
ジャングル大帝、露頭にまよう
noteという存在をすっかり忘れてしまうほど、この1年はバタバタしておりました。
えーっと、最終更新が2022年の7月28日、と・・・
1年以上空いてるがな。
需要があるのかないのか知りませんが、この間に何があったかということを一言ずつまとめていきたいと思います。
2022年8月,無事にコスタリカに旅立った
あの英語に殺されかけた日々を無事に乗り越え、約8年ぶりにコスタリカへと降り立ちました。
オンラインでしか会ったことがなかった同級生と対面すると、大体「思っていたより大きいんですね」という表情に困るコメントをドシドシいただきました。
そして、「かつてジブリに出てました?」というくらい雰囲気のあるお母さんのもとでホームステイも始めました。(自室のバルコニーから野鳥の観察し放題で物件としては気に入っていたのですが、色々あって2ヶ月ほどで引越しました)
大学院の多様な学生に圧倒された
大学院にはリアル・ズートピアな感じで、それはそれは様々なバックグラウンドを持った人々が世界各国から集まってきていました。
紫陽花の上を歩くカタツムリみたいに敏感な私は、新しい刺激に触れるたびに目を殻の中に引っ込る、そんな風に生きていました。同級生を見る時も凝視できないので、ほぼ、市原悦子(「家政婦は見た」)。
しかし授業が始まってみるとディスカション、グループワークは、レポートと人との交流が目白押し。ラジオペンチで殻の中に収めていた目を無理やり引っ張り出された上に体全体に塩かけられたみたいに全体的にショボっショボになるほど随分なストレスでした。(自分のペースで取り組ませて〜〜)と何度思ったことか。
(ただ、ここには書き尽くせないほど、様々なことを学び、考えた10ヶ月となりました)
多様な生物の宝箱
そんなストレスを解消する方法、それはやはり生き物観察です。
私が引っ越した先は、大学の近くの小さな村。あるお家の離れで、図体大きめのアリエッティは借り暮らしを始めたのでした。
片面ガラス張りの家のすぐ裏は沢になっていて、デスクで作業をしていると目の前にはオオハシをはじめとするカラフルな野鳥が飛んでくるのが見えました。外を少し歩けば舗装もされていない山道があり、そこを歩くと珍しい昆虫をたくさん観察できました。さらに夜に山道の奥にある川エリアにいくと、お腹が透明のグラスフロッグや珍しい毒ヘビなんかとも出会えました。
休日はどこかに出かけなくても、家の周りが最高に楽しい遊び場だったので、一人で双眼鏡とカメラを持って、山や川に撮影にお出かけ。さらに大学が保有する素晴らしい保護区にも歩いて10分で行きたい放題だったので、街に住む学生たちは入れない早朝や夜中に訪れ、野鳥たちの営巣の観察なども行うことができました。
村は街エリアから7kmほど山道を進んだ場所にあったためから、食料が手に入りづらいという難点こそありましたが、私にとって天国のような場所でした。
旅に出た①
長期休みを利用して二度ほど旅に出ました。
1回目は年越し含めたコスタリカ国内20泊21日。
ルートとしてはCorcovado, Sierpe, Uvita, Sarapiqui, Tortuguero, La Fortuna, San Gerardo de Dotaーーーお腹と背中に合計20kg近い荷物を担ぎながらの大移動はもはや修行でしたが、おかげでコスタリカの様々な地で、動物や現地の人々との出会いがありました。
ハイライトはSierpeでのマクロ撮影のプロとの観察会,あとSan Gerardo de Dotaでたまたま紹介してもらった地元の裏山で、大量のケツァールを見れたことです(ケツァールは1匹見れたらラッキーと言われている幻の鳥なのに…!)。
旅に出た②
2回目は11泊12日のコロンビアです。
目的はアナコンダの撮影でしたが結果的には会えず。でもたくさんのご縁をいただき、これまた思い出に残る旅となりました。
ルートは、税関の人に「気ぃつけなはれや」と言われたSan Jose del Guaviare, 第2の都市Cali, 野鳥天国Km20, コーヒーの街Salentoです。
San Jose del Guaviareでは地元の野生少年についてジャングルに入ると途中から置き去りとなり人生一不安な時間を過ごし(そして恐ろしいほど何の生き物とも出会えなかった…!)、Caliでは知り合いの知り合いの家に泊めてもらったはいいがここでも翌日山の中で放置案件が発生しプチパニック、km20では野鳥観察について考えさせられる貴重な時間を過ごし、Salentoではアンデスの野鳥に命を捧げた本物のバーダーとその仲間たちと偶然(必然?)的に出会い行動を共にしました。
San Jose del Guaviareは数年前まではguerilla(紛争)が絶えなかったとも聞いていました。それはこのエリアにある数多くある先住民族の土地にマネタイズを優先した部外者がたくさん入るようになり、これまで文明との関わりがほとんどなかった村の中で伝染病が増え、先住民族たちの中で命を落とす人が出てきたことがきっかけです。
幾度のguerillaを重ね、コロンビアでは「関わらないでほしい」というメッセージを発信してきた先住民族の意見が尊重されるようになり、San Jose del Guaviareを始めいくつかのエリアでは「自主的に隔離された先住民族」の村が存在します。
親切という名のおせっかい
そっとしておく想いやり
先住民族や発展途上国を“未発達”と見做し、その場所への介入や開発を正当化してきた動きは歴史的にも世界中で行われてきたけれど、本当は“先進国”の生活が理想でもなければすごいわけでもないですから。自由主義の中でのグローバル化は一定の人々に「便利な生活」という成果物を与えたかも知れませんが、他方では様々な犠牲を生んだ、ある意味、先進国の驕りによる愚行であるともいえます。「近代化理論」ってヤツは、おっそろしく虚しい考えだと思いつつ、でも実際には“そーいう”視点ベースで、世界では今日も様々な介入や開発が行われ、たくさんの大切なモノが姿を消していっています。
帰国
コスタリカでの全課程を修了し、無事に(しぶしぶ)帰国。
日本では念願の祖母の顔を見に行けたこと、家族に会えたこと、おかんの美味しい料理を食べられたこと、そしておかんの希望で二人で苦手なカラオケに行ったことで日本の2週間の滞在もあっという間。その後マレーシアへ移動しました。
マレーシア遠征
オンライン授業やし、日本にいても特段経験値は伸びないし。ということでマレーシア・ボルネオ島に行くことに決めたのですが、これはついて到着後数日でなかなかに後悔をしました。旅に出て帰りたい…と思うなんて、結構人生で初の出来事!!
というのも、週末なんかはボルネオの豊かな自然を観察でも・・・と思っていたのですが、いつも通り直前に知らされる授業、プラス、「誰ができるねん?」と突っ込まざるにはいられない大量の課題など、2日と宿を空けられない状態に。キングボンビー5匹くらい引っ付けられたくらいの終わった感に苛まれながら、結局ドミトリーに引きこもってPCばかり見つめる日々を過ごしていました。
ただ、テスト期間となった時間を利用してボルネオ東部のKinabatangan川流域を訪れ、それはそれは素晴らしい体験をすることができました。ハイライトはなんといってもボルネオピグミーゾウの集団が川を渡るところに出くわしたことでしょう。たくさんのいい写真を撮らせてもらいました。
ただ、ここでも環境に関して思うことがあって・・・・て、どんだけ書くねん。・・・別記事にします。
スリランカ入り
1ヶ月半のマレーシアを経て、スリランカにやってきたわけです。二ガンボという空港近くの街に2日間滞在した時は、その排気ガス、永遠に続く鈍色の空、歩道のないボコボコで埃まみれの道路と買い物にも苦労する不便さで、マレーシアの時と同じく(むしろあの時より強い気持ちで)「今すぐ日本に帰りたい」と半泣きになりました。
が、今私が住んでいるGalleという街に移動してからは、割と穏やかに過ごせています。ここでは一人ではなく同期もいるので心強いです。
ここは最終課題であるキャップストーンプロジェクトのサイトとなります。12月に無事に卒業できるよう、引き続き頑張りたいと思います。
ざっと列挙していたら、、、こんなに長々と。
ただの記録になってしまいましたので、気持ちの部分はこちらに書き足す形で記事を仕上げていきたいと思います。
この先就活というまた大きなイベントも待っています。
大学院での1年間を経て、なんだか自分のやりたいこと、自分にできることは何なのか、ちょっと分からなくなりつつあったりもします。
でも人生の時間は有効ですので、慎重かつ大胆に、カタツムリなりの道を切り拓いていきたいと思います。