ゲームにおけるポリコレ問題 「State of Play」の発表を見て
任天堂に「ニンテンドーダイレクト」があれば、SONYにはプレイステーションの情報番組「State of Play」がある、ということで今朝は早くからこの「State of Play」の放送を見ていたのですが……新情報がどうのこうのというよりも気になったことがあったので、今回はそちらを書きたいと思います。
それが昨今のゲームに関わる「ポリコレ」の問題です。
まずポリコレとは何か?
ポリコレというものの定義を今一度確認しておきたいと思います。
代表的な例を挙げるとアメリカでよく言われる白人黒人の差別問題、日本人になじみのあるところで言うと、職業における男女での呼称の違いや役職に就ける就けないの問題です。
そういったものを排除して、どんなものにも公平性を保とうというのがポリコレの動きなわけです。
ゲームにおけるポリコレとは?
ではゲームにおけるポリコレで代表的な例は何かと言うと、多く言われるのが「ゲームの登場人物の美男美女問題」です。
「現実の世界にはいろんなタイプの人間が存在するのに、ゲームの主人公達といえば美男美女ばかり!これは差別だからやめて、もっとハンサムじゃない美人じゃないキャラクターが活躍できるものにして欲しい。それがリアルだろ!」
他にも言われることはあるのですが、ゲームでよく槍玉に挙げられるのは上のような問題です。極端な例ですと、主人公が女性というだけで何か言われたりします。
ポリコレに配慮したゲームの例
ここでは、それらに配慮している(と思われる)ゲームを例にして結果このようになったということを見ていこうかと思います。
まずはよく見る例。Guerrilla Games開発の「Horizon Forbidden West」の主人公、アーロイです。
念のために言っておくと、このキャラクターは女性です。検索ワードで「アーロイ」と入れると、「アーロイ ポリコレ」という予測ワードが出てくるくらい有名なものです。
ちなみに開発初期段階ではもうちょっと美人でした。なんせこのキャラクターのモデルと言われている女性がすごい美人だからです。
ポリコレの声を受けて作り直した結果、こうなったのです。
次はこのコロナ禍にかなり大ヒットしたゲーム、アメリカのSucker Punch Productionsが開発した「Ghost of Tsushima」から。女性キャラクターのゆなです。
正直こちらの作品ではポリコレが影響したかどうかは微妙なところではあります。というのも、元寇当時の日本をできるだけ忠実に再現するというコンセプトの元で作られているので、いわゆる美男美女というキャラはまずいないと言っていいくらいなのです。
ですが知らない人に言っておくと、上のキャラクターは村人Aとかではありません。主人公と最もよく関わることになる、言ってみれば“ヒロイン”です。
さすがにヒロインと言われると「うーん……」というところがあるのではないでしょうか。
そして今回の「State of Play」を見て
で、結局のところ今回の「State of Play」でどんなところが見てとれたかと言うと、日本のゲームメーカーから出るゲームもこのポリコレの影響を受けた作品が多くなっているのではないかということ。
まずはスクウェア・エニックスから発売予定のパルクールアクション「FORSPOKEN」。
動画の一部なので、そう見える場面だったと言えなくもないですが。
次に同じくスクウェア・エニックスの「ヴァルキリーエリュシオン」。主人公と思われる女性キャラクターです。
スクエニにしてみれば大々的に発表したかったはずの作品。
「皆さんどうです!あの名作ヴァルキリープロファイルの新作がついに登場するんです!」
と言わんばかりのものですが、主人公のモデリング……。ヴァルキリープロファイルシリーズの主人公って、女神なんですよ。そこにまでポリコレ的な考えが入ってきます?
最後に
こういった感じにキャラクターの容姿を“平均化”していくとどうなるかと言うと……どのゲームのキャラクターも特徴がないため、どのゲームも同じように見えてしまう、という問題が起きてしまいます。
一人のキャラクターが全く別のゲームいくつかに存在していても違和感が無くなってしまうんです。
ポリコレについては大事なことだと思います。
ですが、ゲームはフィクションです。
そこにポリコレ的な考えを持ち込みすぎるというのは、表現の幅を狭めることにならないでしょうか。また、これはユーザーの望む方へ行っているでしょうか。
僕はこう考えています。
ゲームのキャラクターや表現に対してポリコレ的なことを持ち出して何かを叩く人たちというのは、そもそも普段ゲームをしてもいないだろう人たちではないのかと。
それによって開発側やユーザー側が作りたい・見たい見た目から離れ、ゲームのキャラクターの見た目が平凡になっていくということにこそ“偏見”があるのでは、と。
「ゲームがあまり面白くなくなってきた」と感じる人が多いのは、開発側やユーザー側周りでなく、そうじゃない外からの影響によるものも大きいのではないかと危惧しています。
今回は少し長文になってしまいました。
それでは、また。