168歳
3月30日は世界双極性障害デー。
双極性障害を患っていたゴッホの誕生日に因んで、とのこと。
双極性障害は、躁病を伴う双極I型障害(英: bipolar I disorder)と、軽躁病を伴う双極II型障害(英: bipolar II disorder)に区分される[2]。躁病、または混合状態が1回認められれば、双極I型障害と診断される。抑うつと躁病と、これらの症状のない寛解期とをはさみながら循環することが多い。躁病あるいは抑うつから次のエピソードまでの間隔は平均して数年間である。また、躁病と抑うつの症状が混ざって出現する混合状態(混合性エピソード)が生じる場合もある。(Wikipediaより抜粋)
私は「脳のバグ」と呼んでる。
心の風邪?そんな可愛い呼び方できないなあ。
双極性障害Ⅱ型と診断されたのは約一年前。突然、仕事に行けなくなった。行こうとすると動悸がしたり、過呼吸を起こしたり、涙が止まらなくなったり、酷いときは着替えの仕方すらわからなくなったりした。
仕事は嫌いじゃなかった。向いている職種ではなかったけど、人間関係はこれ以上ないほど恵まれていたし、畑違いの分野を勉強して知識を積み上げていくのは苦労しつつも楽しかった。
なのに、突然。
家からいちばん近いメンタルクリニックに電話をしたら即日予約が取れた。メンタルクリニックや精神科で初診予約が即日取れることは、恐らく少ない。ヤバい医者なんじゃないかと思ったけれど、このままでいても仕方ない。当時の彼氏に付き添われて恐々向かった。
淡い色彩の森みたいな待合室には程よい音量のBGMが流れていて、大きなソファが真ん中にひとつと、カウンターのように壁に向かって椅子がいくつか置かれていた。清潔でやわらかい空間。患者さんが一人か二人、距離をとって座っていた。社会的距離。柔和な声で問診票を書くよう促された。診察室に入る。窓からのたっぷりとした明かり。急かすことなく話を聞いてくれる先生。あたたかい。
何もかもに驚いた。過去に罹ったメンタルクリニックは薄暗くて、待合室はいつも人で溢れていて座れないこともあった。独り言が止まらない人、そわそわしている人、呼び出されてもわからない人。医者は「あー、はいはい。ストレスだね」の所謂5分診察。事務的な話し方をする看護師に会計を急かされた。処方されたのは鎮静作用のある胃薬。
メンタルクリニックはガチャみたいなもんだと思う。どんなに評判のいい医者でも自分と合うかはわからない。その逆も然り。私は奇跡的にSSRが出た。
最初の診断名は適応障害。これは双極性障害の人ならあるあるだと思う。またはうつ病。経過観察をしていくうちに、気分に波があるらしいことがわかってきた。そして「双極性障害Ⅱ型」と診断された。
幼少期からこんなようなことを繰り返してきたかもしれない、と先生に話した。保健室登校の時期もあったしプチ不登校になったこともある。否、その前に登園拒否してたな。
いつも原因はない。スイッチが切れたみたいに、昨日まで出来ていたことが出来なくなる。わからない。私自身もわからないのに母親にわかるわけがなく、何度も悩ませた。小学校の卒業式、とてもお世話になった保健室の先生と話す母は泣いていた。先生はそんな母の背中を優しくさすっていた。母子ともにお世話になった。
診断名がついたことで27歳にしてようやく伏線回収というか、すべてに納得がいった。ずっと「私はこういうものなんだな、仕方ないか」と思っていたものの正体が掴めた。脳のバグだったんだ。先週まであったタピオカ屋が突然閉店したみたいに、私の脳も突然シャッターが下りる。え、映えさせろよ。
3ヶ月半の休職を経て、復職した。職場はこちらが申し訳なくなるほどフォローしてくれたし、今もかなり配慮してもらっている。
そして、これを書いている今、一週間以上も会社に行けていない。支度ができない日、タイムカードを押すところまではできても室内に入れない日。明日こそは行けると思って寝るのに、翌朝になると身体と脳がバラバラになってしまう。また閉店?
noteを始めたのはこの日だからという理由もあって。タイトルは、ゴッホが存命していたらの年齢。100年生きる人もいるし、想像よりも大昔の人ではないんだな。