勝手に信じてもいいと思う
最近思うようになったこと。
勝手に信じてもいいと思う。
例えば、
「いつでも相談してね」
「見捨てたりしないからね」
「めんどくさいなんて思わないよ」
みたいなことば。
もらって嬉しくて、安心した、あのことば。
最後に話したのいつだっけ?
いつから話しにくくなったんだろう。
私が何か気を悪くさせちゃったのかな。
だからもう寄り添ってもらえないのかな。
そんなことを毎日考えて、こころを隠して 平気や大丈夫を演じればいいのかと揺らいで。
「もう無理だよ」
そう言われるのが怖くて、何も言えなくて聞けなくて話せなくなって。
でもだから、私は、勝手に信じることにしました。
正確に言うと、それしか方法が無いのかもしれない。だって否定されたら私は生きられないじゃないか。
きちんとしたい。
その思いが強い私は、
相手に聞いて、許可を取ってからじゃないと勝手に信じるのはいけない。
なんて冷静に考えると、よく分からないルールを作った。
「まだ あの約束は有効ですか?」なんて聞けるはずも無いのに。
確信が欲しくて、聞くのが怖くて消えたくなって。
そう思うほどに生きていくのは辛いから。
不確かな自分の存在を認められなくて、認めて欲しくて、縋りたくて。
そんな苦しさの中で、ふと思ったこと。
それ、どうしても今聞いてはっきりさせないと駄目?
勝手に信じても良いんじゃないかな?
だから私は、勝手に信じることに決めて、その努力をすることによって気を紛らわせてる。
「今きっと忙しいだけ、また前みたいに話せるよ。
だいじょうぶ。
存在のたいせつさを感じさせてもらったこと覚えてるんでしょ?
だいじょうぶ、だいじょうぶ。」
そう毎日自分に言い聞かせて、白か黒かでは無い曖昧を考える訓練を自分に課して、この世界で今日も私は生きてます。
約束をいつまでも、私だけが信じていたって良いと思うの そんな綺麗な世界に生きていないのだから。
大好きなヨルシカのLIVE、本日です!!!
Sena.
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