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じぶんを癒す「書く瞑想」 〜ジャーナリングを1年続けてみた〜

2024年1月から「書く瞑想」としてのモーニングページ、いわゆるジャーナリングを続けてみた。
『ずっとやりたかったことを、やりなさい。(ジュリア・キャメロン)』で紹介されている「モーニングページ」は、毎朝頭の中にある言葉をノートに書き出す。この行為は「脳の排水」と称されている。

わたしのある日のモーニングページ。フェルマータくんというゆるキャラが生まれた

ただ、実際のところ、「モーニングページ」も「ジャーナリング」もなんだかまだ借り物のコトバである。19歳くらいからこれまで、ずっと何かを考えるときや決断をする時にはずっと手帳に思いを書き出していたし、万年筆はそのころからずっと相棒だ(今年、モーニングページを続けるぞ!と気持ちを新たに、少しハイクラスの万年筆を購入したところ)。PILOTのコクーンも安価ながら、滑らかで細い線が書けて大好きだったなぁ。

以前はお気に入りの方眼ノートに向かい、ばばーっと思いを書くことを「じぶん会議」と呼んでいた。「じぶん会議」は不定期開催だが、悩んだ時や塞ぎ込んだ時、それこそじぶんなりの答えが出るまで2時間近くかけて行うこともあった。
しかし、最近は学生時代と比べると悩みの質も変わってきて、楽しくもの書きタイムを味わいたいなという気持ちも芽生えてきていた。

「モーニングページ」と呼ぶか「ジャーナリング」と呼ぶか、「じぶん会議」でいくか……。以降は、最近市民権を得ている「ジャーナリング」で統一してみる。


気分が明るい時もつらい時も「書く」ということ

今まではどちらかというと「つらい」場面で、自分の次の行動を熟考したり、気持ちに潜っていって本音を探したり……という使い方だったのだが、この1年は「その時の体と心の状態を丸ごと書く」ということを意識していた。もちろんもっと書きたい時は「じぶん会議」的な書き方をすることも。
目的や効果を探しすぎずにやってみたのだが、思った以上に自分にはメリットが大きかった。

自分の気持ちをとらえる瞬発力が付いた

脳の排水、と冒頭で書いたが、書いているうちに思考があっちこっちに転がり、行きつ戻りつするのがわかった。
来月の〇〇のお金のことが心配、誰々と相談してこうこうして工面しようか。冷蔵庫のほうれん草が傷みそう。家計簿では……(お金の話に戻る)といった具合。

最初は少し自分の思考の落ち着きのなさに驚いたのだが、そういうものなのかも……としばらくそのまま続けてみると、その時その時の自分の気持ちをキャッチし、言葉にするのが早くなった。
これまでは悪意のある言葉をぶつけられてもヘラヘラしてやり過ごしてしまい、数日後に「どういうこと?」と自分の傷に気が付く、ということが多かったように思う。自分の体や気持ちをスキャンして丸ごと出す、ということを訓練すると、自分の気持ちや考えをぱっと捉えられるような……肩に止まった蝶を優しく素早く指でつまむような、そんな感覚が身についた。

本当にいやなことがわかってきた

怒りや反芻してしまう不快な気持ちをそのままノートに表現していると、結構反芻する感情には周期があることが見えてきた。
自分の場合は、親や祖父母に言われて嫌だったことなどを思い出して、怒りが沸き立つ……という反芻思考が起こることがあった。何か刺激を受けて、凪いでいたはずの感情がまたワーッと沸き立つ。ーーだが、これらは割と一過性のものだとわかり、そうした感情が湧いてきても「真正面から取り合いすぎない」という選択が取れるようになった。

また、自分が「見下された」と感じやすい他人の行動パターンが見えてきて、あまりにも恒常化してしまった関係は見直すことができた。
ジャーナリングをする中で、「この人とは付き合いをやめよう」と決められた場面があって、自分で人生をドライブしている感覚が持てて嬉しかった。

自分の意外な一面に気付く

モリモリ書いていると(書くことが思いつかない時には「思いつかない」と素直に書くのがセオリーなのだそう)、自分では思っていない言葉が出てくることがある。最近は「年末の晴れ間が好き、正月っぽくてわくわくする」「やりたいことが出てくる」とあって、寒さ=メンタルケア強化、と思いすぎていた私は「おっ、年末年始に向けてだいぶワクワクしてきてるじゃん」と少し嬉しくなったりした。特に朝は動悸を感じる日も多く、振り返ってみると「ちょっと詰め込みすぎたな」「疲れてるかも」「そういえば肩かなり痛いな」とか、身体的なスキャンもできるようになった。
ジャーナリングを続ける中で、がむしゃらに頑張りがちな自分が、より「快適さ」を求めたい気分になっていることにも気付けた。これは「じぶん会議」ではどうしても野生的な気持ちよりも理性的な判断が入りやすいので、ジャーナリングに切り替えてよかったなと思っているところ。

好きなインクを走らせる時間が癒しそのもの

以上、意識的に始めたジャーナリングのよさを並べてみたが、お気に入りのインクで、お気に入りの万年筆で、自分だけの時間を取ることの贅沢さ。粘度の高めのインクでヌラヌラペン先を滑らせる。気に入ったチケットや紙類も自由に貼ってみる。方眼の用紙を使っているのはこの10年変わらない。
気に入った道具を扱う時間は、自分を大切に扱う時間そのものだ。
頭の中にぐちゃぐちゃと絡まる思考を外に出しておけば、そこは外部脳になるので自分のあたまで保持し続けなくて済む。

半年で使い切ったノート。蔵前のカキモリで中身を詰め替えてもらった

まさに「書く瞑想」そのもので、じぶんを癒すためにこれからもジャーナリングの時間を取っていきたい。

これからも、このノートのヌメ革部分と同時に、自分の気持ちに対する感度を育てていきたい。

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