見出し画像

幸せになりたいなら、まずは自分が変わること


最近、いわゆるマリッジブルー的なやつを患っている。


彼よりもっといい人がいるかもしれないとか、
結婚したくなくなったとかではなく。

彼への気持ちも結婚する気もまったく冷めてはないのだけど、
自分は「こうしたい、こういう二人で在りたい、こんな暮らしがしたい」、とゆずれない部分があって。
彼もまた、ゆずりたくない部分があって。

今は結婚前なこともあり、新居のことやこれからのことで対話する機会が増えたから、彼に対しての自分の在り方に悩んでいる。

これがマリッジブルーというやつか?ってなっている。

私が彼を好きになった理由が、時にしんどくなる理由になったりする。
挙げるならば、

・一回り年上であること
・圧倒的年収の差と、それに付随するスケジュール量
・自分がやりたいことへの行動力
・仕事熱心なところ
・私への許容範囲が広いこと
・完全にふるまいは男脳(ロジックで話すところや、記念日や連絡に対しての考え方など)

などなど。

これらの理由から感じる、経験値の差やそこからくる結婚とか二人の関係に対する考え方の違い。
これはもう仕方がないことで必然的なことなんだけど、ただただ寂しいのだ。
それに、経済力や経験値が対等でないことが悔しい、と感じるのだ。
悔しがるのは変かもしれないけど。


今自分がフリーター状態で、時間を持て余しているから雑念が浮かびやすいのもよろしくない。
もともと私自身も仕事に比重を置いた生活をしていたこともあり、今の自分は社会に対して何もできてない気がして、それもイヤなんだと思う。


何より、
私の仕事観、人生観のようなものは、彼からきている。
自分がやりたいことで人や社会に貢献することの素晴らしさは彼から教えてもらったから。

一番尊敬している人なのだ。

だからこそ、彼を自分の箱に閉じこめてしまいたくはない。
でもゆずれない部分を通すということは、彼を変えようとしているということで…
と、押し問答をくりかえし、ひとり勝手に疲れてしまった。


そんなとき、決まって会いたくなるのは、
私のメンターであり、第二の母であり、年は離れているが友人であり、同志のような。
以前の職場で一緒に働いていた53歳の先輩。

そして私と同じように、一回り上の人と結婚し家庭を持ちながら仕事を楽しんでいる、女性としての人生の先輩でもある。

結婚前に、どうしても会っておきたかった。
会いに行くことに意味があるような気がしたから、先週時間をつくって会いに行ってきた。

その先輩に、今書いていることを打ち明けた。
その時に言われた言葉。


「本当に幸せになってね。
これから何があるかわからないのが人生だから。
いざという時がきてもいいように、自分の足で立てるように、底力を蓄えること!」

「自分(私)の箱の中で、小さくまとまっている彼のこと本当に好き?笑
どんな自分で在りたいのか、相手のどんなところを好きになったのか、忘れないでね。」

「歩み寄ってもらいたいなら、
まずは自分の捉え方をポジティブに変えて、
歩み寄りたくなる女性になること!
可愛げのある奥さんでいることを心がけること」

「私にとっての愛とは、ゆるすこと」


この言葉たちが、心にずっしりきた。
自分の愛し方やキャリアについて、見直すきっかけとなった。

いつもこの先輩の言葉は、
私の狭くなった視野を広く、
固くなりがちな頭を柔らかく、してくれる。
この人の物事の捉え方やパートナーシップの考え方が、私は大好き。

やっぱり、会いに行って本当によかった。

・・・・・

『好きなのに別れる』
これを経験したことがなかったので私にはその感覚がわからなかったけど、
好きだからこそお互いのために別の道を歩む選択をすることも、大いにあり得るなと思った。

「一緒に生きることはお互いにとって大変な道だね」
と二人で話すことがある。
私たちはお互いに、大変なのは承知で一緒に生きることを選んだ。

ほかの誰でもない彼と幸せになりたいのなら、まずは自分の捉え方を変える。
愛とは、相手を信じて、ゆるし、手放すことなのかもしれない。

これがとってもむずかしいし、まだしっくりきたわけではないけど。
人生の先輩の助言を取り入れつつ、自分たち次第っしょ!というポジティブマインドで乗り越えていきたい。

そして、
彼や支えてくれる周りの人たちとの日々の関わり合いの中で、
『自分らしく居ながら、彼らしさも大切にできる愛し方』をこれからの長い時間をかけて、見つけていきたいと強く思う。


いいなと思ったら応援しよう!