現実とは?
実は仏陀の悟りの本質は、
この世界はゲームに過ぎない、
というものではなかったかとも思っています。
苫米地英人氏によれば、
現実とは、脳の内部情報が、外という認識を得て、
物質の形で具現化したものに過ぎない、
という話でもあるのです。
(少し私の理解によって表現が変わってます。)
これは、私は納得できます。
現実とは記憶に過ぎないと思います。
記憶が過去に属するか、未来として据えられるかの違いはあるにせよ、
そういう内部情報そのものが現実の種であり、
物質化した幻想を見て、その実感に人間は酔っているのです。
私が納得できるのは、
私が実際に、自分の信念を書き換えて、
内部情報を変化させただけで、
世界が劇的に変化したという経験を、
何度も積んでいるからでしょう。
正直、この経験は戸惑いでしかありません。
あるときは、それを狂気として味わいましたし、
あるときは、それは死でした。
世界が変化してしまうのですから、
そこは死後の世界だったのです。
実際にそこの住人に、
「ここは死の世界だよ」
と教えられたこともあります。
死の世界は3回は行っています。
でも、それらも私という宇宙の持つ現実の一つにすぎません。
現実とは、前回も言ったように、
私が信じていることをただ具現化しただけのものです。
現実を形成するのは、私の表層の信念と、私の深層の信念の合成です。
現実は、私の信念を映し出す鏡なので、
鏡に境界がない以上は、私と現実は分けがたくあって、
私と現実の全体はセットで一つの宇宙です。
現実が私が考えているものと違うとしたら、
私が私の深層心理の信念を理解していないだけです。
現実では、私の表層意識よりも、深層心理の自動生成の方が、
圧倒的に影響力があります。
深層心理の形成は、生まれてから現在までの経験ですから、
現実で困ったことがあるときに、トラウマを癒すと、
問題が解消するのはそれが理由です。
このメカニズムはもっと精密に語ることもできます。
ところで、こういう現実の在り方を、
テクニカルに操ろうとする成功哲学が最近は流行っています。
深層心理の中にある、
「私はお金を稼げない」
「私はお金がないと幸せになれない」
「私は努力しないとお金を受け取ってはいけない」
などという無意識のうちに持っている信念を、
アファメーションという手法で書き換えるなどが、
そう言う技術に相当すると思います。
これらは技術です。
つまり、理論として理解するべきことを理解しないで使えば、
しっぺ返しが来ます。
魔術師というのは末路は悲惨なことが多いのです。
その点、仕組みを理解して使う魔法使いは安全です。
しかし、魔法使いは物質的現実ではなく、
宇宙の法と一体化して、それと対話することで、
現実を動かしていきます。
ですから、自分というものを全面に出して、
その欲を満たそうとしても、深層心理がノーと言えばそれまでです。
深層心理を書き換えるというのは、
その信念が形成された場所に戻って、
その問題の本質を解消してから行わないと、
問題の残滓がテクニックを再度襲ってきます。
欲というのは、テクニックとは相性がいいのですが、
法とは相性が悪いところがあり、
テクニックも法の下に駆使されるのであるから、
最終的にそこまで責任を持つ覚悟がないと破滅します。
破滅の時期は、死後かもしれませんが、
大抵は、死の瞬間にこの法の在り方を悟るパターンが多いはずです。
テクニックでは、法は変えられないのです。
「汝の意志するところを行え、それが法のすべてとならん。」
その言及は間違っています。
「法の下に意志を沿わせよ。されば意志は果たされん。」
こちらが正解です。
深層心理とけんかしても勝てません。
深層心理をよく知り、それを従えようとするのではなく、
深層心理の赴く性質に沿って、自分の表層の信念を従わせるのです。
なぜなら、そもそも深層心理には二元論はないからです。
いいとか悪いとか、判断しているのは表層の信念だからです。
現実とは、そういう深層心理が、表層心理に見せる鏡として、
機能しているのですから、
表層心理は、そこから信念の在処と形を学べば、
人生の目的を達成していくことになります。
理屈としては、そうなのです。
だから、テクニックとして、人生を欲の方向に書き換えるのは、
慎重になった方がいいのです。
欲に従わなくても、深層心理は表層心理の敵ではないのです。
ただ、表層心理が悪の根源と見なすような、死をも、
深層心理は悪と見なさないというところはあります。
でも、死を苦しむ理由も、よくよく追求していけば、
表層心理があるべきと思う姿と違うものを、
深層心理が提示して成長を促しているにすぎません。
うん、恐るべき内容を書いてしまった気がします。
少し難しすぎるのと、技術ではないものを語ったところで、
何の実践的に進歩にはならないのはわかっているのです。
しかし、危険を回避する手段ではあります。
お読みいただいてありがとうございます。
少しずつ日常で役に立つ内容も増やしていきたいと思っています。
また、よろしくお願いします。