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「強い男」の呪縛。男性が“涙を流せる社会”について、女性が本気で考えてみた

今回のテーマは「男らしさ」について。

私は女性だけれど、男性社会って生きづらそうだなと…女性ながらに思うことがこれまで多々ありました。

インスタのフォロワーさんからも、こんなメッセージが届いていたので、皆さんにシェアしながら考えてみたいと思います。

本日のメッセージ

「『男らしさ』みたいなのが嫌い。ジョージとかのYouTubeもそう。繊細な男性が生きづらい」

「繊細な男性とか、感受性が強い男性を「チー牛」「非モテ」とかラベリングして叩くYouTube」

“男らしさ”ってなんだろう

まずはじめに、私は女性として生まれて女性として生きているので、男性社会をリアルに体験したことはありません。

それでも、男性社会は女性社会よりもはるかに生きづらいだろうな…と感じます🥲

女性社会は、“女性らしさ”の呪縛が少しずつ解けて、変化し始めています。

例えば、男性と同じくキャリアを築いて社会で活躍できるようになったり、「ボディポジティブ」などの動きで多様な容姿が受け入れられるようになってきたり。

まだまだ変化の途中ですし、課題も山積みですが、確実に良い方向へ向かっていると私は実感しています。

一方で、男性社会はまだまだ画一的な“男らしさ”が求められる、生きづらい社会だと感じます。

・筋トレをして身体を鍛える
・マインドフルネスで安定した情緒を手にいれる
・キャリアに集中してお金を稼ぐ
⇨これらをクリアして女性からモテる

女性から見て、多くの男性が憧れる男性像のイメージはこんな感じです。

”いい男”のモデルは非常に画一的で、それ以外は”ダメな男”や“情けない男”に認定される…この社会構造に焦りを感じたり、無自覚のうちに洗脳されたりして、過度な(歪な)自己啓発にのめり込んでいくのではないでしょうか🤔

実際に、メッセージでも名前が挙がったジョージさんこと「メンズコーチ」的な存在が、近年浮上してきていると感じます。

メンズコーチって何?

そもそもメンズコーチとは、“魅力的な男性”になるための情報をSNSで発信するクリエイターのことを指します。(明確な定義はよく分かりません😅)

日本のメンズコーチの代名詞といえば、ジョージさん。2024年8月時点でYouTubeのチャンネル登録者は38.4万人と、かなり影響力のある人物です。

「スポーツ経験がない男は危機感を持ったがいい」というセリフが話題になって、私も彼の存在を知りました。

ジョージさんは、発信する理由を「強い男を取り戻すため」だと明かしているそうで、

「現代社会の便利さが、本来あるべきはずの男の強さを奪い、軟弱な男を量産してしまっている」

UNIxy Journal

と語っています。

自身の過去についても、昔はコミュニケーションが苦手で自信が持てず、女性とまともに話せない自分が嫌だったことや、成長するために留学してアクションを起こしたことを明かしています。

確かに、理想の自分になるために努力することは素晴らしいし、実際にアクションを起こすきっかけになるようなコンテンツとして、評価できる点もあります。

ジェンダー規範に支配された生き方は、誰を幸せにするのか

一方、どうしても腑に落ちないのは「本来あるべきはずの男の強さ」というメッセージ性です。

ある日、ふとSNSを開いておすすめ欄に流れてきたジョージさんの動画に、私は目を疑いました。

ジョーfitさんのTikTokより

……..!?!?!?

続いて、「ジム行かない奴ちょっと説教しよう」というテロップが😧説教って…なに?

確かに、ジョージさんを含め、“強い男”になるために努力することで救われる男性もいると思います。

一方、“強い男”になることが、すべての男性にとって幸せであるとは限りません。ジョージさんのコンテンツは、その可能性を完全に排除したものであることに、私は強い危機感を抱きました。

画一的な“男らしさ”のモデルが社会に広まれば広まるほど、ジェンダー規範はより一層強まり、多様性は失われます多様性が失われれば、生きづらくなる人がより一層増えるだけです。

人間は、もともと多様な生き物です。外見も、内面も、ジェンダーも。それなのに、あえてたった1つのモデルを“正解”として、皆んなでそこに群がるほど無意味なことはありません。

だからこそ、その画一的なモデルに当てはまらないという理由で“説教”すること自体が無意味で、そもそも、そんな権利は誰にもないのです。

多様だからこそ、幸せのかたちも十人十色。男だからとか、女だからとか、そのあり方にジェンダーは関係ありません。

男性が泣いてもいい社会へ

私は、変わることでしか幸せになれない社会よりも、自然体のままで幸せになれる社会の方がいいです。

ジョージさん自身も、過去に嫌な思いをしたことがきっかけで変わったと明かしていますが、もし、男性社会に「コミュニケーションが苦手な男性」の居場所があったとしたら

自身の短所に過度に厳しい性格であれば、同じように変える努力をしたかもしれません(私もそのタイプ😅)

でも、「ジム行かない奴はもう男やめた方がいいよ」などと発言する人物になっていたでしょうか?私は、そうは思いません。

ジョージさん自身も、現代の男性社会を生きる男性の1人です。彼が提唱しているのは、あくまでも過酷な男性社会をサバイブするためのノウハウでしかないのです。

そう捉えると、彼のコンテンツは妥当だと思います。それほど、男性社会が生きづらいということなのです。

だからこそ、“男らしさ”の呪縛に疑問を抱いたり、息ができないと感じる男性陣には、その気持ちを大切にしてほしいと思います。

涙をこらえてジムへ行くよりも、信頼できる人を見つけて、涙を流してほしいし、弱音を吐いてほしい。「しんどい」と打ち明けて、助けを求めてほしいと私は思います。それでいいんです、男性だって人間なんです。

男性社会の生きづらさに警鐘を鳴らす人物がもっと増えたとき、確実に変化の時は来ると信じています。女性社会がそうだったように。

最後に、この文章を書くにあたって読んだネットの記事で、心に残るフレーズがあったのでシェアしようと思います。

女性同士は割と感情のやりとりを日常会話の中でして、気持ちが浄化されて、次に進めるんですけれども、男性は弱音をはけずに、つらさを感じないように封じこめて、ため込んでいって、薬物やアルコールやギャンブルで紛らわす。

「男だって生きづらい 『男は強くあれ』の呪縛とは」

自分の痛みに鈍感ということは、他者に共感する気持ちになりにくい。逆に自分の痛みに鋭敏であれば、他者の痛みにも思い至る、共感的になれるということ。本来、人は痛みを分かち合うもので、つらかったよね、しんどいよね、という話が日常的にできるといい。

「男だって生きづらい 『男は強くあれ』の呪縛とは」

今日を必死に生きる男性に、想いを込めて。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました😌

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