ウルトラマンブレーザーから見る個人的所感
前書き
※この記事は、TVドラマ、および劇場版の「ウルトラマンブレーザー」に対する苦言等が主軸ですが、極めて個人的な感想であり、ファン、および関係者クリエイター個人に対するものではありません。
どうにもネットの海に愚痴のタンを吐き出したくてたまらなかった厄介オタクの我慢できなかった吐しゃ物感想文です。悪しからず。
感情100%の批判意見すべからくNOという方はブラウザバックを推奨します。
総評
ウルトラマンZのリベンジ&後進育成の作品だったなあ、という感じ。
ウルトラマンZのリベンジという印象
ウルトラマンZに関しては8話等の2、3話分以外、個人的には大満足だったんですが、風の噂でいろいろと舞台裏を聞いてしまいまして。
その先入観もあったせいもあり、所々にウルトラマンZの名残のようなものを感じてしまい、またこれが、ノイズじみた違和感として消化できないんですよ。
逆に、ウルトラマンZ未視聴であれば気にならない部分だと思います。
人によっては「そうか?」と思う部分もあると思いますが、これ自体は邪推でしかないので、はい。
特にこれ、と思ったのは二点。
1. 大雑把な流れ
2. 最終2話の展開
まるで同じ内容かと思うでしょうが、少し説明させていただきますと
1.大雑把な流れ
地球軍側の展開として「上層部と現場(主人公の所属部署)が対立し、上層部の暴走により地球がピンチ、現場はそれに振り回されるも、単独で問題を解決する」という一連の流れがどうにも。
Zとブレーザーの大きな差は、上層部と和解じみた結果になり、Zでは関係性は不明で終わったことでしょうか。
Zはコロナ禍でのコンテンツだったこともあり、方針が変わったような感覚がしていまして、今回のストーリーはもともとあったZのストーリーを抜き出して改変したんじゃ?という気がしたんですね。
基本的にZとの大きな差は、ジャグラーの存在――ではなく、Zでは1話1話に次への引きがあったのに対し、半ば独立したエピソードの連続という形態で放送されていたことでしょうか。
積み重ねがないため、少ない本流(取り出したZシナリオ)の嵩増しのように感じたのでした。
Zから続くトリガー、デッカーが評価はともかく全エピソードが連続した展開だったため、ボリューム不足に思ってしまったのは、先入観のなせる業ですかね。
2.最終2話の展開
ブレーザーの敗北、死にかけた際の対話(やってることがどちらかというとギンガSですが)、覚悟を決めた再融合、上層への殴り込みの流れもそうですが、この際の演出がすごく……すごく、展開は納得いくのに、手に入れてしまった余計な情報がノイズになってしまいました。
それは、ウルトラマンZの案が、詳細なしの没を受け修正した、という話です。
ウルトラマンZでは、象徴的だった特徴的な胸のZカラータイマーですが、元々はカラータイマーのないウルトラマンをデザインしたのがスタートだったのだとか。
つまりボツの原因は、ご存じ「初カラータイマーのないウルトラマン」を謳い文句にした「シン・ウルトラマン」との競合だったということです。
そして、最終前話~最終話に描写された力尽きたブレーザーの身体は、シン・ウルトラマンで描写された「ウルトラマンの死骸」というファクターのインパクトを守るため、ウルトラマンZではボツだったんじゃないか?
という邪推が浮かんだわけです。
そうなると、最後に初めて放ったブレーザースペシウム光線も、本来Zは最終話までゼスティウム光線は使えず、最後の最期で成功させ、「ウルトラマンになる」という展開だったんじゃないかな、と考えてしまったわけです。
純粋にブレーザーというコンテンツを楽しめたかと思うと、どうも不健全な楽しみ方をしてしまったなあと思ってしまいました個人的な感想です。
後進育成作品という印象
作品の演出が、今やもう見ないような演出を掘り起こされるように、くどく(言い方が悪いですがあえて使わせてください)使われている印象でした。あまりのくどさに「ファンサービスにしても」と首をひねるほどで、「これがかっこいいんだ」「こうしたかった」という趣味にしても使い方に違和感があったのです。
ブレーザーを最後に田口監督は、しばらく監督業から離れるという話が出てきました。続編のウルトラマンアークに向けて、スタッフの入れ替えをしようとしてたのか、ロストテクノロジーの伝達手段としてブレーザーというコンテンツを使われたようで「裏でやってくれないかなあ」という感覚でした。
アースガロンの初登場などはVSメカゴジラのそれでしたし、特に劇場版のゴンギルガンはVSデストロイアじみたものでしたが、決定的だったのは行動が平成ガメラのイリスと同じく、子供を取り込むというムーブでした。
併せて、ファーストウェイブ怪獣バザンガはギャオス、セカンドウェイブ怪獣ゲバルガはレギオン(群体の特性は劇場版で再登場もしたズグガン)、ゴンギルガンにはゲバルガの細胞が含まれることは演出されてましたし、子供の怒りを利用していたのもイリスのそれでしたね。
大人向けのストーリーを目指せば、自然とターゲットが平成キッズ向けになるのは当然の帰結かとは思いますが、ここでその演出?と微妙にしっくりこなかった理由づけに解釈しました。
結論
面白くない、とは言えないものの、個人的にはウルトラマンに求める子供へのメッセージとしては、お父さんウルトラマンというファクターが、余計なぜい肉で持ち腐れてしまったなあ、という感じです。
もっと、お父さんとしてのイベントがあってほしかった。家族をないがしろにしているわけではないですが、家族描写が不要なほど薄いのがどうにも残念でした。
野蛮人ブレーザーをおもちゃにするのが見どころというのはどうにもねえ。
そんな感じでした。