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支援級への「通級」
今日の午後、勤務先の市の「就学支援委員会」に、参加をしてきた。
内容が濃くて、予定時間より後にズレてしまうのが常。去年も、呼ばれた時間より二時間近く遅れて、本校の説明が始まった。
そして今年も、午後4時40分に終わるはずが、その部屋を退室したのは午後6時15分。わぉ。
話をした内容は、もちろんここでは触れないわけだが、1点だけ。
報告をした児童たちについて、その何人かは、自校のなかにあるセルフ・サポート教室(通級)を利用しつつ、さらに、特別支援学級(つまりわたしの学級)への通級を活用している。
例外なく、わたしの学級で少人数対応で勉強をして、わからないことがわかり、笑顔で帰っていく。
たとえば、「先生のところの通級を始めてから、授業終盤のふりかえりを、よどみなく書くようになったんです」
などといった、担任の先生の感想を聞くにつれ、内心ほっとする。
つか、なにしろ少人数対応なのだもの、「いつもより勉強がわかる、楽しい」のは至極当たり前で、そのうえで、どう児童たちを変容させることができるか、こちらとしても愉しく、喜び勇んで、臨んでいる。
そうだ、5年前には、それに関するこんな記事も記していたようだ。
「あの子たち、折れ線グラフだけはしっかり書けていました」 | 【小学校教員資格認定試験】合格を経て教員になった、五十路おやじの戯れごと第2部第6章 (ameblo.jp)
本校で、赴任1年目に知的の支援級をお預かりした、そのすぐのタイミングで、さっそく対応を始めていたのだな。
(ただその後、3年間、支援級の担任から外れるのですが。)
でね、今日、ひとしきり、わたしから児童たちの状況を説明したなかで、話を聞いてくださった専門家さんたちから、
「それにしても、その『特別支援級への通級』をうまく遂行されていて、すばらしい」
と、そこをしきりに評価された。
そうだよね、素人目にも、そこがうまく活用できると、課題を抱えた子どもたちの笑顔は、きっと増えるはず。
単純な話、児童を受け入れる教員側には負荷がかかるし、元々居る支援級の児童のことをないがしろに進めては決してならないことでも、ある。
その年々により、支援級を構成する児童たちの人数や状況によって、支援級担任として校内に貢献できること・できないことが変わることも、当然あるわけだ。
また、各校によって、特別支援学級の規模などのありようは、千差万別だ。
だがしかし、できる限りにおいて、『特別支援級への通級』という形態が、もっと広がり、課題を抱えた児童の笑顔ややる気、生きる力に結び付くならば、それはもっと進むべきだし、そのためにできることがあるならば貢献したい。