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わたしに合ったペースと環境がある


適応障害というのは厄介だ。

心療内科の先生や周りの人たちには、
「しっかり心と体を休めてね」って言われるし、

自分も休職する人にそう伝えたことがある。

だけど、自分が適応障害になってみて、

休むだけじゃだめってことがわかった。
(症状の程度にもよるだろうけれど)

それと、自分にとって休むことって、
【罪悪感】を感じることなんだな
ってわかった。

家にいて、最低限の家事をして、好きな音楽やドラマ、YouTubeを見て、本を読んで。

睡眠もしっかり摂っている。

好きなことをして、ちゃんと休んでる。

でも、心は心地良くないし、適応障害になった原因でもある反芻思考になる時も少なくない。

何より、体が動いている時間が少ないからか、体がだるいし夜も寝つきにくい。

これからまた、働けるようになるだろうか?

これから出会う一緒に働く人のことを、また信頼して楽しく過ごしていけるだろうか?

という不安もつきまとう。

UVERworldのPRAYING RUNの歌詞みたいな、「僕は止まるのが本当は怖くて」、というやつだ。
(中学の時ウーバーめちゃくちゃ聴いてたなあ)


働いていないと自分がだめになったみたいで、

そんな自分がイヤで、とにかく何かしていたい。

そう思って、花屋のバイトのほかにもう一つバイトをしてみることにした。

パートナーの彼の友人がやっている高級寿司屋さん。

単価が高いので、それなりの接客力が求められる。
バリバリ働きたい自分が出てきて、
「ええやんええやん、今まで仕事でやってきた成果を試せるやん」

と、腕が鳴った。💪🏻

が、

すぐに辞めてしまった。
まさかの出勤日数2日。笑

彼を通じて、彼の友人である大将にバイトをお願いした手前、
少なからず彼のメンツを潰してしまうので、
かなり迷ったのだけれど。

体が追いつかなかったのだ。

慣れない場所、初めて関わるひとたち、緊張感のある空気。

(あ、私ここ向いてないや。)

そう直感で思いつつ、簡単に辞めるのはどうなんだと葛藤をしているうちに、


家にいると涙が出たり、自律神経が切り替わらなくて朝方まで寝つけない。

てな感じで、適応障害と診断される前の感覚だったので、これは早めにやめといた方いいなと思ってあっさり辞めてしまった。

まだ早かったかー、まだダメだったかー。
そんな気持ち。

休んでみて、
花屋のバイトと高級寿司屋のバイトをやってみて、
二つわかったことがある。


一つは、

休むだけじゃだめだってこと。

(あくまでもわたしの場合だけれど。)

役割があった方が生きている実感が湧く。

やっぱり人に必要とされたいし、人との関わりが好きだなあと。

健康で文化的な最低限度の生活は続けつつ、

積極的に会いたい人に会って、

外に出て、花屋でもバイトをして、

また走れる心の体力をつけていきたい。


もう一つは、

私には私の適した環境があるということ。

寿司屋は合わなかったけれど、
花屋は心地良く働けている。

そう思うと、決して働けないわけじゃない。

人には、一人ひとりに適した環境があると思う。
(そこに集まるひと、緊張感、雰囲気などなど)

今までは、

人や物事との出会いや縁を大切にするあまり、

ちょっとの違和感を常に我慢してきた。
見て見ぬフリをしてきた。

【自分が】適応すればいいんだって思っていた。


でも、やっぱり合う合わないあるよねってその感覚を認められた感じ。

たとえ切り捨てることになったとしても、自分にとって心地よい方だけを選ぶ。

これでいいのだ。

そう思えた今日この頃。
今日は外に出るぞー。

バカボンのパパ(Pinterestより)

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