【カルマを越えていく】悲しい二人の天才、モーツァルトと日本武尊の父との確執
両親との間のカルマほど重いものはないかもれしれません。
物心ついた時からずっと苦しめられる人も多くいると思います。
それでもこのカルマは越えていけます。
結論から申し上げますと、「認めてくれない親に対してOKを出す」ということです。
お父さんは、自分を認めたくないんだね。嫌いなんだね。
いいよ、それで!全然大丈夫!
お父さん(お母さん)はそれでOK!
というライトな感覚です。
「認めて欲しい」の本質は「認められない」です。
自分を認めて欲しいのに、相手が認めてくれない時は、
自分も相手の気持ち(恐れや怒り)を認められないでしょう。
よって、どうにか相手の気持ちを変えようとどうにかしようと努力した結果、表面的には認めてくれるかもしれないが、本質的な部分では改善されません。
相手を認めていないのは、自分も同じだからです。
いじめやパワハラもそうですね。
「どうして、あの人は自分を嫌うの?苦しめるの?」
という相手に原因を探るのではなく、
「嫌いなら嫌ってくれて大丈夫です」とOKを出す。
その上で問題に対処するなり意見を言えれば、ややこしくなりません。
この前提を持ったうえで、悲しい二人の天才の人生を振り返ってみましょう。
モーツァルトの生涯と父との確執
モーツァルトは音楽家の父の元、幼くして宮廷音楽に携わり神童として名を馳せていました。
厳格な父に対して、モーツァルトは幼いころから反抗心を持ち、どうにか自立したいと願いますが、当時の音楽家に自由は無く、所属している楽団を自分の意思で辞めることは出来なかったそうです。
そこでモーツァルトは、当時の楽団の主人である大司教にわざと反抗的な態度を取り、正当解雇に成功します。以後業界初のフリーランス音楽家として活動し、ウィーンにおいて活躍します。
父との確執を解消しきれないまま、父は病により他界してしまいますが、その間モーツァルトは父の元へ帰らなかったそうです。
興行やビジネスはおもわしくなくなりました。同時代に活躍していたサリエリらの常識的な音楽家達からの嫉妬を買ったために講演を中止させられたり妨害にあったためです。その後のモーツァルトは借金まみれであったそうです。
体調を崩したモーツァルトは、35歳の若さでウィーンにて永眠。
毒殺の疑惑もありますが、リューマチ性炎症熱であったといわれています。
モーツァルトを苦しめたもの
1787年に作曲したオペラ「ドン・ジョヴァンニ」は、女たらしの貴族が主人公。誘惑した貴族の娘の父に怒りを買ってしまい、勢いで刺し殺してしまう、その後彼の墓の前で「夕食に招待しますよ」と軽口をたたいたジョヴァンニは、本当にやってきた父の亡霊により地獄へ引きずり込まれるというストーリー。
奇しくも父との確執を反映したような内容となっています。(脚本はロレンツォ・ダ・ポンテで依頼)
死因とされるリューマチは若いころから罹っていたいたそうですが、この病気は免疫疾患であり、原因は不明とされていますが、強いストレスと関係があり、自己否定などの自分に対する攻撃性を免疫系が誤認して自分を攻撃してしまう病気ともいわれています。(※この説は医学では証明されていません)
彼の破天荒で苛烈な性格と天才性は、当時の格式ばった世界が窮屈すぎたストレスも多大であったでしょうが、幼い頃からの「父から離れたい」という願いを果たしながらも、父へ自分の活躍を報告するなどの交流はあったようで、愛情と依存と執着が垣間見れます。(これがカルマになります)
映画「アマデウス」は、モーツァルトに嫉妬したサリエリの苦悩を主軸に描く物語ですが、ドンジョバンニのシーンでは父との確執が浮き彫りになる描写があります。
日本武尊のカルマ
同じく父親との確執に苦しんだ歴史上の偉人として日本武尊(ヤマトタケルノミコト)もおられます。
彼は武に優れた大男であり、その強すぎる体躯と戦の才能、若干サイコパスな性格故に父親に忌諱されていました。
そのため何度も無理な戦を命じられますが、必ず生きて帰ってくるため、さらに父王を恐れさせていたとか…。
日本武尊は、最後まで無理な戦に送り込まれ、帰還中に病死されたとのことです。
死因は脚気、という説がありますが、リュウマチだったのでは…?と思っています。
彼も父親に対して「認めて欲しい、受け入れて欲しい」という愛着のカルマをもっていたようです。
親子間のカルマを越えていくにはどうすればいいか
二人の人生を振り返ると、認めて欲しいという努力が悲劇を深めていたように感じます。
認めて欲しいから、認められない、愛されない、受け入れられない。
実績をもって証明したい事の全てが、ひっくり返った現実を映し出す、そのように見えませんか?
認めてくれない親に対してOKを出す
子供が親の事を嫌ってもいいし、
親だって子供が自立してるなら堂々と嫌ってもいい。
まず「嫌いなんだな、苦手だな」という、思い・思われの感情にOKを出す。
お父さんは、自分を認めたくないんだね。嫌いなんだね。
お父さんはそれでOK!
それなら、お父さんに好かれる努力も特にしないので、お互い自由に生きましょう!
となれば、親子間のカルマを越えていくが可能になります。
他人なら冷静になれても、両親にはそういう訳にいかないというのは幻です。
余りにも深く深く眠っていたから、「嫌っちゃいけない、仲良くしないと、愛し愛されないといけない!」と思い込んでいただけ。
ただの思い込み、それこそがカルマ(執着)の正体です。
目覚めていく人は、それを見破っていく事が今年(2023年内に)やる事!
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この世は、思いが現象化しています。(^^)v
「愛情」を卒業して、理解と受容という「愛」に目覚めていきましょう!
私もまだまだムカついたり、クヨクヨ気にしたりはありますが、どんどん気づいて手放しています~笑
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