現代における経営層の仕事は、どこに行っても食っていける人材を育てて、その人材があえて働き続けたいと思う環境を作る事だ
先日、こんなつぶやきがそこそこの反響を得て、更にはnoteにまとめてほしいという奇特な方まで現れたのでまとめておこうと筆を執った。また、いくつかリプライを貰う中で不思議な事も解ってきたのでそれもふまえて書いていく。
これから待ち受けているのは、流動性の高い転職前提の社会
これは面接などで必ず話す事なのだけれど、昭和や平成と違い、現代において一生同じ会社に勤め上げるなんてことは最早誰も想像もしていないだろう。現在は新型コロナウイルス感染症によって隠れているが、思い出してほしい。昨年の今頃は「オリンピックが終わったら日本ヤバくない?」という空気が蔓延していたはずだ。少なからず経営者たちはそれに向けて数年間思考を巡らせてきた。
新型コロナウイルス感染症を除けば日本が抱える最大の問題は人口減少、更には少子高齢化による年齢別人口構造の変化、それに伴う労働力の不足。過去、先進国においてこの状況に陥り、現状を打破し、経済発展できた事例はない。残念ながらどこからどうみてもGDPの低下を招く可能性が高い。
先ごろ、「平等に貧しくなろう」という数年前の発言?で社会学者・東京大名誉教授の上野千鶴子さんが炎上したのも記憶に新しいだろう。
みんなで貧しくなるのが正しいのかどうかは置いておいて、概ね主張はその通りだと考えるのが当然だろう。
最初から悲観的な話ばっかりしてしまったけれど、そんな状況は求職者にとっては大いに有利に働くはずだ。なんせ、労働力自体が数十年間減っていくのは憶測でもなんでもなく、"確定された未来"だからだ。未来には2通りの未来がある。それは"確定された未来"と"予測される未来"だ。後者で悩んでもほとんど杞憂に終わるから、前者を元にプランを組み立てるのが健やかに生きるコツだ。(テストに出る)
現代において、国内の労働生産性が大幅に上昇するような産業構造の変化が起こせる施策は奥の手ともいえる移民を受け入れる以外にない。だがその奥の手も新型コロナウイルス感染症のおかげで完全に消滅したと言っても過言ではないだろう。
ともすると、必然的に労働者の流動性は過去の日本では考えられないほどに上がるのは火を見るよりも明らかだ。これらを考慮すると、転職前提の社会という未来図に合わせた組織の在り方を描かなければならない。(勿論、副業も同じ文脈で増え続けるだろう。不可逆だと考えていい)
離職者は本当に裏切者なのか?
どのような離職であれ、正直しんどい。どんな経営者でも心が抉られるような気分になる。もう7年以上も前の話で最早笑い話だが、新規事業開発という名の合宿で熱海の旅館にいき、第一声目で合宿メンバー全員に向けて新規事業担当のメンバーが「離職します」と言いだした時は正気を保つのすら危うかった。
その夜、いろんなことを考えた。その頃、その彼と僕とで次の事業作りとして当時としては革新的なO2Oアプリを立ち上げ、業界の話題をさらい、これでもかというほどに絶賛された。しかし、そのアプリは結果的に言えばうまくいかなかった。プロダクトと思想は今でも間違いないものだったという自負がある。敗因は多くの事があるのだけれど、一番は僕の粘り腰が足りなかったからだ。
これは完全な言い訳だけど、当時営業利益で数千万円前半だった小さな会社がアプリ開発に数千万円という費用と多くのリソースを使っていた。更に、当時主力の運用型広告事業の引き合いがあまりに多く、僕は自分の限られたリソースをどっちに振るべきか、天秤にかけざる負えなかったのだ。結果、わくわくするようなまだ見ぬ未来を描くことよりも、目先の利益を獲得する為に完全に舵を切ったのだ。
元々スタートアップ思考の強い彼が辞めたのは、きっとそんな僕に失望したのだと思う。離職というのは従業員の思考が経営陣のソレを刹那的にでも部分的にでも超えたからこそ起こることだと僕は思っている。つまり、離職者は裏切者なんかじゃない。雨が降っても自分のせい、というように、ただただ、経営者の敗北だ。経営者の仕事は彼のような優秀な人材が楽しく働き続ける環境を先回りして整えておく事と言えるだろう。
企業と個人、それぞれのベクトル
企業にも、個人にもそれぞれのベクトルがある。企業は経営者の器以上に大きくならないと言われるように、企業のベクトルは経営者の器と言っても過言ではないかもしれない。
ベクトルが同じ方向を向いている時は何も問題ないが、企業も人も生き物だから当然の如く変化する。だからこそ、双方のベクトルが変わった時に袂を分かつのはごくごく自然な事だと思うのだ。
どんな理由であれ、ベクトルが変化し、別れることはめちゃくちゃ寂しいことではあるけれど、また何処かで合流できたら最高だなとも思う。そんな関係性が保てたらよくない?時が経ち、再度同じベクトルになった時が来たら合流できるかどうかは、個人がその企業に所属していた際にどういう体験を積んでいたのか?また、今企業がどういった未来を描けているのか?が問われると思う。それが再度交じり合うことがあればもう一度同じベクトルで働くことが出来るだろう。
これに気づいた頃に僕は一つの方針を決めた。
採用・教育基準は、10年後に1対1で食事に行きたいかどうか?
この思想は経営者にも、従業員にとっても非常にフェアな思想だと改めて思う。僕は僕で彼ら彼女らに10年後でも魅力的な人物として映る必要がある。その為には挑戦し続けていなければ誘ってもらうことはないだろうし、その逆もしかりだ。だからこそ、僕は社内に対して後悔のないように、見て見ぬふりをしないと決めた。
勿論、全員にまんべんなくそれが出来ているかと言えばまだまだ出来ていないし、課題は山積みだ。しかし、徐々にではあるが、これにより、以前に比べて格段に強い組織になったという自負もある。
どうやって折り合いをつけたのか?
かといって、すべての離職に穏便に対処できるほど聖人君子でもない。「先回り出来たはず」、「もっと教えるべきことがあった」、どのような離職であれ原則として反省しかない。
そんな折り合いを付けれない状況下で事が起こる。ある日、明らかに優秀なインターンの応募が急激に増えたのだ。どこで我が社のことを知ったのかを聞くと、前述した新規事業の彼と同期のA君(※補足あり)というインターンからだという。「A君のようになりたい」その思いで、これまでリーチを掛けれていなかったような優秀な学生たちが我が社に応募してきたのだ。しかも一人や二人ではない。僕はハッとした。
企業が魅力的な人材を輩出すれば、その企業も恩恵を受けるし、何より、自身の心が穏やかでいられることを知った。であるとするならば、自分自身が後悔の無いように接し、教えられることは可能な限り教え、万が一、袂を分かつことがあったとしても、彼ら彼女らが「アナグラムがあったから今の自分があるのだ」と思ってくれればもうそれでいいではないか?と考えるようになった。僕はこの瞬間、初めて自分自身の葛藤と折り合いをつけることが出来るようになったのだ。
金残すは下、事業残すは中、人残すは上
後藤新平は間違っていなかった。アナグラムは前述したアプリ開発以降、新規事業に前のめりではない。そういったこともあり、フィードフォースと手を組んだというのもある。では、アナグラムはどこへ向かえばいいのか?そこで出した結論は、人自体がプロダクトであり、アナグラムは人を輩出する企業であるのだということだ。これが僕の出した結論だ。
そんな優秀なメンバーが飽きずに楽しめる環境、絶えず学び続けることができ、チャレンジできる環境を作る事こそが現代において経営層の仕事だと言えるだろう。
(※補足):ちなみに、A君は我が社へ3番目のインターンであり、1年以上にわたり活躍し、何度も話し合った結果、「迷ったら辛い方へ」という私の言葉を頼りに今や時価総額数千億円のスタートアップとなった企業の創業間もない早期にjoinし、一人目のアナグラムマフィアとなっている。
現代の経営者の思考の行きつく先は同じかもしれない
リプライの中に「うちの社長と同じこと言っている」だったり、「豊田章男と同じ話している」「豊田章男と同じじゃねーかw」みたいものがあり不思議に思った。僕のいとこはTOYOTA本社で章男さんの近くで働いているみたいだが、そんな話を聞いたこともないし、僕自身、章男さんの根強いウォッチャーでもないのでそんなことは知らんのだけど、気になったので見に行くと、なるほど、これはほんとに同じこと言っているなと感じた。
みんながトヨタの看板を背負わずに戦えるようになってしまうと。そうです。独立や転職です。しかし!!それでもトヨタで働きたいと、心から思ってもらえる環境を作り上げていくために、努力してまいります。
時系列的には言い出したのは僕の方が先だなw などと心で思いながらも、規模は全く違えど、結構な数の経営者が同じ思想にたどり着いている。いや、これは偶然なんかじゃなく、突き詰めるとそうならざる負えないのではないか?
前述通り、労働力不足により労働者は引く手あまたで気軽に転職を繰り返す未来はすぐそこまで来ているわけで、ほとんどのケースにおいて離職者は裏切者なんかじゃない。
更に言えば、昭和と違い、情報は隠せない時代だ。元来、情報とは隠そうとすれば隠そうとするほど、拡散されていくという性質を持っている。更にインターネットの世界に出した情報は半永久的に消えることはない。
ともすれば、確定された未来から目をそらさず、どんなに痛みを伴っても甘んじて受け入れ、時代に合った経営をする、正直に経営する以外の道はないのではないかとも思うのだ。
まとめ
いつものように長くなってしまったのでまとめます。
これらを踏まえ、現代における経営層の仕事というのは、どこに行っても食っていける、生命力の高い人材を育てて、その人材があえて働き続けたいと思う環境を作る事だと思う。
だからと言って世の中には様々な思考があるし、趣向もある。業界によって変革のスピードもそれぞれだから、一気にすべての経営がこんな形になるとは微塵も思っていない。
経営を「良い感じ」にしたい。そう考えたら、収益は重要です。儲かってなかったら「良い感じ」ではないですよね。じゃあ儲かってさえいれば「良い感じ」といえますか?違いますよね。幾つかの要素があるはず。そこを言語化したほうがいいかもなと。 ~中略~
売上や利益だけを追うとその他の要素が毀損される。それぞれ大切にしたいですね。そのためには、客観的な成果ばかりにとらわれず『自分(達)にとっての良い感じ』をまず自覚しないといけないわけです。
少なくても僕にとってはこの経営の形こそが主観的成果であり、「良い感じ」なのだ。ただ一言付け加えると、僕は売上や利益のような客観的成果も主観的成果もどちらも捨てるつもりは毛頭なく、両取りしたいと思ってる。
あくまで僕の場合だけれども、自分自身に対しても、周りに対しても見て見ぬふりをしないと決めてから、多少生きやすくなったよ。