![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/93095027/rectangle_large_type_2_2158a45305ec15cd6c24622fb70472bc.jpeg?width=1200)
<日本灯台紀行・旅日誌>2020年度版
<灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#10
伊良湖岬灯台撮2~土産物店
階段から降りて、灯台の正面に立った。伊良湖岬灯台が、いくら小ぶりとはいえ、至近距離では上半分、画面に入らない。ま、そういうことは、この際関係なかった。あくまでも記念写真だ。上半分が写っていなくても問題はない。あとは、扉とか手すりとか、細部をじっくり見た。ただし、ほとんど記憶されていない。ただ、近くで見ると、錆が流れている箇所が意外に多かったような気がする。灯台50選に選ばれている、有名な灯台なのに、やや、ほったらかしだ。もっとも、何年かおきには手を入れているのだろうから、修繕前だったのかもしれない。
その後は、来た方とは反対方向、つまり、フェリー乗り場の方へ少し歩いた。遊歩道は、右側の山の縁に沿って、ゆるい右カーブだ。ふと振り向くと、灯台はすでに死角になっていた。ということは、もうこれ以上、前に進む必要はない。回れ右。少し戻った。山側が広くなっていて、ちょっとした広場になっている。ベンチもある。座って休憩した。
ベンチに座った位置からでも、灯台は、見えることは見える。ただし、左から山の斜面がせり出していて、写真にはならない。景観ともいえない。少しの間、ベンチに座って、体を休めた。が、静寂はすぐに破られた。がやがやと観光客が来た。立ち上がった。気まぐれだろう、そばにあった、モニュメントや歌碑のそばに寄って、ちらっと眺めた。初めて見る名前だ。疲れていて頭が働かなかったのだろうか、覚えようともしなかった。
さてと、今度は東側の波消し石の上から、灯台を見てみよう。石塀に近づいた。見ると、一個一個の石の表面に、和歌なのか俳句なのか、なにか刻字されている。伊良湖岬に関する、万葉集の歌かなと思い、近寄って、文字を眼で追った。まったく意味が取れない。和歌なのか俳句なのか、文字は、石塀を構成している石に、一首ずつ、軒並み刻字されている。あの時は、それが何を意味するのかわからなかったし、わかろうとも思わなかった。
注釈 伊良湖岬灯台へと至る石畳の道は、別名<いのりの磯道>=<磯丸歌碑の道>と呼ばれている。<磯丸>とは江戸時代後期の、渥美半島の漁夫歌人<糟谷磯丸>のことで、石に刻字された句は、磯丸の作品<まじない歌>だったらしい。
まず、カメラを二台、肩から外して、石塀の上に置いた。身軽になり、両手を石塀の上についた。次に、右足をあげて石塀の上に、足先をのせた。その足先を支点にして、ぐいと踏ん張り、石塀の上に飛び乗った。そのあとは、身をかがめてカメラを一台ずつ手に取り、一台は肩掛け、もう一台は首にかけた。そして、灯台を眺めた。ごくろうさん!灯台も水平線も、斜めにかしいでいる。波消し石の上を飛び歩くのは、もううんざりだったが、しかたない、やるしかないだろう。どの石の上から見れば、灯台の垂直と水平線の水平を確保できるのか、この目で確認しなければならない。
もっとも、今回は、多少手抜きした。というか、灯台との距離が、おのずと決まってきて、さほど前後に動く必要がなくなった。のみならず、構図的な問題で、左右の動きも、狭い範囲内でおさまった。つまり、灯台の左側からせり出している山を、どの程度画面に取り込むかが最大の問題で、この問題に決着がつけば、すなわち、その位置が東側のベストポジションになるのだ。
灯台からの距離は、およそ20メートル。足を置く波消し石は、石塀と波際のテトラポットのほぼ真ん中辺り。波消し石の形や、周囲の布置、特徴を頭に入れて、石塀に戻った。さほど時間はかからなかった。いま思えば、かなり疲れていて、ややいい加減になっていたような気もする。
撮影画像で確認すると、時間は、午後の二時前だ。朝六時に起きて、四時間ほど運転、小一時間赤羽根灯台を撮り、その後も、ずっと伊良湖岬灯台の撮影。とくに、波消し石の飛び歩きがきつかった。石畳の道を、駐車場の方へと戻った。右手には、恋路ヶ浜が広がっていた。だが、何か他のことを考えていたのだろう。景観に感応することもなく、うつむき加減に歩いていた。足が少し重い。疲れを感じた。
駐車場に着いた。そこそこ車が止まっていた。風は強いが好い天気で、さほど寒くもない。観光地の雰囲気が漂っていた。カメラを車の中において、目の前の公衆トイレへ行った。まずまずきれいだった。<大>の方は、洋式で温水便座がついていた。もっとも、公衆トイレの便座に座るのは、さすがに抵抗がある。とはいえ、切羽詰まっているときには、関係ない。幾度となくお世話になったことがあるじゃないか。
車に戻って、運転席で一息入れた。そういえば、今晩食べる食料を買いそびれている。ホテルの場所は、来るときに確認していていた。ここから車で二、三分のころにある。素泊まりだから、夕食は調達しなければならなかったのだ。すっかり忘れていたよ。駐車場の敷地外に、道路を隔てて、五、六軒土産物屋が並んでいる。<大あさり定食>の文字が目に入った。夕飯には早すぎるが、食べておいた方が無難だな。なにしろ、渥美半島に入ってからは、コンビニの看板を、ほとんど見ていないのだ。
コロナ禍の中、できれば外食はしたくなかった。だが、いたしかたない。構えの一番いい店を選んで中に入った。だが、中は雑然としていた。一組客がいたが、食べ終えるところだった。<大あさり定食>を頼んだ。なかなか出てこない。テーブルをひとつあけて座っていた先客も引き上げた。まだ出てこない。とはいえ、ゆっくり構えて待っていた。夕方の撮影までには、まだ時間があったのだ。
店頭で、愛想のいい女将さんが、さっきからなにか焼いている。あれが<大あさり>なのだろうか。そうらしい。女将さんが声をかけると、奥の方から、ご飯や味噌汁がのった四角い盆を持ったあんちゃんが現れて、女将さんから<大あさり>を受け取り、盆にのせて持ってきた。ようやく飯にありつけた。
デカいハマグリのような感じだが、味が大振りで、やはり<あさり>だと思った。しかも、焼き方が下手で、固くなっている。まあ、いい。あさりの味噌汁があったので、ご飯のおかずはそれで十分だ。とはいえ、ゴムのような<大あさり>四個、完食いたしました!あと、デザートのかわりだろう、小さなみかんが半分、それにメロン半切れが小鉢に入っていた。そのみかんが、わりとおいしかった。
食べ終わって、店の真ん中に、雑然と並べてある土産品を見ていた。女将さんがすっと寄ってきて、バイクで来たの、と声をかけてきた。いや、車でと答えると、そうよネ、これじゃさむいわよネと言って、自分の服装を下から上へと眺めなおした。たしかに、下は紺のウォーマー、上も紺パーカ、髪の毛が伸びていて、ざんばらだし、爺のバイク野郎と見られても不思議はない。
そのあと<あさりせんべい>のことなどを聞くと、まだ多少色香の残っている女将さんは、聞かれもしないことまで元気よく喋っている。見ると、小粒みかんの箱がいくつも置いてあって、小分けして売っているようだ。小分けをさらに小分けして売ってくれないかと、女将さんに言うと、息子に聞いてみないとわからないと言葉を濁した。折りしも、店頭に客が来て、女将さんは<大あさり>を焼きはじめた。
二十代そこそこの息子が、どこからともなく現れた。小粒みかんの<小分けの小分け>の件を女将さんから聞いたにもかかわらず、シカとしていて、こっちに返事が返ってこない。めんどくさいので、それでいいわ、と言って、小分け袋を買った。息子は急に愛想がよくなって、箱の中のみかんを二、三個手でつかんで小分け袋に入れて、渡してきた。
定食代込みで¥1800くらい払った。帰り際、息子は、かん高い元気な声で<おとうさん、はいこれ>と言って、串刺しのパイナップルを、冷蔵庫の中からさっと取り出し、手渡してきた。おそらくは漁師の息子なのだろうが、商売慣れしている。まだ若いが、女将さんにとっては頼もしい息子なのかもしれない。