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「メダリスト」、成長譚の復活
アニメ版「メダリスト」毎回泣かせてきますよね。
もはやOPで、主人公のいのりのライバルである光がいのりを突き放して華麗で完璧なジャンプを決めるシーンですら、その悔しさに泣けてきてしまう始末。
なぜそこまで泣けるのか考えてみました。
少し前にも書いたのですが、ポイントは主人公がレイトスターターだということです。
少なくとも現時点で私が見た4話まで、毎回、そこがテーマの根底として流れています。
日本人は「努力」に共感しなくなっている?
いつの頃からか、「主人公が成長する」という物語が少なくなりました。
スポーツものですら、です。
特に「努力で成長する」は完全なファンタジーになりました。
なぜなら、現代において、スポーツや芸術はもはや本人の努力だけではなんともならず「生まれついた環境で決まってしまう」からです。
現実的に、アスリートの世界で活躍する人は、名前からして「親がこの人に自分の夢を託したんだな」みたいな人ばかりです。
BMXの中村輪夢選手(リムは自転車の部品の名称)ですとか、フィギュアスケートでは島田麻央選手(浅田真央選手が由来だそうです)、男子ゴルフではタイガーウッズ選手を由来とする「たいが」さんがたくさんいます。
つまり、スキルの積み重ねが世代を超えている、と言って良いでしょう。
ほぼ全ての分野で、競争が成り立たないくらいトップエンドのクオリティが上がっているので、「持たざる者」が後追いすることはほぼ不可能だと思います。
なので努力で成長することに共感できなくなったのは当然だと思います。
実際、この作品でも練習シーン=努力シーンはほぼないと言って過言ではないと思います。
「メダリスト」は「持たざる者」に光を当てた
ただ「メダリスト」は、レイトスターターという「持たざる者」に光を当てました。
「やりたかったことがあったのだけれど、環境ガチャでハズレを引いた」と思って諦めた多くの人々が、それを跳ね除けようとする主人公に共感する、その仕組みがこの作品にはあると思います。
レイトスターターの覚悟。
ここが、この成長譚に感動する大事なポイントに思えるのです。
靴を履いたからジャンプが跳べるわけじゃない
スケートが私を特別にしてくれるわけじゃない
あのとき 特別に見えたのはスケートじゃなくてお姉ちゃんの方だ
私がスケートを特別にするんだ
できないのは周りが悪いんじゃない
自分がいけないんだ
嫌だったら自分で変えなきゃ
何度でも挑戦して
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「メダリスト」4話から
この主人公は、一瞬だけ見せる子供とは思えない気迫の表情があります。
一瞬だけ見えるのが、逆に良い効果を生み出していると思います。
コーチという存在
それでも、この物語はファンタジーです。
その中で、この物語に説得力を持たせるのが、コーチ、司の存在です。
いのりさん
転ぶことを怖がらなくていい
転んだって平気な顔して立ち上がればいい
本番に弱くてもいい
緊張しやすくてもいい
全部失敗してもいい
俺が一から教え直す
そしてもう一度挑戦する
それだけなんだ
どんなあなたでも目標まで導くために俺がいるんだから
まだ幼い主人公を導く存在がいれば、なんとかなるのかもしれない、という気持ちになりますし、何より、このコーチもレイトスターターなのです。
レイトスターター同士がその悔しさを共有して挑む、この胸熱設定が標準装備というのが強いと思います。
余談ではありますが、主人公の姉がフィギュアスケートをやっていた、裕福な家庭環境など、「実は持っている面もある」という設定も、主人公の活躍に説得力を持たせるのに一役買っていると思います。
強い自己肯定を必要とする時代の変化
そこで前に書いたことに重なってくるのですが、ゆるゆるゴルフもの「空色ユーティリティ」と、フィギュアスケートでオリンピックの頂点を目指す「メダリスト」。
全く違うように見える両作ですが、レイトスターターが主人公という共通点があります。
私が思うに、両作の根底には同じものがあるように思えてきました。
自分が行動しなければ何も変わらない
結果はどうあれ、全ては自分次第
「特別な自分」は自分で手にいれるのだ
当たり前と言えば当たり前なのですが、どのような立場であれ、この自己肯定をより強く意識して生きることが幸福への道である、という点が同じなのではないかな、と思うのと、それが時代性を反映しているように考えた次第です。
たぶん、これからの時代、持つ者と持たざる者の差はさらに広がり、手に入りづらいものが、今より増えるかもしれません。
でも、だからすぐに諦めるという選択はしてはいけない、自分のために。
そんな時代背景が、スポーツを題材にしたこの両作品にはあるように思えます。