<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版
<日本灯台紀行 旅日誌>
第14次灯台旅 能登半島編
2022年10月-12.13.14.15日
#6 二日目(4) 2022-10-13(木)晴れ時々曇り
禄剛埼灯台撮影1
どこをどう走ったのか?13時半過ぎには、能登半島の先端部にある<道の駅 狼煙>に着いた。広い駐車場、トイレもきれいだった。ただし、売店には、弁当などはなく、食料を調達するつもりだったので、がっかりした。というのも、うっかりして、というか、<道の駅>なのだから、食料品くらいあるだろうと思って、コンビニに寄ってこなかったのだ。もっとも、赤崎灯台を過ぎたあたりからは、コンビニも目にしなかった。
道の向かいには、観光客相手の飲食店がある。人の出入りもなく、閑散としていて、どう考えても、高くてまずいでしょう。腹もさほど空いていなかったし、手持ちの食料で、夕食は、何とかしのげると思った。バナナ、せんべい、クッキー、それに、菓子パンが少し残っていた。
広い駐車場には、車はさほど止まっていない。とはいえ、時々観光バスがやってきて、大勢の観光客が、数珠なりで、灯台のある岬の方へと、急な坂道を登っていく。
さてと、行くか。カメラ一台を肩掛けして、自分も、登り始めた。極端に急な坂で、ゆっくり登ったが、20メートルくらい行くと息が切れて立ち止まる。それを、二、三回、繰り返したと思う。距離的には短く、時間的には10分ほどだから、何とか行きつけたが、体力が、極端に落ちていることを実感して、少し気持ちが沈んだ。この先、あと何年、灯台巡りを続けることができるのだろうか?
登り切ると、六角形の洒落た建物や、トイレなどがあった。公園になっていて、芝生の緑がきれいだ。奥の方に、白い灯台の頭がちらっと見えた。灯台の情景、撮影の詳細はあとで書こう。
注釈 灯台の情景も撮影の詳細も、そのあと結局は書かなかった。めんどくさくなったのだ。いまさら、苦労して書くつもりもないが、いつの日か、気が変わって、書く時が来るかもしれない。
小一時間(13:40~14:30)撮って、引き上げた。下りは楽だ。坂の途中で立ち止まると、民家の屋根越しに、海や駐車場が見えた。斜面に柿の木があり、すでに実がなっていた。そういえば、お花なども咲いているし、斜面に真新しい立派なお墓もあった。
カメラを首にぶらさげたおばさん二人連れが、話しながら上がってきて、そのうちのひとりが、あれは、オキザリスよ、とか言っている。下り口付近には、こじゃれたカフェなどもあり、建て増し工事をしているようだ。工事人とオーナーの爺さんが立ち話をしていた。
夜の撮影まで、一休みするつもりで、車に戻った。その前に、もう一度売店によって、店内を一回りした。だが、自分の食料になるようなものは、何もなかった。カステラのようなパンケーキがあったが、少量で¥650もする。買う気になれない。
車の中で、手持ちの食料を取り出して食べた。バナナ、せんべい、クッキー、それにオレンジジュースだ。早めの夕食だね。その間にも、観光バスが、また来て、観光客が、ぞろぞろと灯台へ向かって、急坂を登っていく。禄剛埼灯台は、観光コースになっているのだろう。
小一時間休んだ。15時半頃だったのだろう。装備一式整えて出発した。カメラは一台、三脚は軽い方、あと防寒着、それに、多少の食料と水だ。カメラバックを背負った。
今度の登りは、先ほどより、さらに難儀だった。足が重くて上がらない。いちおう、スクワットなどもやって、鍛えているつもりだが、全然足りないな、と思った。途中で何回も立ち止まった。最後は、それこそ、一歩一歩自分を励ましながら、登った。
ま、それでも、登り切ってしまえば、こっちのもので、いくらもしないうちに、呼吸も平常に戻った。狭心症で、心臓の冠状動脈にステントを一本入れてから、すでに九年余りたつが、心臓君はまだ大丈夫みたいだ。夜の撮影の詳細は、あとで書く。
注釈 夜の撮影の詳細も、結局は書かなかった。いま、一言書くとすれば、灯台の目が光るのを、思いのほか、近くで見られたことが、すごく良かったことだ。灯台がずんぐりむっくりした形だからで、巨大な目が黄金色に光だした時には、やや感動した。目の形も色も、きれいだった。
たしか日没は、17時頃だったと思うが、うす暗くなり始める前には、観光客も去り、静かになった。夕日は、背後の山並みの後ろだから、見えない。と、その時、あきらかに、ライダーらしき大柄の男が登ってきて、灯台をスマホで撮っている。見るともなく見ていると?目が合ったので、互いに会釈した。そのあと、奴は自分の待機している、灯台正面にも来て、灯台にスマホを向けていた。夕日は見えないですね、とか二、三言言葉を交わした。六十代の強面の男で、まさに、一匹狼のライダーの面構えだ。喧嘩も強そうだな。
奴が立ち去り、さらに薄暗くなり、灯台の黄金色の目が、一段と光りはじめた。夢中で撮った。一息つくと、周囲は、ほぼ暗くなっていて、頭にヘッドランプをつけた。
灯台はライトアップされていないから、撮るのが非常に難しい。全体測光すれば、<目>がにじんでしまうし、光る<目>で測光すれば、そのほかの部分は、真っ黒だ。こういう時の撮影方法などは、端から知らないし、ま、覚えようともしていない。硬化しつつある頭では、もう無理ですよ。気力も体力も知力も、完全に衰えている。それに甘んじている自分が、情けない。
もう撮ってもしょうがない、というか、俺のウデでは撮れないので、夜間撮影を終えた。坂を下るとき、海の中の防波堤灯台の、小さな赤い目が、点滅していた。完全に夜になっていた。写真は、撮れたような撮れなかったような感じで、判然としない。だが、やるだけのことはやった、と心は軽かった。
下に降りてきた。街灯のついた、暗くなった駐車場には、自分の車と、少し離れた右後ろにキャンピングカーが一台止まっているだけで、がらんとしていた。ま、自分だけよりは、心強い気がした。ただ、たしか、まだ18時前だったと思うのだが、キャンピングカーに明かりは見えず、静まり返っている。寝るのが、やけに早いなと思った。
ま、こっちも、あとは寝るだけだ。日除けシェードを窓に張り、寝る準備だ。着替えて、手ぬぐいと石鹸を手にして、トイレに行き、顔を洗う。あとは、車中泊スペースに入り込み、パソコンで音楽を流し、常用している薬を飲んだ。
静かだし、ゆっくり眠れそうだ。と、横になったら、すこし間をあけた左側に、<軽>が来た。隙間からチラッと見ていると、爺が降りてきて、トイレなどに行っている。そのあとも、駐車場の周辺を見て回っている。
そうそう、売店の横に、電気自動車の充電器があり、でかい黒のSUVが、充電中だった。あの車を取りに来たのかもしれない。動き方から見て、車中泊をしに来たとは思えないのだ。しかしそのうち、ずっと離れたところへ移動してしまった。ドアを開け放して、何かやっているようにも見える。
ま、いいや、ということでしばらくは、音楽を聴きながら、横になっていた。メモ書きをしなくちゃ、とも思ったが、どうにも億劫だった。三十分くらいして、眠気が差してきて、パソコンの電源を切り、消燈した。
いつもの通り、一時間おきに、おしっこタイムで起きた。しかし、これは、日常生活でも、慣れているので、苦にはならなかった。と、たしか、22時過ぎていただろうか、かすかに、音楽が聞こえてきて、次に車のエンジン音が聞こえた。それらの音が、頭の上を通り過ぎて、止まった。あれ~、と思って、隙間から覗き見ると、少し離れたところに、白っぽい軽バンが止まっていた。
またまた、常識のないガキが来たのか!と一瞬アツくなったが、ドアの開け閉め音が、何回か聞こえた後は、静かになった。そのあとは、なんのトラブルも事件もなく、安心して、寝ることができた。午前三時半におしっこタイムで起きてからは、五時までぐっすり眠れたような気もする。
日の出は、六時過ぎだ。五時に起きて、着替えだけして、すぐに出れば、五時半には、朝日が出てくるのを、灯台の前で待つことができるだろう。寝る前には、そう心づもりしていた。灯台へと至る、急な坂道のことは、けろっと忘れていた。狭心症が悪化していて、冠状動脈が、細くなっているとは思いもしなかったのだ。
ちなみに、この十四ヶ月後には、心臓に痛みを感じ、およそ十年ぶりに、心臓カテーテル手術を受けた。2023年5月、左冠動脈にステントを四本も入れたが、まだ右冠動脈に、治療すべき狭窄が二か所あるという。経過次第ではあるが、また来年、三回目のカテーテル手術を受けるようだ。まいったね。