広くて、浅くて

広くて、浅くて、何にもない

noteで改めて自己紹介をしたいのだけれど、何を書けば良いのか分からない。

「発信者」になる場合、発信するテーマやアピールする自分の要素は1つ2つに絞るというのがセオリーのようだ。("大学生@引き寄せマスター"とか。かなりの胡散臭さは否めないがちょっと面白そうではある)

だけど、今の私は何に絞れば良いのか分からない。
受験勉強のためにnoteの更新を止めていたとき、私も大学に合格したら他の多くの大学生系ブロガーのように、先達として受験勉強のアドバイスや大学生活の体験記に重きを置きたいと思っていた。その想像がモチベーションを保つのに役立っていた部分もある。
だけれど、それはあくまでもモチベーション維持の道具に過ぎなかった。大学に入った今、自分の戦績を誇ってアクセス数を稼ぐために私は大学生になった訳ではないだろうと思うようになったし、時々は書いていくつもりではあるけれど、自分がそういうものをメインに据えるのはやっぱり何か違うような感じがしている。

後輩のメンターになるべき生活を私は送ることができていなかったと思うし、今もできていないと思う。勉強法なんて、私じゃなくて毎年大体3000人ずつ増えている東大合格者に訊けば十分じゃないか。

自分は器用貧乏にすら満たないやつで、習い事はかなりいろいろやってきたけれど、がっつりのめり込んだものはなくどれも中途半端に終わった感がある。例えば幼稚園から小学校卒業までピアノを続けてきたけれど、持ち曲は何もない。強いて言うなら右手だけの「メリーさんの羊」と「咲いた咲いた」。別の分野で、学校で表彰された経験はあるけれど、学校の全員が申し込まれるような母数がやたら大きな大会で格下の賞をちょっと貰うくらいだ。それでも賞をもらえるのはすごく嬉しい。けれどそれを自己プロデュースに使うのはまた別の話な訳で。興味が散漫しやすい私は、大学でもけっこう沢山の部活・サークルに加入して、未だに絞れていない。だからnoteで推していける自分の強みを見つけることができていない。

言葉を使うことは好きだし、ある程度の自負はある。だからブログを書いている面もある。でも大学生になって、同年代なのに、自分では思いつかない面白いことを書いていたり、真似できないくらい洗練された文体を使いこなしていたりする人を知る機会が増えた。自分は井の中の蛙になりかけていたのだと思う。


いわゆる「ハンデ」の方で攻めていくのはどうかとも思った。ADHD、強迫性障害、森田神経質、PTSD、無気力症候群、愛着障害、解離、場面緘黙、、、本やネットを通して私は生きづらい自分を何度もこうやって診断してきた。現在の私の自己診断は、回復して軽度になっている発達性トラウマ障害、である。でも、これはあくまでも自己診断だ。違和を覚えながらも私はへらへらと日常生活を送ってきた。病院に行ったわけでもないのに、そういう名前をかざすのはあまり好ましくない気がするし、失礼に当たることのように思う。


「なにもない」と言い切るのは、ある意味反感を買うものでもある。でも今はこの言葉に甘えさせてほしい。


広くて、浅くて、何にもない。

これが私の自己紹介。

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