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文舵、練習問題⑧〈声の切り替え〉問1

問1:三人称限定視点を素早く切り替えること。六〇〇~一二〇〇文字の短い語り。練習問題⑦で作った小品のひとつを用いてもよいし、同種の新しい情景を作り上げてもよい。同じ活動や出来事の関係者が数人必要。
 複数のさまざまな視点人物(語り手を含む)を用いて三人称限定で、進行中に切り替えながら物語を綴ること。
 切り替え時に目印をつけること。

「はい、大体全部読んでます。1冊か2冊、初期の方で読んでないのがあるくらいですね」
「そう、あんた凄いね。私なんて毎年参加してるけど、あの人の小説一つも読んだことないよ。一度貰ったことがあったけど、それも十ページくらい読んでギブアップしちゃった。だって彼の文ってさ、なんだか小難しくない?」
「そうですか? 確かに複文は多いけど、比較的わかりやすいと思いますよ」
「なに、そのフクブンって」
 あーそれは、と、そこまで口にして小名浜鉄男は気がついた。丘の上から憧れの小説家Hが降りてくる。知り合いだろうか、30代くらいの男と話をしている。あ、Hさんがくるね。さっきから話していた、ブルーシートの正面に座る60代くらいと思われる女性が言った。鉄男がじっと見ていると、Hは鉄男の後ろ、若い女性が固まって座っているブルーシートに向かって真っ直ぐ歩いてきて、ナンパしに来ました、と、にやけ顔で口にすると、鉄男の真後ろに、こちらに背中を向けて胡坐をかいて座った。途端に鉄男の全神経は後ろに集中する。どんな会話をするんだろう? どこでこの花見のこと知ったの? ツイッターで告知見て、面白そうだと思って、そうなんだ、てか俺のこと知ってる? 小説家の人でしょ、ごめんなさい、私たちあんま小説読まないから、ねぇー。ねぇーじゃねぇよ、それなら俺と場所を代われ。鉄男はイライラしながら、唐揚げを頬張る。
 正面に座る年配の女性は鉄男の変化にすぐに気がついた。ああ、気になってる気になってる。なんとかしてあげなくちゃ。女は心を決めた。
 鉄男の気持ちはHにも伝わっていた。Hはここに座る前、チラッと鉄男の風体を見ただけで、彼が小説家志望であること、自分のファンであることを見抜いていた。こっちが一声でもかけようものなら、小説のことをしつこく訊いきて、さらに僕を持ち上げ、こちらが気持ちよくなって油断したところで、あのー、僕も小説書いてるんですけど読んでもらえませんか? なんて頼んでくるパターンだ。そう考えてHは顔をしかめた。背後を一層警戒する。笑顔をキープしたまま、女の子たちの話に耳を傾け、背中からは声かけてくるなよオーラを発し続けた。
「ねぇHさんそこにいるよ、話さないの?」
 鉄男はハッとした。前を向くと、年配の女性が微笑んでいる。今の言葉がHさんにも聞こえたかもしれないと思い、鉄男はドギマギする。
 もちろんHにも聞こえていた。Hもドキッとした。しかし前に向けた笑顔は崩さなかった。決心はついていた。振り返ったら負けだ。ここはぐっと堪えて無視し続けるしかない。
 しかしそれを見破ったのか、女性はさっと立ち上がる。鉄男の脇を通りささっとHに近寄ると、その肩を叩いた。「こちら、鉄男くんっていうんだけど、あなたの大ファンなんだって、さっき聞いたら、ほとんど全部読んでるみたいよ」
 おお、それはどうも、ありがとう、Hはぼそぼそっと言い鉄男に笑みを向けたが、その顔はひきつっていた。女が席に戻る背中を恨めしく眺めながら、最悪の展開になったとHはげんなりした。
 後の展開は先ほどHが予想した通りだった。
 あの小説のここはどうしてこうなってるんですか、僕はこう解釈したんですけど合ってますかね、いや、合ってるとか間違ってるとか、そういうのは読者に開かれてると思うんですけど、全然見当違いかどうかとか、そんなことでも教えていただけないでしょうか。鉄男はくどくどとHに話しかける。Hは何度も小さくため息をついたが、鉄男には通じなかったのだろう、鉄男は嬉々として話し続けた。僕は日本の小説とかあまり読まないんですけど、Hさんの小説は垣根なしに凄いと思ってて、と、鉄男がヨイショし出し、この展開はヤバいとHが震え上がったところ、背後から、Hさーん、と声がした。Hがそちらを向くと、Hをここに連れてきた男だった。
「Hさん、あっちで歌うたいません、ギターができる奴がいたんですよ」
「おー、俺うた上手いよ」
 助かった! Hはホッとして立ち上がると、鼻歌を歌いながら丘の上の方へ歩いて行った。
 Hは次々と歌をうたった。調子はずれの大声でのびのびと、とても60歳を超えているとは思えないパワフルな歌声だった。
 鉄男はHが歌を歌っている丘の上にじっと視線を注いだ。今はブルーハーツの『トレイン、トレイン』を歌っている。甲本ヒロトになりきっているのか、身振り手振りまでそっくりだ。先ほどの出来事は胸に焼き付いていた。もっと話したいことがあったのにと一度はガッカリしたが、今はスッキリした心持ちだった。鉄男は唐揚げにかぶりつき、ニヤッと不敵に笑う。正面を向くと、例の年配の女性も微笑んでいる。その手には角2の茶封筒が握られていた。

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