<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版
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第15次灯台旅 四国編
2022年11月12.13.14.15.16.17.18.19.20日
#1 一日目 2022-11-12(土)
プロローグ
出発
龍野西SA車中泊
九月に清水旅、一泊二日。十月に能登旅、三泊四日。そして、いよいよ、十一月には四国旅、八泊九日。要するに、新しい車での車中泊に慣れるため、段階的に手順を踏んでいるというわけだ。小者が考えそうなことだ。
さてと、十月の後半から、いい天気がずっと続いている。最低気温が10度を切ると、車中泊は寒くて無理だろう、と自分なりに考えて、今年最後の灯台旅は、十一月の中旬に決めていた。だが、晴れがずっと続いている。そろそろ、天気が下り坂になるのではないか。案の定、十一月の三週目になると、雨マークや曇りマークが出てきた。
とはいえ、前回の旅の整理がついていないので、日程を早めるわけにもいかず、さりとて、これ以上遅らせれば、さらに寒くなる。ここは、車中泊の強みを生かして、天気が悪ければ待機、という手がある。灯台撮影の日だけ、晴れていればいいわけで、日程的なロスは覚悟して、計画通りに事を進めよう。
今回の旅の第一目標は、四国の最西端にある<佐田岬灯台>、第二目標は、高松港にある<玉藻防波堤灯台・通称、赤灯台>。第三目標は、高松港からフェリーで小一時間で行ける<男木島灯台>である。
第一目標の<佐田岬灯台>は、自宅から、おおよそ1000キロの距離にあり、おそらく、これが最初で最後になるだろうから、いい天気になるまで、何日でも粘ろうと思っている。したがって、そのほかの目標は、日程的、体力的に無理ならば、今回はパスしてもいい。高松も遠いが、高速一本で行けるから、またの機会もあるだろう。
出発三日前あたりには、前回の失敗を教訓にして、立ち寄る場所をナビに打ち込んだ。こうしておけば、現地で<履歴>からすぐに起動できる。ガソリンスタンドとコンビニのアイコンも、地図上に表示できたので、その場になって、あたふたすることもないだろう。
今回は、行き帰りの高速PAで二回、道の駅で四回の車中泊をして、あとは<民宿>で二泊することにした。<民宿>には泊まりたくないのだが、<全国旅行支援>とか<クーポン>などが支給され、一泊一万円の宿代が、実質¥1500くらいになる。それに、都合のいいことに、<佐田岬灯台>に一番近い民宿が、と言っても車で二十分くらいはあるが、楽天トラベルで予約できるのだ。トレイ風呂無しの部屋とはいえ、ほぼタダ同然なのだから、泊まらないと損するような気持になってしまった。
当日は午前4時半におきて、5時半に自宅を出た。まだ真っ暗だった。最寄りのインターから圏央道に乗った。なんだか車が多い。八王子辺りから、やや渋滞してきた。事故渋滞のようだ。交通情報のラジオを聞くが、雑音ばかりで、なんだか要領を得ない。そのうち完全にのろのろ運転になってしまった。
思いのほか行楽の車が多い。だから、誰かが事故を起こしたのだろう。ちぇ!もっとも、車列は、完全に止まることはなく、多少なりとも流れている。案内板によれば、東名の東京寄りで事故があり、その影響で、圏央道の海老名ジャンクションで渋滞しているようなのだ。出鼻をくじかれた感じだが、しかたない、我慢するしかないだろう。
やっと海老名を通過した。とはいえ、一気に御殿場まで走ることはできず、途中、スピードが落ちた。天気もいいし、秋の行楽シーズンだな。なにしろ車が多い。だが、第二東名に入ってからは、片側三車線ということもあり、時速100キロ前後で、気持ちよく走ることができた。
富士宮辺りでは、右手に富士山が見えた。あまりきれいでない茶色だったので、あれっと思った。先日、自宅付近から、真っ白になった富士を見ていたからだ。チラチラ見ながら運転していると、頂上の方に、わずかに白いものが見えた。なるほど、溶けてしまったんだ、と納得した。色合いがよくないので、今回の富士山には、あまり心が動かされなかった。
お決まりのように、湾岸沼津のSAで、トイレ休憩した。西の方へ行くときには、必ず立ち寄ることにしている。時間的に、2時間ほど高速走行したので、一息入れたいのだ。SAは、これもお決まりのように、朝っぱらから、人でごった返していた。すぐに出発した。
そのあと、名古屋までが長かった。さらに、<名神>に入ってからは、片側二車線になり、運転に気を使ったせいか、<京都南>までが、もう嫌になるほど長く感じられた。だいたいにおいて、<伊勢湾岸道>で事故があり、そのためか、ナビが勝手にルート変更して、<名神>を走らされたのが、頭に来る。<伊勢湾岸道><第二名神>に比べて、<名神>は、古い高速道路だから、走りにくい。それに、どう考えても山陽道に出るには、遠回りでしょ。ま、もう走ってしまったのだから、しょうがない。
だが、<京都南>の文字を通り越したあたりで、気分が少し良くなってきた。先が見えた感じがしたのだ。琵琶湖の北側を走りながら、<彦根>といい<草津>といい、これは、東日本にもある名前だ、などと思った。いま調べてみると、<彦根>は、新潟の<弥彦>との思い違いだ。それから、草津に関しては、滋賀の草津は<草津市>で、群馬の草津は<草津町>だった。この歳になってやっと積年の思い違いを正し、疑問をひとつ解決したわけだ。意味があるとも思えないが、気分はいい。
高槻ジャンクションで、<名神>から分岐して<山陽道>に入った。すでに、600キロ近く走っているので、ガソリンの残量が気になりだした。出発する前に満タンにしたら、車のメーターに、航続距離が650キロと出た。車中泊する<龍野西SA>まで、ちょうど650キロなので、その前には給油するつもりでいた。だが、実際に走ってみると、高速走行の燃費が、リッター20キロくらい出たので、航続距離が100キロほど伸びる計算になる。事実、ガソリンの残量計にも、まだ二割ほど残っている。給油は、<龍野西SA>で大丈夫だ。
さて、陽も西に傾きはじめた。ロングドライブもそろそろ終わりだ。夕食予定の<白鳥PA>に寄ろう。下調べでは、この<白鳥PA>には、コンビニと<松屋>があり、したがって、食料調達と夕食が同時にできる。車中泊する<龍野西SA>のひとつ手前というのも、都合がいい。
山陽道<白鳥PA>に到着したのは、午後3時半だった。出発してから9時間半ほどたっていた。トイレや食堂などの施設の前には、車がかなり止まっていた。その車列の後ろは、大型トラックの駐車スペースで、こちらもほぼ満車状態だ。駐車スペースは、ほぼこの二地帯だから、車中泊するには、あまり適さない。大型トラックのアイドリングがうるさいのだ。それも一晩中。
施設の中に入った。広い、きれいなフードコートだ。<松屋>の自販機で<牛めし並 ¥380>の券を買って、調理カウンターにだした。半券をもらって、セルフでお茶を注ぎ、席に着いた。周りにはほとんど人がいなかった。すぐに番号が呼ばれ、カウンターに取りに行った。セルフで<紅ショウガ>を少々、丼の上にのせて、席にもどった。思いのほか、うまかった。量的にも、<並>で十分だ。 ¥380は、信じられない値段だな、と思った。
あっという間に平らげて、満足、満足。爪楊枝を使いながら、ゆっくり寛いでいた。と、よちよち歩きの子供が、通路で、大声で、奇声を上げている。若い父親がやってきて、連れて行ったものの、子供はすぐまた通路に出てきて、絶叫している。その大きな声が、気に障る。よく居るんだよ、奇声を上げているガキが!あれはなんなんだろう?いつも怒鳴りつけたい衝動に駆られる。ま、いいや。席を立った。盆を返却口において、車に戻った。いやちがうだろう、隣のコンビニで、菓子パンやおにぎりなどを買って、車に戻った。
<秋の日は釣瓶落とし>。月並みな表現で、すんまへん。一日目の車中泊地、山陽道<龍野西SA>に着いた時には、辺りはうす暗くなっていた。時計を見たのだろう、午後の4時半頃だった。初めに給油だけしておこう、と小心者は考えて、ガソリンスタンドへ向かった。値段表示の看板がない。いやな予感がしたが、レギュラー満タン、と威勢よく店員に声をかけた。
案の定、予感が当たってしまった。リッター ¥185もする。いくら高速上のガソリンスタンドとはいえ、これはボリすぎだろう。埼玉では¥154だったのにと、小心者は ホゾをかんだ。ガソリンを入れている若いアルバイト店員に、¥185もするんだ、と小さな声で言うと、彼は、悪びれる様子もなく、時期が時期ですからね~と答えた。戦争にコロナに円安、か!
およそ650キロ走ってきて、ガソリンタンクはほぼ空になっていた。ということは、この高いガソリンを目いっぱいぶち込まなくちゃならない。黙って、一万円札を出した。さてと、ここで問題がひとつ発生した。というのは、高速上のガソリンスタンドというのは、本線に一番近い所に位置しているから、給油した後は、そく、本線に復帰しなければならないのだ。要するに、高速の<SA>は一方通行ということだ。だがしかし、今日はここで車中泊だ。駐車スペースの方へ戻らねばならない。小心者であるがゆえの失敗だね。
その旨、たむろしていた店員に伝えると、年かさの世間ずれしたオヤジからは、つれない返答が返ってきた。見て見ぬふりをするというわけだ。そういうことならばと、こちらもシカとして、スタンド内で回転して、いわば、逆走して、駐車スペースに戻った。危険なことは何もなかった。だだっ広い上に、車が少なかったからだ。それに、すでに、かなり暗くなっていた。
車中泊の、多少の経験を生かして、駐車スペースの真ん中辺の、ほとんど車が止まってない場所に駐車した。ここなら、車の出入りや、トラックのアイドリングに、悩まされることもない。もっとも、このサービスエリアには、なぜか、トラックが、あまり止まっていない。ガソリンスタンドに近い所に、10台くらいしかいなかった。地理的なものなのか?何か理由があるのだろうか、とふと思ったりもした。
夕食もすませたし、辺りもすっかり暗くなっているし、もう寝るしかなかった。車内に布団を敷いたり、窓に日除けシェードを張り巡らせたり、スウェットに着替えたりした。最後には、手ぬぐいを首にかけ、トイレで用を足し、そのあと、洗面所の水を二、三回手ですくって、顔を洗った。
車に戻り、うしろのドアから、車中泊スペースに滑り込んだ。持ち込んでいるノートパソコンから、音楽を流し、そのうち、眠くなったので、寝てしまったのだろう。いや、その間に、メモ書きを書いたのかもしれない。字が、かなり踊っているから、やはり疲れてはいたのだろう。だが、疲労感よりは、高揚感の方が上回っていた。四国最西端の灯台を、1000キロの道のりを走破して、撮りに行く。意味のないことをしている自分が頼もしかった。
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