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<日本灯台紀行 旅日誌>2020年度版

<灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#11
伊良湖岬灯台撮影 3
 
串刺しパイナップルを、食べ歩きしながら、車に戻った。パイナップルもうまかった。来るときに見かけたビニールハウスで作っているのかもしれない。その後は、車の中で時間調整したような気がする。日没は四時半だから、三時半に灯台に着いていればいい。運転席で少しぼうっとしていた。
 
窓の外に、土産物屋や旅館などが見える。何軒かは休店している。さらに、よくよく見ると、左端の五階建てくらいの旅館も休店しているようだ。すべての部屋の窓に白いカーテンがかかっている。一階の入り口、自動ドアもカーテンで覆われている。コロナの影響か、季節的なものなのか、夏場だけの営業なのか?あそこに泊まれれば、最高だな。おそらく、伊良湖岬灯台に一番近い宿だろう。
 
時計を見た。三時十分を回っていた。さてと、夕景の撮影だ。カメラ二台を肩掛け、首掛けして出発した。陽が落ちた後の寒さ対策で、ポシェットに、ダウンパーカの小袋も結びつけた。ちょっと説明しておこうか。ユニクロのコートタイプのダウンパーカで、色は黒。たたむとかなり小さくなって、付属の小袋に収納できる。軽くて暖かい、優れ物だ。
 
じつは、これは、自分が、デイサービスへ行く老父のために買ったものだ。週二回、ほぼ九時前後にデイサービスの白いバンが迎えに来る。冬場の、玄関から車までの防寒対策だ。軽くて暖かいので、老父も気に入っていた。白いバンに乗り込む、黒いダウンパーカの、老父の後ろ姿が思い出される。甲種合格の元日本兵は、97歳まで生きた。親父が死んですでに五年以上たっていた。
 
伊良湖岬灯台へと至る、遊歩道を歩き出した。太陽は思いのほか低くなっていて、海が、黄色っぽくなっている。きらきら光っているのは、海面が強風にあおられているからだろう。といっても、さほど寒くはなかった。防寒対策は万全で、そうだ、たしか、ネックウォーマーもしていたし、指先の出ている手袋もしていたと思う。むろん、パーカのフードをきっちりかぶり、上下、デサントの最強ウォーマー、ブレスサーモを着用していた。これでなお寒いのなら、小袋からダウンパーカを取り出して着込めばいい。何しろ、寒さの中、ふるえながら、おしっこを我慢して撮ったって、誰もほめてはくれないし、風邪をひくのが関の山だ。

灯台に着いた。太陽は、真正面の海の上、目線よりやや高い位置にあった。ためしに、太陽を画面に取り込んで、灯台を撮ってみた。むろん、ほぼ<ノーブラインド>で。目に悪いからね。モニターすると、案の定、太陽の中心部は白色、というか白飛びしていて、空白、と言った方がいいだろう。これはいただけない。もっとも、同心円状に、少しずつ黄色っぽくなるが、それでも、写真として成立しない。となれば、太陽は画面から出てもらおう。
 
波消し石の上、石塀の上、さらには、灯台正面付近の土留め石の辺りで、写真を撮った。みな、下調べした撮影ポイントだ。そのポイント間の移動なので、体は楽だった。その場その場で立ち止り、画面をじっくり見て、ベストの構図を探った。一番楽しみにしていた、山側の階段を登った。振り向くと、灯台の横で太陽が黄色に燃えている。位置的に、太陽は画面から外せない。灯台のすぐ横にあるからだ。これでは写真にならない。水平線ぎりぎり、線香花火の火の玉になるまで待つしかない。
 
だが、このままぼうっと、階段に腰をおろして待っているわけにもいかない。また下に下りて、ポイント間を移動しながら写真を撮った。ほぼ同じ位置取りだが、刻一刻と明かりの具合が変わっている。灯台の見え方も、周囲の色合いも変わっている。撮っても撮っても追いつかないような気がした。時々姿を見せる観光客の目に、バタバタ動き回っている自分が、どう映っているのか、などとは考えもしなかった。なにゆえに、目の色を変え、夢中になっているのだろう?余人には理解できないと思う。正直言って、自分にも理解できないのだ。
 
そうこうしているうちに、太陽はさらに低くなり、黄色の丸が小さくなってきた。とはいえ、直接見るとかなり眩しい。それに、中心部が白飛びしているから、形はまだ見えない。それでも、ファインダー越しに見ると、なんとか写真にできるかもしれない、と思った。山側の階段に急いだ。階段を登りながら、写真を撮った。太陽は、灯台の左横にあり、中心部は空白、その周りが黄色の輪になっている。さらにその周辺の空と海がオレンジ色に染まっている。灯台はといえば、画面のほぼ中央、やや下に位置している。沈む太陽を、腕組みしながら眺めている、といった感じだ。まさに思い描いていた絵面だった。
 
階段を登り切って、踊り場に着いた。太陽が線香花火の火の玉になるまで、まだ少し時間があった。ここでゆっくり眺めていてもいいのだけど、気が急いていた。バタバタっと階段を下りて、灯台の正面付近、遊歩道の山側の土留め壁に体を寄せて、今度は、遊歩道越しに灯台をしつこく撮った。むろんその左横には、いままさに水平線に落ちる太陽があった。この時、すでに、太陽は、小さな火の玉になっていた。要するに、いつ地面に落下しても不思議はない。こうしちゃいられない。また、階段に急いだ。
 
階段を登りながら、下調べしたポイントで、じっくり構図の微調整をした。すなわち、カメラのファインダーを見ながら、幅1メートルほどの階段を、右に左に少しずつ動いて、ベストの構図を探した。背景は、オレンジ色に染まる海と空、それに、晴れた日の夕方、水平線近くに、数分間だけ現れる小さな火の玉だ。そんなロケーションで、伊良湖岬灯台を、なんとしても撮りたかった。むろん、撮れたところでカネになるわけでも、褒められるわけでもない。趣味で撮っているだけだ。しかし、趣味だからこそ、妥協は許されないのだ。
 
火の玉が、水平線にかかり、少しずつ欠けていき、とうとう消えてしまった。最後の最後まで、きっちり撮った。撮れたと思った。それに、たとえ撮れていなくても、まだ、明日があるさ。暗くなった階段を、悠々たる気分で下りた。さてと、今度は<ブルーアワー>だ。
 
遊歩道に下りると、そうだ、書くのを忘れていたが、日没前後、どこからともなく観光客が集まってきて、灯台の正面付近は、ちょっとした<蜜>になっていた。だが、その観光客たちも、陽が落ちた途端、蜘蛛の子を散らすようにいなくなっていた。いや、辺りがかなり暗くなってきたから、人影が目立たなくなったのかもしれない。それはともかく、いまは観光客にかかずらわっている時ではない。西側のポイント、東側ポイント、それから正面付近のポイントから、灯台の背景となる空の様子、色合いを見て回らなければならない。
 
陽が落ちた後の数十分間を、写真用語で<ブルーアワー>という。何度も同じことを書くなよ。ま、その<ブルーアワー>になれば、当然のことだが、灯台に陽射しはない。したがって、灯台は、暗がりの中に立っているだけだ。となれば、せめて、背景の空が、とびきり、とまでは言わないけど、かなりきれいでないと、写真としては面白みがないだろう。
 
というわけで、今回は西側ポイントから灯台を撮ることにした。そう、昨日の野島埼灯台も、西側ポイントから撮った。なぜか、日没後は、東側の空の方が、きれいな色合いになるようだ。おそらく、陽が沈んだ後も、西の空からは、まだかすかに光が出ていて、その光が、東側の空に反射するからだろう。それと、その西側からの光は、かすかながら灯台にもあたるわけで、露出的にもいいのかもしれない。
 
ところが、<ブルーアワー>が終わって、ほぼ暗くなると、今度は、西側の空がきれいになる。水平線の近くが、濃いオレンジ色になり、空の色も、群青色だ。その諧調は美しいが、灯台は、ほぼシルエットになってしまう。と、ここまでは、手持ちで撮れた。だが、さらに暗くなり、灯台の目が光り始め、夜の海に船の明かりが見えだすと、極端にシャッタースピードが落ちて、手持ちでは撮れなくなった。というか、モニターしてみて、ピンボケしているのに気づいたのだ。
 
あ~あ、なぜ三脚を持ってこなかったのか!夜まで粘って、がんばって撮るつもりでいたのに、三脚のことは、すっかり忘れていた。あたりは、すでに真っ暗になっていた。撮影終わり!強風の中、遊歩道を駐車場の方へと戻った。足取りは重かったが、先ほど、西側ポイントでダウンパーカを着込んでいたので、寒くはなかった。と、波音が聞こえてきた。耳をすませた。生れてはじめて聞く、波音のハーモニーだった。ちなみに、恋路ヶ浜の潮騒は<日本音風景100選>に選ばれている。

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