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自分の履歴書⑥ 中国北京で独立する

この記事は、大連の会社が事業廃止になったことを機に退職して、中国国内でどのように独立するかを考え、新しい生活をスタートするまでの記事です。

何をやるかを決める

私が漠然と考えていたのは、中国にいるからこそ提供できる有益なサービスです。と、、理想を持っても、そんなサービスがすぐに思いつくはずもなく、取り急ぎは今まで仕事としてきたウェブデザインの受託で食いつなごうと決めました。

それに合わせて、前職で扱っていたレンタルサーバーも視野に入れました。サーバーはウェブサイトをゼロから作るお客様に対してセットで提供できれば良いと思っていました。安定のしないウェブデザイン受託の他に、月額の収入を得ることができるメリットがあるためです。

そしてもう一つは、BPO関連です。BPOとは前の記事でも書きましたが、単純業務をコストの安い国にアウトソースするというものです。ウェブサイトに関連する単純業務としては、写真の切り抜きやHTML(ウェブサイトを表示するためのプログラム)などがありました。ここに目をつけた経緯としては、大連のBPO企業のウェブデザインを縁あって担当させてもらえた経緯があり、ここにも仕事をつなげられれば、と考えていました。

事業全体フローは、以下のような構想です。

どこでやるかを決める

上海、北京、大連、この3都市で考えました。南部の広州、深センなども大都市ではありますが、ITというよりは工場が主流だったので対象外としました。当時、最も盛り上がっていたのは上海で、日本のIT企業もこぞって進出していました。外資を受け入れやすい風土に加え、中国で商売といえば上海というイメージがあったからかもしれません。上海に行くのが順当とはいえ、一方で既に開拓されている上海に一人で飛び込んで勝ち目があるとは思えませんでした。
また、大連はアウトソーシングに特化していて、ITサービスを展開するには都市の規模としてはやや小さいように感じました。

残る北京はというと、大都市でありながら何故かそこまで盛り上がっている様子もなく、入り込む余地があると考えました。後から分かったのですが、政治の中心である北京は反日感情がまあまあ強いというデメリットがありました。もう一つ、大連で知り合ったテレビ局記者の方が2008年の北京オリンピックに向けて、北京へ行くとのことでした。職業上人脈が広く、実はその方経由で中国でのウェブサイト制作の案件をいくつか紹介してもらったことがありました。このような経緯で北京へ行くことに決めました。

個人でやるか法人にするか

独立するにあたって、会社を作るかどうか迷いました。正直なところ、当時は会社を作ることの意味がよく分かっていませんでした。案件を受注するたびに会社の意味について、身を持って理解できてきました。一番は信用でした。特に中規模〜大企業の案件の場合、個人では信用がないため受けることができませんでした。
このような場合、話は一旦自分の方で受けて、前職で関わったデザイン事務所が受注するという体裁にしました。私はその事務所から受託し10%をそのデザイン事務所に支払う流れとしました。お金まわりに詳しくない私が必要に迫られて考えたフローでした。

法人化すればこのような煩雑な手順を踏まずに済んだのかもしれません。この判断を下すにあたり、北京に行く前に一度帰国して、前職の社長と話す機会を持ちました。その際にアドバイスをいただいたのが、法人は上手くいくと分かってから作るべきだと言うことでした。起業したい人の多くは、法人を作って、会社名を自分で決めたりオフィスを構えたり、要は自分の城を作りたいだけの人が多い、とのことでした。法人は上手く行ったら作れば良いし、オフィスも自宅の部屋でやれば十分だとアドバイスいただいていました。

このアドバイスがその通りだと思ったのは、いざ独立してみて案件の受注にバラつきがあり、とにかく安定しない状態だったためです。会社に所属していると上手く行っても行かなくても毎月給料がもらえる、この当たり前のことがいかにありがたいことだったかを実感しました。そして、不安定な状態が続くうちは法人化はしないでおこうと決めました。

中国人とルームシェア

中国語がまだ完璧とは言えなかったので、ルームシェア物件を借りました。胡同(フートン)という古い町並みが好きだったので、やや不便で汚い物件でしたが決めました。東京で言うところの山手線エリアで約2万円くらいだったと思います。とにかく案件を受注できるかが分からない状態だったので、できるだけランニングコストを抑えたい、という思いもありました。

北京での日々がスタート!

北京はオリンピックに向けて、町がものすごい勢いで再開発されていました。例えば、地下鉄は駅員に口頭で行き先を告げて紙の切符を渡されていたのが、一気に自動改札に加えSUICAのようなカードも発行されるようになりました。オリンピック会場も着々と完成していました。このような中でウェブサイトの受注をしながら生活をつなぎ、何かを見つけられないか日々模索する日々が始まりました。

社会人20代後半その3へ続きます

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