花のかげ~終章(6)
六.花のかげ
そこからはあまり慌てることもなくゆっくりと時間が流れた。母を安置する場所は家からも歩けるぐらいのところにあり、次の日の午前中には葬儀担当者との打ち合わせになった。
その前夜、息子は自分の祖母が亡くなった知らせを聞き、「そうなんだ……」と言った後に目に浮かんだ涙を静かにぬぐった。
妻は母の遺体と対面し、これまでの苦労もある中で母に感じていた情が湧き上がったのか、やはり静かに涙した。
社会的状況から弔問を遠慮してもらう方向へとならざるをえず、また小さな葬儀を望んでいた母の意向もあって無宗教で執り行うことは決まっていた。親戚の参列者は結局姉夫婦と姉の娘、そして私たち家族の六人だけということになった。参列できない親戚たちにもいろいろな思いがあることはわかるのだが、距離的な問題を差し引いてもどうしても参列できない状況になってしまったのである。もっとも「ごく近しい身内だけ、それも十人くらいだったらいいねぇ」と言っていた母の意向そのものになっていったのは、私個人としては幸いだと思っている。中には葬式となると気合が入り、「かくあるべし」というものを振りかざす人も必ずいるわけであるから、そういう人がいないというのは、ある意味葬儀をとても静かなものにする。
エンバーミングがほどこされた母は、白髪もきれいに染めてもらい、服も着替えさせてもらって、化粧がほどこされていた。首には「よく褒められた」と言っていたスカーフが巻かれた。口もしっかりと閉じられ、眠るような姿になっていた。次の瞬間に目を開けるのではないかと思えるほどである。
火葬まで一週間近くあったわけだが、それまでは毎日母のもとへと足を運んだ。亡くなってようやく毎日母のところへ行けるというのもなんとも皮肉なことだが、これを欠かすことは母に対する不義理であるように思えたので、必ず一度は母のもとを訪れた。当たり前のことなのだが、いつ行っても母の姿は変わらなかった。
火葬の前日、母の周りには花が飾られた。葬儀屋との打ち合わせで花がたくさんのものにしたのだが、見てみると思ったほどの花の量ではなかった。そのため職場からの献花の申し出が三件あったのを二件辞退して一つだけにしていたのだが、もう少し受けていればよかったと思った。幸い姉のところの子ども三人で一つの花を入れてくれたために、左右一対になったのでバランスがとれはしたのだが……。
当日、早めに母の安置されている会館へ行ったのだが、姉たちはすでに到着していた。久しぶりの再会が無言の再会となってしまったことに関しては姉が不憫であったので、かける言葉すらなかった。母の最期の様子については、詳細に語ってはいない。問われれば答えるつもりではあるが、こちらから積極的に語る必要はないと思っている。ましてや心の整理がつかないうちにこちらから話して聞かせるというのも無粋であろうと思った。
室内には母が好きだった音楽を流した。クラシックのことは私はわからないので、私が持っている音楽で母が好きだといったものを選び、プレイリストにしてブルー・トゥース・スピーカーで流した。坂本龍一の「アクア」が流れたとき、私と妻はこみ上げるものを抑えるのに苦労した。一年と少し前に息子の合唱コンクールを見るために私の家を訪れた際に、私がこの曲をかけると、
「私、こういう曲、スッと入ってくるんだよね」
といって顔をほころばせた。その後母はこの曲を好んで聴いていた。
棺に母を納めると、その後は花でいっぱいにした。花が大好きだった母の旅立ちにはこれが一番良かったのではないかと思うことにしている。姉は母が好きだったトランプを入れてあげたいようだったし私もそうだったのだが、セルロイド製のトランプは棺に入れないようにと言われていたために入れることはかなわなかった。それぞれのメッセージカードや手紙が入れられ、母が可愛がっていたインコの抜け落ちた羽を集めていれてあげた。私の息子は、幼少期に祖父母(私の義父母)を立て続けに亡くし、一年半前に祖父(つまり私の父)を亡くし、最後に残った祖母をとても慕っていた。そんな彼のメッセージカードに書かれたものは、高校受験を間近に控えた彼なりの強いメッセージだった。普段頼りない息子にそんな強い思いがあったというのは意外なことだった。
霊柩車に乗って火葬場へと移動した後のことはあまり触れないでおきたい。火葬が終わって「お骨上げ」の時、母の骨は薄っすらとピンク色がかっていた。これは花の色が移ったためだと言われたとき、母にふさわしい色になったのではないかと思えた。真っ白な骨を予想していたのだが、花の色が移ったと聞いた時、少し心が和んだ。骨に交じって、手術の時に入れられたのであろうチタン製の小さいプレートが混じっていた。
帰宅すると、母と一緒に我が家にやってきたインコが待ちかねたように鳴き声を上げた。そのインコは普段はよそよそしかったり嘴で噛んだりして甘えることが無いし触らせようともしないくせに、誰もいなくなると寂しいのかいつも私たちが帰宅すると大きな鳴き声を何度も上げる。そのインコに母の遺影を見せると、籠から出たくてウズウズしていたインコの動きがピタリととまり、鳴き声一つ上げずに母の遺影をじっと見つめたままになった。
「おばあちゃんだよ」
と言っても、インコは身動きもせずにしばらくじっと母の遺影を見つめていた。
妻が生けた花に窓から差し込む光があたって、床に花のかげが長く伸びていた。