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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行・旅日誌>2021年度版

11次灯台旅 網走編

2021年10月5.6.7.8日

一日目 #3 コンテナ搬出作業

窓の外では、飛行機から小型コンテナの搬出作業が行われていた。それが、すぐ目の前だ。作業員の表情が手に取るようにわかる。何気なく見ていると、作業員のひとりが女性だ。作業員は、全員お揃いの紺の作業着に帽子をかぶっているので、よく見ないとわからない。少し興味を持った。どう考えても、女性のするような仕事には思えなかったからだ。

彼女の仕事というのは、飛行機の胴体から運び出された、長方形の小型コンテナを、自身が運転するコンテナ牽引車の六両の荷台に、一つずつ乗せ換え、所定の場所に持っていくことだ。ひとつの荷台の長さは、二メートルほどだが、六両連なっている。まずもって、十トン車並みの長さになっているわけで、回転する際には大きく弧を描く。空港内で、これを縦横無尽に走らせるようになるには、かなりの練習が必要だろう。

むろん、それだけではない。その長いヘビのようなコンテナ牽引車を、仮設コンベアーの真横に、三十センチくらいの間隔をあけて、横付けしなければならい。この作業もかなり難しいとおもう。というのは、横付けする荷台は、前から二番目の、真ん中あたりの右横、と決まっており、運転席からは、かなり離れていて、確認しづらいからだ。

もちろん、そこにぴたりと横付けしなければならない理由があるのだ。小型コンテナは、二台ずつ、飛行機の腹から出てくる。出てくるといっても、自然に出てくるわけではない。タラップの上に作業員がいて、出てきた二台のコンテナを、コンベアーの上を滑らしながら、昇降機へと移動し、なにかのボタンを押して、下におろすのだ。その際、同時にカラになった昇降機が上に登ってくる。エレベーターの原理だな。つぎに、下におろされた二台のコンテナは、地上の仮設コンベアーの上に移される。地上の作業員が、そのコンテナを一台ずつ、人力で押しながら、横付けされたコンテナ牽引車の荷台の横まで移動させる。コンテナの下には滑車がついていて、仮設コンベアーの上を滑らすことができるのだ。

コンテナ牽引車の荷台は、三十センチほどの間隔をあけて、仮設コンベアーと垂直に向かい合っている。と、例の女性が、荷台を人力で90度回転させた。あれっ、動くんだと思った。荷台の向きを変えて、コンベアーと接続しようというわけだ。三十センチの間隔は、そのために必要だったのだ。

それにしても、縦方向の荷台の向きが、横方向に、くるっと変わるとは、よく考えたものだ。だが、問題というものは、いつ何時でも起きるものだ。仮設コンベアーから、横向きになった荷台の上に、たしかにコンテナは移動できた。さて次は、このコンテナの乗った荷台を、元の縦方向に戻す作業だ。
ところが、それが、きちんと元に戻らない。押せども引けども、彼女一人の力では、びくともしない。何かが阻害している。下を覗いても、それが何なのかわからない。見るに見かねて、コンベアー担当の作業員が、手伝いに来た。こちらは男だ。しかし、二人して、押しても引いても、荷台に乗ったコンテナは動かない。

そのうち、タラップに居る昇降機担当の作業員の動きが止まった。飛行機の腹から次々と出てくるコンテナを下へ下せなくなり、見物状態だ。地上では、中途半端にずれてしまったコンテナを荷台の正常な位置に戻そうと必死だ。コンテナ搬出の作業が、この女性の、ちょっとした不手際で、すべてストップしてしまったわけで、これは、かなり焦るだろう。

どうなるのかと、こっちも気が気でない。すると、飛行機の尾翼辺りで、荷物の搬出作業していた作業員が、走って応援に来た。これで、荷台の周りには、三人の作業員がいる。力を合わせて、荷台を正常な位置に戻そうとしている。おそらく、コンテナの滑車が、荷台のレールの上にちゃんと乗っていなかったのだろう。その結果、荷台が不均衡になり、うまく回転しなくなったのだ。

三人の作業員が、力を合わせて、コンテナの端を持ち上げている。と、直方体の、非人間的なジュラルミンは、なんとか、荷台のレールにおさまったようだ。女性の作業員が、応援に来てくれた男の作業員たちに頭を下げている。尾翼の作業員は、また走って、自分の担当部署に戻り、コンベアー担当の作業員も、仮設コンベアーの横に戻った。

小型コンテナが、またコンベアーの上を動き始めた。搬出作業が再開されたのだ。その間、五分くらいあったろうか。しかし、今度は、失敗できないだろう、といらぬ心配をしながら、女性作業員を見ていた。問題は、やはり、くるっと横向きにした牽引車の荷台と仮設コンベアーとの接続だろう。その接続がうまくいけば、コンテナはすんなり牽引車の荷台のレールの上に移動できる。

だが、そこに、隙間があきすぎていたり、牽引車の荷台とコンベアーとが一直線でなかったりしたら、齟齬が起きる。つまりは、一番最初の、コンテナ牽引車の横づけがポイントだ。あの時点で、ぴたりと正確な位置に横付けできていれば、牽引車の荷台とコンベアーの接続は、ほぼ成功したようなものだ。しかし、前に書いたように、それには、かなりの熟練がいるように思える。

プレッシャーの中、果たして、彼女は、今度は、うまくできるのかな。横向きになった牽引車の荷台とコンベアーの間に、少し隙間があるぞ。あれで、コンテナが、すんなり、牽引車の荷台に乗るのかな。だが、あにはからんや、コンテナはガクンと動いて牽引車の荷台に移動した。そして彼女は、その横向きになった荷台の上のコンテナを、両手で、くるっと90度回転させ、元の位置に戻した。

さらに、コンテナをぐいぐい押して、牽引車の荷台の一番前まで移動し、固定した。ちなみに、六両編成の荷台は、つながると、いわば一本のレールになり、二番目の荷台を起点にして、コンテナを前にも後ろにも積み込むことができるようになっている。毎回、二番目の荷台を、横にしたり縦にしたりする必要はあるが、ま、すぐれものだ!

そのあとの作業は、順調だった。六個のコンテナを荷台に積み終え、彼女の運転する長いヘビはにょろにょろと、所定の位置に移動した。たしか、ヘビは三匹いた。そうだ、竹細工のヘビのおもちゃのようだと思ったのだ。

そいつは、たしか、緑色していて、目が赤かった。いくつかのみじかい節で接続されていて、ぎこちなく動く。にょろにょろした感じに造形することもできた。面白いような、それでいて、気味が悪いような気もした。誰に、どこで買ってもらったのかは思い出せない。ただ、小学校へ入る前で、三軒長屋のうす暗い納戸の中で、この緑のヘビと遊んだ覚えがあるのだ。

一日目 #4 空間移動

羽田発エアドゥー77便は、出発が少し遅れるようだ。空港内の離着陸や清掃作業に手間取っているらしい。緊急事態宣言が全国的に解除されて、乗客の数が一気に増えたからだろう。ふり返ると、出発ロビーには、たくさんの人の頭が見えた。もっとも、遅れるといっても、たかが五分だ。問題はない。

十一時半になると、女満別便の搭乗が始まった。二時間半ほど待ったわけだが、待ちくたびれたという感じはしなかった。まずは、優先搭乗といって、赤ちゃんや小さな子供連れ、それに妊婦などが先に搭乗する。車いすなどもこの部類に入るようだ。その次は、後部座席の窓際の席から案内される。搭乗券に、グループ分けの番号があり、若い番号順に搭乗できる。自分は、1グループだったので、最初に搭乗できた。何事も一番初めというのは気分がいいものだ。

蛇腹の中を通って、機内に入った。中央通路を、キャリーバッグを後ろ手に引いて歩いたが、バッグが何回か、座席の角にぶつかり、歩行が滞った。通路が意外に狭いのだ。もっとも、バッグが縦方向に動けば、すんなり通れるわけだが、自分のキャリーバッグは横方向にしか動かない。四輪のキャリーなら縦方向へも動くが、二輪は横方向にしか動かないのだ。

カメラバックだからと、あえて自在に動く四輪ではなく、安定性のいい二輪にしたのだが、改めて今、押入からキャリーバッグを取り出して、ひっくり返してみた。たしかに車輪は二つで、反対側には、なんというか、細長い大きな手持ちフックのようなものが、底についている。なるほど、これなら、バッグが自立して立っていられるし、両手で持ち上げる時に便利だ。だが、機動性に問題があるとは、購入時には思い至らなかった。

自分の座席を確認して、そのキャリーバッグとリックサックを、頭上の荷物棚に横向きに入れた。ちょっと、重たいと感じだ。と、ちょうど通りかかった女性のアテンダントが、縦向きにできないかと言ってきた。なるほど、その方が荷物はたくさん入るわけだ。荷物の向きをすぐに変えた。そして、大きな蓋を両手で閉めた。出っ張ることはなかった。

その時ふと思った。手荷物の<機内持ち込みサイズ>というのは、おそらく、この荷物棚に収納できるか否かが、基準になっているのだろうな、と。たしか、縦・横・高さ総計が115センチ以内だったかな。それと、個数は二つで、総重量は10キロだ。しかし、自分の場合、重量は多少オーバーしているかもしれない。なにしろ、キャリーバッグが重いのだ。いや、この話はこのへんでやめておこう。ヤブ蛇になるといかん!

平日だが、席は四、五割うまっていたようだ。乗客が全員席に着くかつかないうちに、飛行機が、ゆっくり動き出した。たらたらと空港内を、いいかげん走った後に、大きく旋回して、滑走路に入った、のだろう。そこから、一気にスピードが増した。轟音が響き渡り、車輪のガタガタする音が尋常じゃない。パンクしたまま走っているようにも思えた。

そんなことにはお構いなしに、飛行機は、さらにスピードを増していく。なかなか離陸しない。気のせいか、ガタガタする音が小さくなった。と同時に、機体が浮き上がった。天空へ向け、斜め45度の角度で、有無を言わさず上昇していく。

見る見るうちに、地上の物体が、小さくなっていく。ふと、飛行機事故は離陸時と着陸時に可能性が高いのだ、と思った。それから、自動車の事故は、八十パーセントは交差点で起こる、とも思った。要するに、多少不安になっていたのだ。

窓に額をくっつけて、一心に地上を見下ろしていた。すでに、ちぎれ雲の上にまで到達して、さらに上昇を続けている。もうじたばたしてもしょうがないなと思った。この高さだ、いったん事が起きれば、命はあるまい。少し不安が和らいだ。デジカメを取り出して、窓越しに地上の光景を何枚か撮った。

ほぼ平静になった頃には、飛行機はすでに雲の上に到達していて、このうえもない青空の中を水平飛行していた。眼下には純白な雲の層だ。地上などは全く見えない。それでも、退屈まぎれに、窓の外を見ていた。

自分の席は、ちょうど、右主翼の後ろあたりだった。砲弾型のジェットエンジンと、翼がよく見えた。翼をよくよく見ると、なんだか作りがちゃっちいように思えた。ジュラルミン製なのだろうが、こんなんで、高度一万メートルを飛ぶことができるのか!我ながら、恥ずかしいほどの愚問だ。いま、実際に飛んでいるし、世界中で数えきれない飛行機が飛んでいる。しかも、墜落したという話は、めったに聞かない。

それから、これは、帰りの機内ビデオで知ったことだが、高度一万メートルで飛んでいる飛行機の速度は、時速700キロ以上にも達する、ということだ。にもかかわらず、いや、それゆえにか?飛行機は揺れもしないし、窓外の翼も、微動だにしない。雲の上の、真っ青な空の中で、停止しているかのようだ。

不思議な感覚だった。実際は、空の上を高速移動しているにもかかわらず、体感的には静止している。視覚的にも、高速移動している事象は確認できず、窓外には、翼と雲と青空の静止画が、べったり張り付いたままだ。

唐突に、人間は<偉大>でもあるし<不遜>でもある、と思った。<神の目>でしか見ることのできない光景が、眼前に広がっていた。人間は、限り無く<神>に近づこうとしている。しかし、それは<不遜>なのではないのか。おそらくは、近い将来、この人間の<偉大さ>と<不遜さ>が、人類の滅亡につながるにちがいない、とも思った。

やや哲学的なこと、ま、どうでもいいようなことを夢想しているうちに、眼下の雲の状態が変化してきた。雲の層に多少の凸凹があり、それが陰影を作り、まるで、雪原のようだ。そう、雪原の上を飛んでいるような感じだ。ここはどこなのか?南極か?北極か?はたまた、アラスカなのだろうか?なんだか、愉快な気分だ。感動していたといってもいい。何枚か、デジカメで写真を撮ったが、デジカメ画像と脳内の感動との落差が大きすぎる。すぐに撮るのをやめてしまった。

しばらくは、字義通り、雲の上に居るような気分だった。幸せな時間だったと思う。しかし、毎度おなじみで<しあわせ>などというものは長続きしない。機内アナウンスがあり、じきに降下を始めるとのこと。そうなれば、席から立つことができない。トイレに立った。最後部のトイレまではすぐだ。ドアの前に立つと、中から女性アテンダントが出てきて、鉢合わせになった。なんだか、ばつが悪かった。いや、生々しい現実に引き戻された気がした。

狭い密閉空間で用を足し、席に戻った。いくらもしないうちに、シートベルトの点灯ランプがついた。アナウンスがあり、機体が降下し始めた。といっても、いらいらするほどゆっくりだ。高度一万メートルから、徐々に高度を下げながら、着陸するのだから、当然だろう。

そうだ、言おう言おうを思って忘れていたが、二つ前あたりの座席の上の天井から、小型テレビが吊り下がっていたのだ。こいつは、離陸時にも、天井から降りてきて、緊急時の酸素マスクや救命胴衣の説明ビデオを流していた。今、画面には日本地図があり、その上を飛行機のアイコンが刻一刻、少しずつ移動している。むろんこれは、現在位置を明示しているわけだ。その際、時速とか飛行距離とか到着時間とかの情報が、その都度提供される。アニメーションの質も高く、カット割りなども、よく工夫されていて、なかなか面白い。

高度は、6600メートルほどだったと思う。ちょうど、釧路市辺りから北海道の上空に入り、そのまま北上しながら降下し続け、女満別空港に着陸しようとしている。こうしたことの、ほぼすべてがテレビ画面に、アニメーションで映し出されている。ちなみに、これまで飛んだルートも示されている。羽田空港から八戸までは、太平洋岸の陸地の上を飛んで、そのあとは、太平洋の上を飛んで、北海道に来たのだ。

高度が下がってきた。機体が下に傾いている。そのうち、雲の中に入ったのか、まったく何も見えなくなった。また、やや不安になった。前が見えなくても大丈夫なのか?最低な質問だ。<レーダー>というものがあるだろう。
テレビ画面を見た。高度は3000メートルくらいに下がっていた。日本地図上の、飛行機のアイコンも、釧路市と網走市の真ん中あたりに移動していた。もうすぐだなと思ったとき、たしか、機長のアナウンスがあった。この先、気流の関係で少し揺れるが心配ないとのこと。

そのうち、窓の外が明るくなった。千切れ雲の間から、地上の事物が見えだした。離陸時の首都圏の光景とは全く違っていた。なだらかな丘に緑や茶色の畑が、うねうねと、きれいに並んでいる。その一角に、オレンジ色や青色の屋根だ。かまぼこ型の大きな建物が見える。まわりには、小さな建物が幾つも寄り添っている。

周辺には、まだ林なども残っていた。この100年の間に、人間が原生林を開墾して、食物の取れる畑を作り出したのだろう。その連綿たる労苦!!!ま、とにもかくにも、眼下には北海道の牧歌的な光景が広がっていたのだ。

飛行距離、約1000キロ。1000キロも北に移動したのか、という感じはしない。ほんの数時間、飛行機に乗っただけだ。だが、空の上から、いわば<神の目>で、いろいろ見られたし、なかなか楽しい空の旅だった。

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