記憶喪失はだるま落とし
苦手な上司に日々、イヤミを言われていた若い頃は、毎日が辛くて、色んな事を忘れてしまいたかった。イヤミを言われている事も、そんな自分も。
その上司との関係が改善しても、辛い記憶はやっぱりつきまとうから、忘れたい忘れたいと思い続けていたら、時が流れた事もあるだろうが、本当にすっかり忘れてしまった。記憶の蓋をしているだけなのかは考えたくない。忘れたのだから。
ところが、忘れたは良いけれど、その記憶の周辺の事もすっかり抜け落ちている。
記憶とは強い刺激(忘れたいの怨念)を与えたら、だるま落としのようにその領域ごと忘れてしまうものなのかなあと思っていたけれど。
・・・
今日、職場で誰かが大きな声で訴えていた。
「ほらー昔さ、あったんだよ!記録をなんか競うヤツ、テレビでさ、、ええっと」
もう何十年ぶりかにスラっとその言葉が口をついて出てきた。
「びっくり日本新記録!!!」
人の記憶というものは、一体どうなっているのだろう。「びっくり日本新記録」を思い出した自分にびっくりだ。
私のだるま落とし理論に当てはめて考えると、その頃は子供だったから、そんなに強く忘れたいと思うような事が無かったのだろう。記憶はだるま落としされる事なく、チャーシューのように保管されているようだ。と格好をつけて、完。