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五条天神宮〜日本最古の宝船図考7〜(松と胞衣信仰①)
あなたは「こしけ」という言葉を聞いたことがありますか?
今の女性は、朝昼晩用と何種類ものナプキンを一日中使っているけれど、これは貧血、冷え性、低体温になるものばかりを食べているから、おりものと縁が切れないの。今はおりもの、昔は「こしけ」と言ったの。
こしけとは自然界の「時化」(しけ)のことを表していて、嵐で海が荒れているのと同じように、子宮の中が荒れて乱れていることを示しているんです。おりものには膣内の雑菌を洗い流す役目があり、おりものが多いということは子宮内に悪い菌が増えている証拠。
時化(しけ)とは、風雨により海が荒れること。かつて日本では、民間レベルで、女性の子宮が海に例えられていたのですね。
子宮は海、船は胎盤、そこに乗るのが、生命の種
さて、以前の五条天神宮〜日本最古の宝船図考2〜カガミについて②においても引用しましたが、江戸時代の国学者・山口志道によると、万物の根源を表し宇宙の始源の神とも言われる天之御中主は、
「○」=カガミ=母=水
「、」=ヒ=父の一滴=草木一粒の種=火
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で表すことができます。
これは、生命誕生の原初の状態を表現していると考えられます。この、「○」=カガミ=母=水は、五条天神宮の宝船図「嘉加美能加和宝舩」の舟を指し、「、」=ヒ=父の一滴=草木一粒の種は、たびたび登場している、五条天神宮の宝船図の稲穂を指します。
少彦名命の国造り神話に出てくる穂が、この稲穂に象徴される、というのはすでにお伝えしたとおりです。
そしてこの「○」は山口志道『水穂伝』においては、ことごとく「胞衣」とも表現されています。これは、出産の時の胎盤のことを指します。
子宮は海、舟は胎盤、そこに乗るのが、生命の種(火)。
五条天神宮だけでなく、後世に伝わる多種多様な宝船図とそれを彩るモチーフの数々については、追ってご紹介していきますが。
私は、この最も古いとされている宝舟図が、その後に発生していったあらゆる宝船図が表現していることのプロトタイプとして存在していると考えています。
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取り残された、よるべない胞衣は、大荒神と化す!?
前回の記事の最後に、「中沢新一『精霊の王』巻末付録・金春禅竹著・現代語訳『明宿集』」から引用しましたが、そこには「秦河勝のうつぼ船が、漁師たちにより陸に上げられたのち、たちまち周囲に大きな災いをもたらす大荒神になった」という旨が書かれてありました。さらに同書にはこのような記述があります。
しかし、出産のとき、母親のからだの外に排出されてきた胞衣は、そのとたんに「荒ぶる存在」へと変貌する。胎児は母親の胎内にあって、へその緒とこの胞衣をとおして、リズミカルに胎動する巨大な暗い空間に自分をつないでいることができた。その意味で、この段階の子供はまだ人間の世界のものではなく、神の領域のものだったのである。その子供は、へその緒を断ち切って母親のからだの外に出てくる。そして、それといっしょに、あの巨大な暗いリズム空間と子供との隔壁となっていた胞衣は、この世界ではもはやどこにも「置かれた場所」というものを持たない恐るべき存在として、人の世界に取り残される。
金春禅竹は、これこそが「翁」であり、宿神であり、大荒神であり、だからこそ秦河勝だと考えるのである。
つまり胞衣というのは、へその緒で繋がれた胎児とともに母親の胎内に存在している状態、言霊学的に表現するなら、「まるチョン」の状態は、ある種の調和のとれた“神の領域のもの“であるのに対し、その後、出産によってその子供とともに取り出された胞衣というのは、“置かれ場所というものを持たない恐るべき存在として、人の世界に取り残され”、のちに「大荒神」になる、と言っているのですね。
なぜ胞衣は丁重に埋葬される必要があったのか
日本の悠久の歴史において、胞衣は単なる出産の際に排出される器官とは考えられておらず、後産とも言われ、生命の誕生とともに同胞(はらから)として生まれてくる特別なものでした。子どもの分身であり、その埋葬の仕方によってその子の成長や運命を左右する神聖なものだと考えられており、縄文の昔より、壺などに入れて丁重に埋葬されてきました(実は日本だけでなく世界の諸民族にも同様の信仰がある)。
ところが、胞衣処理をめぐる条例が発せられた明治28年頃から、西洋医学の合理的な考え方の元、胞衣の埋葬はコレラ等の伝染病を媒介する可能性があるとみなされました。
パラダイムシフトとはこのこと、つまり、神聖であったものが“不潔“なものとして認識され、丁重に埋葬されていたものが、専門業者によって“処理“されるようになり、この風習はあっという間に消え去り、「胞衣」を「えな」と読むことができる日本人さえ少数派になったのです(かくいう私も、若い時は知りませんでした💦)
このように、かつての日本人にとって胞衣の埋葬は身近なものでしたが、子供の成長や運命の安定を願うと同時に、神の領域において安定を保っていた胞衣が、体外に取り出され安定を欠いた途端に「大荒神」になりかねないからこそ丁重に祀る必要があると考えられていたのかもしれません。
なお、中世の頃の胞衣納めは以下のような方法で行われていました。
胞衣納めの基本的な作法は、出産後に胞衣所と呼ばれる場所に数日間胞衣を置いた後、水(酒)で清めた後に布で巻き、胞衣壺または桶へ納めて埋葬する。埋葬する際、男児であれば筆、墨、硯などを一緒に入れ立身出世を願い、女児であれば針、糸、糸巻きなどを入れて針仕事の上達を願った。また銭が納められている場合は子供の健康を願い、神に奉納したものと考えられている。
むき出しではなく、このような壺や桶に納め、筆、墨、硯、針、糸、糸巻きのようなモノと一緒に埋葬されたというのです。
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これに近い風習に、仏様や船の船魂さまの魂入れ、「お精根」があります。
船魂においては、魂を入れるために、おもに女性の毛髪や男女の人形、銭12文、さいころ2個、他に五穀(米・麦・粟・稗・豆)、紅や白粉、櫛(くし)や鏡などの女性の化粧道具など、地方によっていろいろバリエーションがあります。
画竜点睛の「点睛」のようなものでしょうか。
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言霊学においては、魂=「、」ですから、こうした風習も天之御中主を表していたのではないかと妄想しますが、いまは想像の域を出ないので、今後の研究課題としたいと思います。