映画リバーズ・エッジの再限度が高すぎるので他の方の感想も聞きたい
アマプラでみたのですが、再現度高すぎ。
こういった原作付き、特に漫画が原作だと登場人物のビジュアルか雰囲気を寄せて他は映画の表現だったりカット割りだったり演出が加わるものですが、こちらはそのまんま。
「何だこりゃ!?」という驚きで最後まで見ました。
漫画が原作の映画について
漫画が原作の映画については同じく岡崎京子原作、蜷川実花監督の「へルタースケルター」が秀逸だなと。それは、「原作の表現まま」ではなく「蜷川実花の世界なんだけれども原作の世界感でもある」という秀逸さで、漫画と見比べると当然ですがそこまで同じなわけではないんですよね。リリコのビジュアルとキャラが強烈に沢尻エリカで作品の狂気的な熱量が蜷川実花というか。
という感じに監督と役者と原作のカラーのぶつかり合いが、原作付きの面白さではないのかと。その意味で「へルタスケルター」はすごいと思いましたし岡崎京子の世界観を描いた映画はこれを超えるのは難しいのでは。と思っていました。
リバーズ・エッジの再限度 キャストのビジュアル
メインキャストの6人、二階堂ふみ演じるハルナと吉沢亮演じる山田は最たることながら、他の4人は見た目以上に表情や動きがそのまんまでした。例えば、
観音崎(上杉柊平)→ロン毛の厚みと腰パンが当時の流行。一番最初の登場シーンが馬鹿すぎて、あのシーンで「あ、観音崎ってこういうやつだった」って思い出した。
吉川こずえ(sumire)→ハルナが保健室でこずえを見かけるシーンの、横からのスタイルが岡崎京子の絵そのまんま。
そして、個人的にすごかったのがこの二人。
小山ルミ(土居志央梨)→こちらもやはり最初の登場シーンが漫画そのまんま。顔の角度といい、気だるげな話し方といい。ルミちん!私の頭の中のルミ!おでこから顎のラインの少ふっくらしたセクシーな感じ、そして後半の観音崎に殴られるシーンのキレっぷり。原作の中でもルミのエピソードは好きだったので大満足。ルミのお姉さんも再限度高すぎ。
あと、そうそう、最初の頃のルーズソックスってそのくらいの長さとルーズさだったよね!
田島カンナ(森川葵)→単純な見た目で言えば森川葵さんと田島カンナが一番離れているのかな。というか、漫画ではカンナは割と雑なタッチだった気がする。決めゴマ見たいのがないというかワナワナしたり、ショックを受けたりが漫画的表現で表されていることが多く、実写が難しそう。そんな田島カンナを上手く表現していて、徐々に追い詰められて歯車がおかしくなっていく様子が短い時間で表現されていました。私は漫画の大半を忘れていて、田島カンナの絵柄を忘れていたのですがこちらもやはり田島カンナの最初の登場シーンで「ああああ!」って思い出しました。ちょっと、もじもじというかダサいというか、イケてない感じなんだけれどもイケてる彼氏ができて必死になっている感というか。
あと、あのリュックの大きさとベレー帽。オリーブ系というか、懐かしさに悶絶。
あと、釣りをしている高橋君とか、他のクラスメイトの感じとか。90年代のイケてるグループとそうじゃないグループの微妙な違いとか、岡崎京子の漫画そのまんま。
と、こうしてみるとそれぞれの最初の登場シーンで「うわあ!このキャラだ!」とはっきりわかるよう特に丁寧に描かれているのかなと思っていたのですが、それだけじゃなかった。
リバーズ・エッジの再限度 カット割とコマ割り
まず、背景。ロケ地というか、これどこから探してきたんだろ。それとも岡崎京子が資料に使った場所などをリサーチしたのかな。という位にそっくり。工場地帯付近の川沿いの町。セイタカアワダチソウが生い茂る河川敷。大きな橋と、マンション。それらが漫画の絵と同じ構図で描かれている。
そう、このカット割りって漫画のコマ割とほぼ同じなのではないのでしょうか。手元に漫画がないのですが、そのまんまというか私の頭の中のリバーズ・エッジとおなじというか。
特に、山田がカンナに「自分のことばかり話していて楽しい?」とキレる場面の直前のシーン。
学校の廊下をカンナと山田が並んで歩いており、カンナが山田に次のデートについての提案をしている。そこへ山田の好きな人が異性と仲良くしながら歩いてくる。その姿を見つめる山田。カンナは山田の上の空な様子に気づいてか気づかないのか、構わずしゃべり続けている。
という場面があるのだが、ここがすごい。
漫画では、多分カンナがぐちゃぐちゃしゃべり続けているシーンは手書きかなにかでコマのは端の方に書かれているか、あるいは書かれていないかのどちらかだったと思うのですが、映画ではカンナの声はそのままのボリューム。
山田の目線に合わせて山田の好きな人をカメラが追いかけ、山田の好きな人と一緒にいる異性の会話がかすかに聞こえる。という撮り方をしているのですが、これが、カンナの声が全く耳に入ってこない。山田と一緒に山田の好きな人の声をなんとか聞き取りたくてそちらに集中してしまっている。
なにこれすごい。
で、その場面から予告動画25秒の場面になるのだ。おおお、このコマ!!!覚えがある。
リバーズ・エッジの再限度 吉沢悠演じる山田
というわけで、その再限度に圧倒されてこれは漫画なのか映画なのか私の頭の中なのかと思いながら見続けていたのですが最後の場面。
吉沢悠は、見た目がすでに山田で「あー、こりゃうまいことあてたなー」なんて思っていたのですがそんなもんじゃなかった。
一番最後の方で山田が焼死体を見つめる場面があるのですが、その時の表情。
これはほんと映画を見てほしい。そしてそのあと漫画を見てほしい。
なぜ今リバーズ・エッジなのか
以上、リバーズ・エッジの再限度の高さについてでした。
ただ、原作に忠実すぎるのってどうなんでしょうか。原作を知っているので私は全く違和感なく見ていたのですが、その場合原作を知らない人にはわかりにくくなる場合もあるのではないのでしょうか。というのと、私の世代が見たら面白いのは当然なんですがこれを今の子が見たらどうなんだろう。90年代の閉そく感とやけくそ的な危うさと、それでもなんとか生きてきた感じというのはどう受け止められているのだろうか。
という疑問があったのですが、映画の中にところどころインタビュー形式で登場人物が語る場面があり(原作では多分ない)、それが役として語っているはずなのに、そのインタビューを通して役者の素の姿が見え隠れするというか、そこだけが「今の若者」の姿が見え隠れするというか。あのインタビューのシーンが若干謎だったのですが、こうして考えるとやはりあった方がいいんだな。なぜ今更リバーズ・エッジなのか。それがあのインタビューのシーンに答えがあるのかもしれない。
一歩踏み外せば転落するギリギリのラインを楽しむかのような危うい青春は、90年代特有のものではなく今の子たちにも通づるものがあるのかもね。私からはもう若い子の世界はみえないけれども。
岡崎京子の漫画で高校生くらいの主人公が「お母さん、お母さんはどうして毛玉のついたカーディガンをそのまま着ているの」のようなモノローグの一文があるんですが、私は今はその毛玉が付いたカーディガンを着ているお母さんの側なんだろうなと。二階堂ふみらが演じるリバーズ・エッジを見ながら思ったのでした。
うん、頑張って生きてきたよね私たち。
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