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流産を経験して この子を妊娠した意味を考える


どちらかというと現実主義なほうだと思う。昔から、ファンタジーやスピリチュアルの類は興味がない。奇跡とか運命とかは信じていなかった。それは今も変わらない。

そんな私でも、お腹の中で一つの命を育て、失ってしまったこの経験について、考えずにはいられない。



自分にとって、どんな意味があったんだろう?

この子は何を伝えるために来てくれたんだろう?




事実だけを見れば、受精卵になったけどたまたま染色体異常があって、たまたま11週まで大きくなって、でもやっぱり異常が見つかって、流産になった。

ただそれだけ。
珍しいことでもなんでもない。

でもお腹に来てくれた子は正真正銘世界で初めて私のお腹に宿ってくれた子なのだ。

自分の人生にとってこんな意義があったのだと考えることは、
この子の短い命に意味を与えることは、
世界でただ一人、この子の母である私にしかできないことなんじゃないか。


印象的な出来事によってそれまでの価値観が変わることは、誰しも経験があると思う。


忙しい日常に戻り、仕事に家事に追われていると、この気持ちが薄らいでいってしまうかもしれない。今のうちに記録しておく。



家族の最小単位は「夫婦」

2024年11月に妊娠が判明する直前、10月まで夫婦仲は最悪だった。きっかけは不妊治療。


女性である以上仕方ないことだが、私ばかり負担が大きく、夫がその気持ちを聞いてくれない、理解しようとしてくれないのが不満だった。ネガティブな気持ちを言葉で伝えて、上手に夫に頼ることができなかった

やっとのことで排卵できても、プレッシャーで勃たずタイミングがとれなくて、悲しくて悔しくて夜通し泣いたこともあった。その辺はまた不妊治療についてまとめるときに書こう。


そんな私たちが、妊娠したことをきっかけに、お腹の小さな命を守ろうと2人で協力できるようになった。同じ方向を向けるようになった。

たった1ヶ月だったけど、赤ちゃんの成長を共に喜んで、
異常を指摘されてからは、一緒にいろんなことを調べて、励まし合って、
悲しみを分かち合うってこういうことなんだと初めて知った。

流産処置を選んだ時も、何時間も話し合って、お互いが納得できる答えを模索した。夫の涙を久しぶりに見た。


結婚式の時に誓った通り
「病める時も 健やかなる時も お互いを愛する」
ことが、気づけばできていた。

こんなに大好きで信頼できる人は世界中どこを探してもいないと、出会って10年目にして最も強く思った。そしてだからこそ、この人との子どもがほしいと、心から願っている。


この子はもしかして

「親になるなら喧嘩ばっかりしちゃだめだよ」
って

「夫婦ってこうやって家族になるんだよ」って

私たちに教えるために、来てくれたんじゃないのかな。


働き方を問い直す

もともとキャリア思考で、子どもができても働く気満々だった私。

仕事が忙しい両親の背中を見て
「働かざるもの食うべからず」くらいの勢いで教育されてきたから、
女も働いて当たり前だと思って生きてきた。
将来は専業主婦になりたいと言う友達の気持ちが、全くわからなかった。



流産を経験して、初めて
「別にフルタイムにこだわらなくてもいいのでは?」

と考えるようになった。



不妊治療に集中したい、早く自分の子供を産みたいと思ったし、治療を頑張るなら1日でも若いうちがいい(あくまで私個人の考えです)。

今は夫という、家計的にも精神的にも支えてくれる人がいる。彼に頼ってもいいんじゃないか。もしいつか彼が働けなくなったら、私が頑張ればいいのだ。

何より私は専業主婦になることや、パートタイムで働くことが怖かった。
フルタイムで働く正社員じゃないと一人前じゃないと思い込んで、自分自身を縛り付けていた。
誰かに頼ることもできなかったし、したくなかった。


でも、私は今まで十分頑張ってきたじゃないか。
不妊治療しながらがむしゃらに仕事して、
まだ20代なのにストレスで白髪だらけになったじゃないか。
そばに頼れる人がいる。貯金だってある。


がんじがらめでカチカチに固まっていた頭が、少しずつ柔らかくなっていく。



「もうちょっと気楽に生きてもいいんじゃない?」
赤ちゃんの声が聞こえた気がした。




とはいえ仕事自体は大好きだし、
悲しい気持ちを紛らわす効果は確実にある。
今の職場でパートタイマーになるとか、
同じ業種で家の近くに転職するとか、
働き方を変える方向で考えている。
いろいろ決まったらまた書こうと思う。


自分にとっての幸せって?

ちゃんと仕事をしてないと一人前じゃないと思い込んでいた原因の一つに、友達の存在がある。
特に大学時代の友達はバリキャリで華やかな子が多い。

大企業でばりばり稼ぎ、
やりがいがある仕事を楽しみ、
素敵な家に住み、
豪華な結婚式を挙げ、
いつも綺麗でいる。


私もそんなふうになりたかった。
誰かから羨ましがられたい、すごいと思われたい
他人から評価されることを求めていた。

華やかな友人たちと自分を比べ、
仕事頑張らなきゃ、美容にお金を使わなきゃ、ハネムーンは海外に行かなきゃと焦っていた。
私もそっち側の人間なんだと示したかった。




もちろんそういうのも素敵だけど、
今の私は

夫と毎日笑い合って過ごせる日常が、
帰ったらホッとできる実家があることが、
なんでも相談できる友人がいることが、
そういう人間関係を築けていることが、

この上ない幸せだと感じている。

理想を追いかけるんじゃなく、
すでに掌にある幸せに
やっと目を向けることができた。

もちろん子供はほしいけど、
いない間も豊かな人生を歩みながら待とう。

お腹に新しい命が来てくれた時
ニコニコでいられるママになろう。



みんなに優しくされながら、
自分にも優しくしながら少しずつ回復して、
元気になったら周りに優しさを返そう。

私ならきっとできる。


強くないし、華やかでもない私だけど、
自分を少し好きになれた気がする。
せなちゃんのおかげだよ、ありがとう。

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