦めて生きる意味さえ失っていた彼が様々な人々の優しさに触れ、誰かを沢山傷つけてきた自らのそれまでの行動を反省し、お笑い芸人という人を楽しませて笑顔にする仕事に導かれていったということに大きな意味があったのだと思う。

彼がチャラ男キャラで派手なピンクの頭で…というのは表向きであって、本当は真面目で謙虚な兼近大樹という人間だというのは、今回の姿を通して今や誰もが知るところだと思う。

鬱屈としていた時代から解き放たれたかねちの今の象徴が、あの笑顔なのかもしれない。

来年もまた、沢山の頑張る人たちの笑顔を観たい…そんな「24時間テレビ」であり続けて欲しい。

追記:かねちの相方りんたろー。の人柄も素晴らしかった!



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