これからの未来を構築するためには、これまでの過去から学ぶ必要がある
In order to build the future of the future, we need to learn from the past.
今回の格言を言い換えると
温故知新
と言ってしまえばもうほかに何も言うべきことはないのですが
温故知新
何度目にしたか何度口にしたかわからないぐらい、四文字熟語の中では最も有名な、最も人口に膾炙《かいしゃ》した、それでいていつになっても味わい深い、そんなことばです。
でもこれをひらがなで書いてみると
おんこちしん
なにかが閃きません?
閃くというか、ちょっと疼くというか?
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未来とか過去とか、いつになってもなにを考えるときにも「時間」というものが、わたしたちの頭の襞《ひだ》に寄り添うにようにそこにいるのが感じられます。
疲れている人々を癒やす手段としてmindfulnessという方法が喧伝《けんでん》されていますが、
(参考サイト:『マインドフルネスとは何か?その正しい意味が知りたい人へ』http://mindful-music.jp/mindfulness-means/)
このmindfulnessをやる上で重要なのが「今この瞬間に」注意を払うこと、とあります。言外に「過去や未来のことは考えないで」という意味がありそうです。
ですが最近になってわたしが思うのは、
過去にこそ未来がある
ということです。
例えば、わたしが好きな音楽グループにPIZZICATO FIVEがあるのですが、(こう書いている時点で時間に関する倒錯があります。PIZZICATO FIVEはグループとしては2001年に解散しているので、本来なら「あった」とすべきかもしれませんが、わたしの中では今でも「ある」のです)そこのマスターの小西康陽《やすはる》さんは2015年に『わたくしの二十世紀』を、2020年に『前夜ピチカート・ワン・イン・パースン(Live)(PIZZICATO ONE)』というアルバムを出されていて、その中でご自身がかつて作られた楽曲を、まったく新しいアレンジで聴かせてくれています。
いいなあ、と感じるのですが、こういうことができるのは、過去にそれらの作品を生み出していたからです。
例えば、お年寄りがお昼休みなぞに一見ぼーっとしていらっしゃるのは、自分の中の膨大な「過去」を検索・閲覧しつつそれらをこれからどうセルフ・カバーするべきか、思考されているのかもしれません。
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これを踏まえた今回の格言『これからの未来を構築するためには、これまでの過去から学ぶ必要がある』は、ですから
「過去にこそ未来がある」とか
「過去は巨大なWebである」とか
「未来は新しい過去となるためにある」とか
いうことでしょうか。
わたしもそういう過去をどんどん作っていきたいです。
『ウッチー ファースト写真集』 より