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ずっと転校生のような心地で。
引越しの多い家族だった。
母親と一緒に、平均して約2年ごとに引越し。実家を18歳で出てからも よく引越しをした。計23回。
「転勤族だったの?」と聞かれることがあるけど、違う。何かから逃げていた訳でもない。
最近のこと。
幼少期。
知らない土地に行って、一時を初めましての方と過ごす。国内だからもちろん言葉は通じるのだけど、会話の内容が分からない。あれもこれも初めて知ることばかり。
今年はよく遠くにお出かけしていて、毎回同じような心地になる。緊張するけれど居心地は悪くなくて不思議で。
待ち合わせて会えた時の安心と緊張の感じ、知らないことを教えてもらう嬉しさ、知らなくてもいいこと、別れる時の寂しい気持ち、帰路の吸い込まれるような歩んでいくような感覚。
北海道から帰る帰路、空の中でnoteを書きながら、また日常が続いていくことを思った。毎日を頑張れば良いという安心感と、それを続けないといけないという不安。
私の中で湧き上がる混ざった感情を見ながら、この気持ちはどこから来ているのだろうと考えた。
感情を辿って。
5歳で幼稚園を転校した。小学校は3回変わった。慣れた頃に引っ越して、また転校生で。学校に行かない間も引越しをしたから、あちこちで私は新入りだった。馴染めた時もあれば馴染めなかった時もあっ
たけれど、いつだって私は転校生で新入りで。
そうして、同じ環境で頑張ること、他人と関係を続けることを免れてきたのかもしれない。辛い家庭環境の中、そこで生きていくことに精一杯だったけれど、それだけな気がした。過去の私がこれを聞いたら悲しむだろうけれど少し聞いていて欲しい。
"それだけ"な気がしたこと。
予測出来ない変化は好きじゃない。けれど私は私が上手く対応することを経験で知ってる。感情よりも頭が動き出し行動が進む。それは幼い頃からの成果だと思う。そうやって生きてきたことの。
引越しが決まると、当然 引越しをすることが生活の
中心になる。荷造りのスケジュールを作り、友達へ報告をし、行っておきたい場所に行き、引越し先のことを調べる。
その行動で感情も向きを変え、心配な人間関係、嫌な予定、全部が(どうせ引越しするしいいや) と変わる。それを繰り返し、引越しのたびに疎遠になる友達との関係も、新入りへの優しい扱いも、疎外感も、当たり前のように感じるようになった。
当時、抗えない変化は痛かった。痛みは楽しさでは消せないけれど、変化に慣れると少なくなる。そして慣れれば別の問題に目が向く。変化が頻繁だった私は、"変化" に対応するだけだった。目の前の問題を取り組まないまま、次の変化、その繰り返し。
宥めて留めて向き合って。
大人になって、少しずつ気づいていたけれど。ちゃんと向き合おうと思った。同じ環境や生活を続けたい気持ち、その中で躓いた時、どうしたらいいのか分からないこと。分からなくて難しいなら、"変化" をすればいいじゃない と囁く私。
最近は毎日、そんな私を宥めて諌めている。先の変化を口にして、後何年いや何ヶ月だと言い聞かせながら、本当に"変化" で良いのかと問いかけて留めて。
今の私は知っている。とりあえず繰り返す毎日があることで安心が作られること。同じ環境と人間関係で何かが出来上がること。
だから、もう少しだけ。せっかくここまで来たのだから、頑張ってみようよ。苦しさが痛みに変わって悔しさを上回るまでは、まだ まだ。もう逃げなくても、だいじょうぶだよ。
そうやって今までとは違う形を積み上げて。次の景色を見に行こうね。
Sena.