自分の履歴書③ 20代中盤で3社目、やっと順風のきざし
この記事は、社会人3年目にして2社退職した状態から、上場企業の社員へと登りつめた記事です。
1ヶ月間アジアへ旅行して、心理状態をリセットする
2社退職した段階で焦りのような感覚がありました。多くの人は一般的な企業に就職し、着実にキャリアップをしているに違いないと。
そんな中、偶然高校時代の親友が全く同じタイミングで会社を退職していました。次の職場も決まっていなくて、長い休暇が取れることもないだろうと言うことで、パーっとタイに行こう! という話になりました。こんなに自由に生きて良いのだろうかと思いながらも、日本から離れて気持ちをリセットしたいと強く思っていました。
タイは首都バンコクをはじめ北部から南部の島々、それとカンボジアも周りました。踏み外してしまった焦燥感と南国の生温かい湿った空気が入り混じって、何とかなるさ、と思うようになりました。マイペンライ。日本語で「何とかなるさ」というタイ人がよく使う言葉です。そんな気持ちで日本に帰国しました。およそ1ヶ月ほぼノープラン、行き当たりばったりの旅でした。
ITの世界でのお金の流れを考える
帰国して次の仕事について考えました。もう失敗したくない、と思っていました。今までのデザイン業務を振り返り、思うことがありました。画面構成やデザイン(当時はUIUXという言葉はありませんでした)をきちんと考え抜いてリリースしても、実際なかなか集客につながらないケースが多かったのです。ITの世界では一体どこにお金が流れているのだろうと思いました。ウェブサイトの成功失敗に限らず作れば作るほど肥えていくもの、それはレンタルサーバーやドメインだと思いました。
この考えに至ったのには、旅行中の友人の話がきっかけでもありました。友人は不動産屋で営業職をしていました。不動産を買って人に貸せば不労所得になる。多くの人がきっと一度は読んだことがあるであろう、ロバートキヨサキの金持ち父さんのような話です。不動産の収入だけで、世界中へ旅行して遊んで暮らせたら良いよな〜なんて旅中で話してました。
IT業界で言うところの不動産とは、レンタルサーバーでありドメインなのです。ウェブサイトがうまく行っても失敗してもサーバー費用は固定。そして、これからウェブサイトは爆発的に増えると思っていました。ただし、不動産は有限ですが、サーバーは実質無限。どのように付加価値をつけているのだろうか、という興味もありました。そして、レンタルサーバーの会社にアルバイトではありますが採用いただくことができました。
心から尊敬できる上司に出会う
その企業は東証一部に上場しているIT企業の子会社で、とてもきれいなオフィスビルに入っていました。ガラス張りのミーティングスペースで、採用面接した時からすごいオフィスだな、と思っていました。社員の人たちも皆心にゆとりのある人たちで、残業が多いながらも前職と比べたら優雅だと感じました。デザインチームも和気あいあいとしていて、昼休みは裏の公園でバレーボールをしたり、早く退勤できる時は皆で美術館に行ってクリエイティビティを磨いたり。
このデザインチームを取りまとめていた上司とは、偶然入社前に行ったタイの話が盛り上がったのがきっかけでよくランチに行ったり、週末も遊んだりするような仲になりました。「カップラーメンで満足しちゃダメだよ。そういう人は一生カップラーメンを食べ続ける人生になる」と言って美味しいご飯屋をいろいろ教えてもらいました。たまに贅沢して良いご飯屋に行くと「ただ美味しいって言って食べていたらダメ。なぜ値段が高いのか、どういうところに気を遣っているのかきちんと見ないと」と言われていました。こうしたメッセージの一つ一つは先々の人生の意思決定などに大きく影響しました。
MacがOSXでデザイン刷新、写実表現の需要増
ちょうどこの頃、アップルのOSのデザインが一新され、リアルな表現をモチーフとするデザインに寄り始めていました。その流れでデッサン力が問われるデザインの需要が高まりました。レンタルサーバーやドメインは、難しい内容が多く噛み砕いて伝える必要があるため、説明用のアイコンをたくさん作っていました。また、このアイコンをテンプレート化して社内に配布することで営業ツールにも使ってもらえるようになり、デザインで業務効率化に貢献しました。また私個人でも興味があったサーバーを購入してひたすら勉強しました。そのかいあって、アルバイトから正社員に採用いただけました。
会社が上場
ありがたいことに、入社して2年くらいで会社が上場することになりました。当時はブログやeコマースといった概念が日本でも芽を出し始め、それに伴いレンタルサーバーの需要は大幅に増加したのです。貯めていたストックオプションを一部売却して20代中盤にしてはまとまったお金が手に入りました。長年勤めていた人は大金を手に入れていました。そして、それを元手に夢だったカフェや飲食店をするために退職する人が結構いました。
人生には答えがない、本当に人それぞれだな、辞めていく人を横目にそう思いました。
社会人20代中盤その2へ続きます
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