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死者と霊性 —近代を問い直す
【一文要約】
「近代」の終わりが終わろうとしている今、「自ら思考すること」から「新しい時代」の始まりが始まる。
【527字要約】
2020年に世界大流行した新型コロナウイルス感染症は、1990年代初頭から始まる世界的な混乱と停滞の時代を締めくくると同時にそれを際立てさせるという二つの役回りを今なお律儀につとめて余りある。
1990年代は「近代」が終わった後にやってきたわけだが、その後30年に渡ってわれわれは「近代」に続く新しい時代を未だに始めることができないでいる。
「近代」が「合理的思考」を突き詰めていった時代だとすると、それに続く新しい時代はそうした「合理的思考」の対象から漏れ出てしまった「合理的思考」が取り扱ってこなかった事柄がキーとして作用する時代ではないか。そしてそうした視点から「近代」を見つめ直してみれば、そうした事柄がおのずから浮かび出てくる。
それが「死者」「祭祀」「霊性」「神秘主義」といった言葉で象徴される事柄であり、それらについて考えていくと、こうした事柄が深い政治性をもっていることがわかる。
「国家」という枠組みがゆらぎ「国家」を超える原理が求められる「今」こそ、「個人」のあり方が問われようとしている。そのときその「個人」はこうした言葉(「死者」「祭祀」「霊性」「神秘主義」)を自ら反芻する中で形作られる新しい思想によって生きることになるのではないだろうか
【520字感想】
シャーマンに興味をもっているわたしとしては本書のタイトル『死者と霊性 —近代を問い直す』には当然のように手を伸ばすことになるわけですが、実はこの本はたまたま広島県立図書館を訪れた折、新聞で紹介されていた図書として設えられたコーナーの中にあった一冊なのでした。
今という時代は本当にいろいろな意味で未曾有の時代というか、時代が変わっていく予感だけはあふれるほどあるのに、どこを見てもまだ何も始まっていないようだし、だけど逆に全てが一斉に始まっている感じもするし、どこを触っても確かなものなどなにもないようだし、それなのにあれもこれもと真贋つけられない情報だけは表面上タダでどこからでもやってくるし、心理的には得体のしれないなにかからあおられるだけあおられて、いやあ大変な時代だ、と首を振ることしかできません。
時代という外部に真(信)を置けず、いやあ大変な時代だ、と嘆くぐらいなら、わたしという内部に真(シン)を置く手を試みてみてもいいわけで、そうした行為を経て自らの内部に「真(シン)」を置くことになんとか成功した「個人」たちがコンピュータテクノロジーの手を借りて緩やかに連帯してゆく世界。
それが朧に見るわたしの「新しい時代」、だったりします。
末木文美士編、2021年、岩波新書1891