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文体と相転移(保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』からも)

 九月になっても暑いですね。まあ大分過ごしやすくなりましたが。エアコンつけないと生きていけないけど、電気代も高いし、参ってしまいます。

 さて、今日は文体というものについてちょっと考えてみたい。文体というのはよく皆使っていて、その意味するところは、文章が複文でダラダラ書かれているとか、難しい語を多用している堅い文であるとか、文章をぱっと読んだときに人が受け取る印象であることが多いように思う。それはそれで間違っていない、というか、まあそういうもんだと僕も思っていたが、保坂和志の見方はちょっと違う。
 以下、『書きあぐねている人のための小説入門』のp141、142からの引用。

風景のすべてを書き尽くしているわけではなく、何を書いて何を書かないかの取捨選択がなされていて、その抜き出した風景をどういう風に並べると風景として再現されるかという出力の運動(これが直列にする作業だ)に基づいて書かれている。
 意外かも知れないが、これが文体の発生であって、私の考えでは、文体というのはこの作業の痕跡のことでしかない(だから翻訳でも十分に文体がわかる)。「痕跡」は「成果」と言い換えてもいい。同じ石を描いても、一人ひとりの画家によってまったく違うタッチのデッサンができあがるのは、そこに画家の身体が介在しているからだが、小説を書くという行為の中で本当の意味で身体を介在させることができるのは、風景だけなのだ。
 激しい運動として書いたり、抽象的概念を喚び寄せたり、そこに経験や知識や、あるいは書き手自身の世界に対する手触りといったものを重ね合わせなければ書けないのが風景で、それが小説家の「身体」なのだ。
 文体というと、言葉づかいが硬いとか柔らかいとか、センテンスが短くきびきびしているとか、ダラダラと長く続いているとかいう違いのように思われがちだが、これはあまりにも表面的、即物的な見方で、それを文体というのなら、誰でもテクニックさえ磨けば、「いい文体」「味のある文体」が書ける。しかし、それは花そのものではなく花の絵を見て花を描くという子どもの絵の域を出ない。

 久しぶりの引用。毎度のように長くなった。つまり保坂さんが言うには、文体というのは元々、その人固有の世界の見え方というものがあって、そのいわばフィルターを通して世界を見た時に、世界のどの要素が書かれ、どの要素が書かれないか、それをどういう順序で書くか、その表現の痕跡のことだというのだ。
 これはもっともな説明だと思う。それは保坂さんの説明が小説における全体と部分の関係に踏み込んでいるからだ。
 よく言われるように小説というのは全体と部分が切り離せない。どういうことかと言えば、僕が第一稿をあげてからしていることだが、沢山の要素を詰め込んで小説を書いても、そこが自分のお気に入りでも、ばっさり切らなければいけないことがある。あるいは全体に必要な部分であっても、そこだけ目立つ場合には修正しなければいけない。その判断をどういう風にしているかといえば、小説という生命体にその部分が奉仕しているかどうか、だ。よく小説を書き始めると、人物がひとりでに動き出すとか、話がひとりでに進むとかいうのは、小説が生命を宿した証拠だと思う。
 それで文体の話に戻ると、文体というのは全体と部分を結びつける最小ユニットなのだと、僕は思う。描く対象の選択やそれをどう描くかというのは、作者にとって世界がどう見えているかということであり、それは作者が小説で何を表現したいか、ということに結びついている。つまり全体が文体を決める。逆に全体が決まるまでの模索では最小ユニットを積み重ねて全体を作ろうとするわけで、そういう意味では文体には全体を作りだす効果もある(もちろんこれは自分にあった文体の場合で、小手先だけ他の人の文を真似ても他の人固有の全体は作りだせないに決まっているが)。

 この関係。最小ユニットの積み上げで全体が出来上がっているが、最小ユニットは全体のある種の似姿になっているという、こういう特殊な関係性から僕が最初に思い浮かべたのは、統計力学の相転移だ。
 相転移で身近な例は水だ。摂氏ゼロ度で凍り、摂氏百度で沸騰するというよく知っている現象が実は超難問で、物理学の世界でもよく理解されていない。その代わりに物理学では強磁性などの磁性体の相転移が研究されている。 
 強磁性というのは、鉄を磁石に近づけるとくっつき、磁石から離してもしばらくは他の鉄とくっつく性質だ。このような現象がなぜ起きるのかというえば、鉄の原子に含まれる多数の電子のスピンが揃うからだが、ではスピンとは何かといえば、電子がもつ磁石のような性質だ。
 つまり鉄は最小ユニットとして磁石をもっていて、それが一斉に同じ向きを向くから、全体として強磁性の性質を示す、ということだ(でもどの物質でも電子はあるのに、鉄やニッケルなどある種の物質しか強磁性を示さないのはなぜかというのは難しい問題だ。興味がある方は僕が今度発表する小説をお読みくださいw)。また、一度スピンが揃ってしまい、それがエネルギー的に安定状態にあれば、少々スピンを乱すような要素(例えば温度の上昇)があっても、鉄は強磁性の性質を示し続ける。つまり全体の性質から最小ユニットであるスピンの向きを揃えさせようとする。

 以上の感じ、つまり最小ユニットから全体が決定されるが、一度全体が決定すると、その性質が最小ユニットを規定するというのが、文体の話に似ているなあと思う。だからなんだということもないが、自分はいつもこのアナロジーで文体を捉えている、というお話でした。

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関澤鉄兵
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